たけしの教科書に載らない日本人の謎<仏像の謎編>


<仏像の謎>
あなたはお寺で拝んでいる相手が誰だか、ちゃ〜んと知っていますか?浅草寺で聞いてみると…
参拝客1:このお寺の神様ですかね?
参拝客2:わかんない
参拝客3:お寺だからお釈迦様ですか?

やはり皆さんご存知ない。お寺には仏様が、仏像という形で祀られている。
だが、一口に仏像と言っても、その種類は実に豊富だ。
誰もが一度は見た事があろう東大寺の大仏様や、一度は耳にしたことがあるであろう阿弥陀如来、不動明王、帝釈天、毘沙門天、
そして奈良の東大寺にある金剛力士像などなど。
ひとえに仏像と言っても、立っていたり座っていたり、笑っていたり、怒っていたり、
実は日本は世界一と言われるほど多種多様な仏像が数多く祀られているのだが、
一体どうしてなのか。そこには、教科書に載らない日本人の謎が隠されているのだ。
数多くの仏像、一番偉いのはどれなのか?それぞれどんな性格、役割を持っているのだろうか。

仏教研究家 瓜生中さん:
「まぁ仏像は種類が非常に多いことは多いんですけれども、
関係性っていうのはですね、非常に単純にできてるってことが言えるんですね。」

ということで、人間社会とよく似ているという仏像の世界をご紹介。
仏像の世界は大きく4つのグループに分かれている。

仏像界は、如来を頂点に、菩薩、明王、天、の順番で構成されており、
企業の中の役職のように、とても明確な上下関係が存在している。
そして、そのグループ内でもさらに細かな役割が決められているのだ。
仏像界でそれぞれどんな役割を持っているのか、
如来から順に、仏像が誕生した背景やキャラクターを見て行こう。

見るものを圧倒する大仏。この大仏が属すのが、仏像界でもっとも位の高い、如来グループ。
如来を企業の役職に例えると、社長、会長、名誉会長に当たる。
如来とは、真理に目覚め、悟りを開いたもののこと。
逆に言えば、如来以外の仏像はすべて悟りを開いていない、修行中の身ということだ。

世界最初の仏像は1世紀に作られた釈迦如来という如来の一種。
最初の仏像ができたのは、釈迦が死んでからおよそ500年後。
それまで仏像はこの世に存在しなかった。
しかし、仏教の布教には仏像が必要だった。
釈迦の姿を拝みたい、そんな信者たちの熱烈なラブコールに応えて、
ついに釈迦は仏像になり、釈迦如来となったのだ。
つまり、お釈迦様の仏像が作られたのだ。

仏教研究家 瓜生中さん:
「歴史が下ってくるとですね、だんだん仏教を信じる人の裾野が広がってきます。
それによってこういう仏がいたらいいなってことで、
我々のニーズに応える形で、様々な仏像がでてくるということです。」

その後も…

仏教徒:「民衆の間で病が流行っております。」
高僧:「釈迦の像を一心に拝みなさい。さすればお救いになられるでしょう。」
仏教徒:「でも、釈迦如来って何にでもご利益がありそうなんですけど、こう逆にピンとこないっていうか、なんか病気に効くストレートなやつ、ないですかね〜?」
高僧:「ん〜、じゃ、作っちゃう?」
仏教徒:「おお!それだ!作っちゃおう!」

こうした人々の願いに応える形で作られたのが、医療を中心に12のご利益を与えてくれるとされる「薬師如来」。
奈良時代は人気ナンバー1。健康の象徴としてふっくらとしている。
さらに極楽浄土への案内人とされる阿弥陀如来も誕生。
南無阿弥陀仏と唱えれば、成仏できるという手軽さが受け、阿弥陀如来は日本の寺院でもっとも多く祀られている。

さらには太陽を神格化した、大日如来など、教典に記された数々の如来が仏像となっていた。
ご存知、奈良の大仏は、毘盧遮那如来(びるしゃなにょらい)を仏像にしたもの。
一方、鎌倉の大仏は、同じ大仏でも阿弥陀如来。

様々な仏像が存在するが、如来は、釈迦が悟りを開いた姿を表しているため、
その多くが座っていて、衣をまとっただけの、とても質素な姿をしている。
釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、これら如来グループは、仏像界の頂点に立つグループなのだ。

続いて仏像界のナンバー2、庶民から圧倒的な支持を受ける菩薩グループ。
えも言われぬ微笑み、ほおづえをついて瞑想する弥勒菩薩(みろくぼさつ)。
そして皆さんお馴染みの観音様も、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。
お地蔵さまも実は地蔵菩薩。

企業の役職で言うと、部長などの中間管理職に当たる。
つまり、如来が悟りを開いているのに対し、菩薩は悟りを目指し、修行中の身。
上を目指して修行しながら、苦しむ人々を救う仏とされている。
菩薩とは、修行僧という意味の、古代インド語、サンクスリット語
「ボーディ・サットヴァ」が元になっている。
ちなみに、釈迦の次に悟りを開くと言われているのが、弥勒菩薩。
とは言っても、悟りを開くのは、宇宙の終わりと言われる、56億7千万年後。

仏教研究家 瓜生中さん:
「如来は大学教授とか裁判官みたいな、そういう語り口で我々に教えてくれる。
それを理解し難い人がいると、菩薩が同じ事をもっと優しく説いてくれる。
だから菩薩の方がより身近にいるということです。」

しかし、すべての人を救うには如来だけでは手が足りない。
ということで、菩薩は如来の脇に立ち、如来とユニットで作られることが多かった。
釈迦如来の脇には文殊菩薩と普賢菩薩。
文殊菩薩は知恵をつかさどり、普賢菩薩は修行をつかさどる。
「3人寄れば文殊の知恵」はこの文殊菩薩から来ている。

如来が座っているのに対し、菩薩は動物に乗っていたり、立っていたりしている像が多い。
この姿にも理由があるのだ。

アシスタント:「はい、あなたのお悩み解決します、でお馴染みのいつもニコニコ竹山サービスです。はいもちろんおまかせください」
カンニング竹山扮する竹山如来:「急に忙しくなったなぁ。不景気だからなぁ。じゃあお助け行ってくるか。よいしょ…(グキッと腰を痛めた竹山如来)あいたた!」
小島よしお扮する小島菩薩:「竹山如来、大丈夫です。あなたが動く必要はございません!ここは私が行って参ります!」
竹山如来:「まったく小島菩薩はフットワークが軽いなぁ。」

仏教研究家 瓜生中さん:
「要するに、菩薩はすぐ人々を救えるようにということで、立ち姿。
ちょっと腰をひねったり、片足をちょっと半歩まで行かないんですけど
踏み出している姿のものもあります。これは動きを表している。」

その他にも、菩薩は美しい布をまとい、宝冠やピアス、首飾りなどのアクセサリーを身につけた姿で作られる。
これは釈迦の出家前の王族時代の姿を表したからだという。

仏教研究家 瓜生中さん:
「まぁこれは私たち俗人に極めて近いということを表しています。
ですから、より身近な存在として非常に人気が出たと。
特に鎌倉時代以降、庶民信仰の中で非常に人気が出てきます。」

悟りを開いている如来よりも身近な存在として、そのきらびやかな外見も相まって、
菩薩は、上司の如来を凌ぐ人気を持つようになった。
それを象徴するのが、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。

仏教研究家 瓜生中さん:
「観音菩薩は、菩薩の中でも特に超人気者ということですね。
非常に優しい顔に作られて、こういうところが人気の秘密と言う事ですね。」

観音様はもともと男性でも女性でもないのだが、
優しいイメージで近づくものを広く温かく受け入れてくれるため、
いつしか仏像の姿も女性のイメージになり、爆発的人気に。

あまりの人気に、如来を差し置き、単独で活動するようになり、
さらに、人々の欲望のままに変身を遂げるようになる。
二本の手だけでは人々を救い切れないだろうと、救いの手を増やした結果が、千手観音。
世界中をもっと見渡してもらおうと顔を11に増やした十一面観音まで存在する。
京都三十三間堂の場合は、千体の観音像で千の手を表現している。これならどんな人だって救えてしまう。
さらに、大船観音、高崎観音などのように、手が増え、顔が増えるだけでなく
巨大化までして、いろんな人を救うのが観音様なのだ。

しかし、観音様はやはり、寺まで拝みに行かないと人々を救っては下さらない。
だが世の中にはもっと親切な菩薩がいるのだ。
みんなのヒーロー「アンパンマン」顔負けに、助けを求めてくれる人のところまでやってきてくれる、なんとも親切な菩薩、
それが、地蔵菩薩。そう皆さんの身の回りでもよく目にするお地蔵様も、立派な菩薩なのだ。
地蔵菩薩は人々を助けるため、自ら出向き、救いの手を差し伸べ、
ダメな人ほど救ってくれると言われる。
その結果、至る所で見受けられる仏様なのだが、なぜ親しみのある愛らしい顔をしているのか。

地蔵菩薩は、なんと地獄に落ちた人までも救ってくれると言われている。
親よりも先に亡くなった子供は、賽の河原で「親不子の責め苦」を受ける。
地獄の鬼から子供たちを救ってくれるのが地蔵菩薩。
そこで賽の河原から連想される「石」で作られ、顔も子供たちそっくりの丸い形で作られるようになったのだという。
上流階級がきらびやかな観音様に傾倒していく中、
お地蔵様は、その身近さから庶民たちのアイドルとなっていく。
言わば、自らの身体を投げ打ってまで助けてくれるアンパンマンのようなものか?

仏教研究家 瓜生中さん:
「地蔵菩薩っていうのは、いろんな民間の庶民のほんのささいな願いでも聞いてくれる。
あとは身代わりになってくれるという信仰が強いです。」

民衆の「助かりたい」「あやかりたい」という願いは、
やがて「身代わり地蔵」「とげ抜き地蔵」「子育て地蔵」「そうめん地蔵」「縛られ地蔵」
あげくは「化粧地蔵」など、全国様々なバリエーションを生んでいくことになった。

仏像界の第3グループは、怒りの形相で仏教の教えを広める明王。
昨年歌舞伎界のプリンス市川海老蔵が、結婚を報告した成田山新勝寺のご本尊が、
お不動様こと不動明王。
だが、海老蔵ゆかりの不動明王はなぜ怒っているのか?その秘密が明らかに!

京都の五重塔でお馴染みの東寺の講堂には、
不動明王を中心として、東西南北、4つの方向に4体の明王が配置されている。
東に降三世(ごうざんぜ)明王、
南に軍茶利(ぐんだり)明王、
西に大威徳(だいいとく)明王、
北に金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王と、
不動明王と合わせて五大明王と呼ばれ、日本中で信仰されている。
しかしこの仏像、他と違いみんな怒っている!
一体、なぜこんな怒りの形相で作られているのか。

仏教研究家 瓜生中さん:
「明王は密教で大日如来の化身、分身、これが明王です。
特に明王が救うのが、難解の衆生(なんげのしゅじょう)、
簡単に言うと、いくら言っても言う事を聞かない人。」

つまり…

小島よしお扮する 難解の衆生:「お兄さんいい子いますよ〜。」
竹山如来:「今日はいいよ。」
小島:「あれ?大日如来じゃないっすか。にょろっちゃいましょうよ!」
竹山:「うるさいよ。やめろって言ってんだろうが!」(キレて、着替え始める)
竹山:「不動明王に変身だ!」

大日如来が変身して悪を懲らしめる、これが明王だという。
明王は激しい煩悩を背後の炎と剣で焼き尽くし、
道に迷うものあれば、左手の縄で縛ってでも救うと言われている。
慈悲の心ではなく、怒りで仏教界を護る、
言うなれば、仏教界の闇の仕事人、裏のガードマンというわけだ。

仏教研究家 瓜生中さん:
「平安時代のはじめに、弘法大師が中国に留学して、
密教を学んで不動明王をはじめとする様々な明王を持ってきた。
当時の人としては非常に強い衝撃を受けたということは伝えられています。」

武力でもって力ずくで人を救う明王。
しかし、武闘派集団は明王だけではない。

仏像界の第4グループ「天」もまた煩悩を切り捨てる武闘派集団。
「天」とは耳慣れない言葉と思われるかも知れないが、
寅さんで有名な葛飾柴又の帝釈天や、
名前は聞いたことがあるはず、戦の神様、毘沙門天。
運慶、快慶で有名な東大寺の金剛力士像も「天」の一員。
見た通り、仏教界を護る、ガードマンの役割なのだが、同じ舞踏派集団の「明王」と一体何が違うのか?

仏教研究家 瓜生中さん:
「天は、インドの神話に出てくる神様ですね。」

「天」はもともと仏教界の一員ではないと言うのだ。
「天」とは、古代インド語のサンスクリット語で
「神」という意味の「デーヴァ」が語源。天は当て字。
仏教が広まる前のインドには、ヒンドゥー教という多神教が信仰されていた。
その中には最強の戦士インドラという神や、
ブラフマンという宇宙を作った創造神など、多彩な神様がいた。
インドラは帝釈天、ブラフマンは梵天として仏教に取り入れられていった。
もともといたインドの神様たちを、仏教を護るガードマンとして取り入れたのが「天」なのである。
いわば、正規軍ではないが、外から助けてくれる助っ人外国人のようなもの。

仏教研究家 瓜生中さん:
「これはインドの神話の中に出てくることで、様々な姿をしている。
だから菩薩とか如来よりもですね、よりわれわれに身近なものもあったということですね。」

例えば「天」の最高ランクに位置づけされる四天王と呼ばれる、
多聞天、広目天、増長天、そして持国天は、東西南北に別れ、如来、菩薩を守ると言われる。
甲冑に身を包み、四者四様、思い思いの格好をしているこの自由さが人気の理由。
足の速さを形容する韋駄天、死者の罪悪を裁く地獄の王、閻魔さまも「天」の一員。
そして「天」はしばしば四天王のように複数でユニットを組む。

小島よしお扮する仏像プロデューサー:「竹山ちゃん、センターはね、あの子でいいと思うのよ、ただね、武力が足りないなってことで、この子どう?」
竹山扮するアシスタント:「ああ〜、でもこの子、ちょっと商売繁盛のご利益が足りないんっすよね〜。この子、弁財天ちゃんでどうでしょうね?」
小島:「いいね、この4人で行こう!」

例)十二天:帝釈天、地天、毘沙門天、日天、羅刹天、伊舎那天、水天、風天、火天、月天、梵天、焔魔天。

このように、ご利益により、様々なユニットが考えられ、仏像として作られていった。さらには…

竹山:「小島さん!四天王のひとり多聞天が、武将の間で人気が出てるみたいですよ。」
小島:「そうなの?じゃ、いっとこうか!多聞ちゃんソロデビュー決定!」

四天王のひとり、多聞天は戦国時代に大ブームを巻き起こし、名前を変えて活躍する。
それが上杉謙信の守り本尊として有名な毘沙門天。
毘沙門天はさらに、弁財天、大黒天のふたりと一緒に、日本の神様ともユニットを組み、
七福神として日本にすっかり定着してしまった。

そして如来、菩薩、明王、天以外に、
空海、鑑真などの高僧も仏像となっている。
その年、その時代に合わせ、救いの形を進化させ、日本の民衆に愛されて来た、
如来、菩薩、明王、天などの仏像、願いの数だけいろんな仏像が欲しい!
そんな人間のご利益主義が、多種多様な仏像を生んだのかもしれない。

<プロローグ>
<仏教の謎>
<日本語の中に隠れた仏教>
<宗派について>
<最澄と空海>
<怨霊と仏教>

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