移住しました その1「はじまりは楽観的に」


原発100km圏内から、九州へ。
ついに、というかようやく移住しました。
Wi-Fiも開通したので、移住にあたってのもろもろを記録しておこうと思います。
んー、いやほんとにいろいろありました。
その都度記録しておけばいいのにね。だいぶ忘れちゃってるかも。

始まりは、そう、皆さんもよく知っている2011年3月の東日本大震災。
日本人のみならず、海外の方もよく知っています。

このブログでも以前書いたかもしれませんが、
311の直前、クリキンディは予兆を身体で感じていました。
震災3日前から体調を崩し、いったい何が原因なのか、どこがどう辛いのか、
自分でもよくわからない具合の悪さでした。

震災2日前、仕事が休みだったので、お昼まで寝ていたのですが、
ちょっと大きめの地震がきて、ベッドから飛び起きた時、
「ああ、地震を感じて調子が悪かったのか…」と納得。

しかしその後も体調はよくならず、
震災1日前、ますます身体が重くなり、食欲もなく、身体を引きずるように仕事へ。
原因不明の体調不良について、その日の午後、ある友人に相談の電話をかけました。
このブログでも時々登場する「森のトトロ氏」です。
すると、彼も何か異変を感じていたらしく、
「2012年に向けていろんなことが起きてるし、大きな地震がいつ来るかわからないから
水とか食料とか準備しておいた方がいいかもね」
という方向に話がまとまってしまいました。

クリキンディは、この日夜遅くまで仕事の予定があったため、
すぐに息子に電話をして、
「地震が来るかもしれないから水とか電池とか今日中に準備しておいてね」
と伝えたのですが、
その話を彼はまじめに受け取らず、なーんの準備もしないまま、
震災の日を迎えてしまったのでした。(苦笑)

明けて3月11日、
前日よりは少し体調がましになり、食欲も戻ったものの、
首から頭にかけての強い不快感は残ったままでした。
そして14:46、揺れ始めはまだ気付いていなかったんです。
これが人生の分岐点になるとは。

どんどん揺れが強くなり、これはもう普通の地震じゃない、と気付いた時、
なぜか気持ちは妙に冷静で、窓の外を飛び回るハトの群れを見ていました。
地震の前に動物がいなくなるなんて嘘だったんだなぁって。
また、
「2012年にアセンションって思ってたのに、こんなに早いの?それともまだ大きな異変があるの?」
なんてことも考えながらテーブルの下で、落ちてくる食器を避けていました。

それからの数日〜数ヶ月は、
みんな「サバイバルスイッチ」が入っていたように思います。
今ではすっかりその感覚は薄れてしまいましたが、本当にいろんな感覚が研ぎすまされていたというか、
何か、違う次元で生きていたような気がします。

突然始まってしまった被災者生活の中で、
ようやく津波のことや原発の情報が入りはじめ、
早い人は、数日中に東北を出てしまいました。

クリキンディは、それまで六ヶ所村の再処理施設についての反対運動に触れ、
原発の危険性をある程度認識していたので、
逆にこの事故のおかげで、今まで原発についてあまり興味のなかった人も、
きっと危険性を認識してくれるだろう、日本は脱原発に大きく舵を取るだろう、
そのための震災だったのかもしれない、と漠然と思っていました。
福島はすぐに避難措置がとられるだろう、福島第一は石棺処理されるだろう、
それまでなるべく外に出ないようにして、雨に濡れないようにして、
マスクや帽子でしばらく耐え忍ぼう、そう考えていました。

しかし…
それはまったく甘い考えだったのでした。

(その2につづく)

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ブログ版をかなり加筆、修正しています。


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