ちょっと前に「聖なる予言とでんじろう先生の実験」
という記事を書きましたが、
今日は、ちょっとわかりやすい出来事があったので、覚え書き。
片側1車線の古い国道を走っている時のこと、
右側の住宅地から、国道に出る市道に、
車が数台停車しています。
信号がなく、クリキンディが走っている国道の車線に出るために、
右折信号を上げて待っています。
クリキンディの進行方向、100mほどのところに大きな交差点があり、
信号は赤です。
反対車線から来る車もちょうど途切れています。
スピードも落ちていたので、市道から出てくる車を入れてあげるために、
一旦停止しました。
その瞬間、クリキンディの後ろにいた車がクラクションを鳴らしました。
「お前、なに道譲ってんだよ!こっちは急いでるんだよ」的なニュアンスです。
うーん、譲っても譲らなくても、この先は赤信号だし、
大して変わらないのになぁ…
出ようとしていた車は2台いましたので、
2台とも行かせたのですが、
2台目が国道に出る時に、再び後ろからクラクション。
よほど急いでいるのかと思いきや、
信号を超えて走り出したら、左車線に入って随分後方になってしまいました。
おそらく、「道を譲る」こと自体が嫌いだったのかもしれませんね。
これをエネルギー的に考えると、
道を譲っているクリキンディは、「道を譲って気分がよくなる」感じです。
道を譲られた人は、「気持ちよく譲られた」気分ですよね。
ですが、クラクションを鳴らされたクリキンディの気分は、
「エネルギーを奪われた」感じです。
そして、クラクションを鳴らした人は、「自分の時間を奪われた」気分なんじゃないでしょうか。
難しいですね〜。
誰かに与えることで豊かな気持ちになるけれど、
誰かから奪うことで、自分は奪われた気分になる。
振り返ってみれば、クリキンディの今までの生き方は、
「正しさ」を武器にして、相手を支配し、
エネルギーを奪うことを得意としてきたような気がします。
しかし、それではちっとも幸せになれなかった。
そんな大切なことに気付かせてもらえた出来事でした。