実は動物にあまり興味がないので、動物園にはほとんど行かないのですが、ちょっとしたハプニングで、名古屋の東山動物園に行くことになりまして。
ここにはシャバーニと名付けられたイケメンのゴリラがいるという噂を聞いたので、人混みをかきわけ、広い園内を歩き回ってようやくゴリラの展示エリアへ到着したものの、どれがシャバーニなのかわからねぇ〜
あとで聞いた話だと、シャバーニは他のゴリラとは圧倒的に違うオーラを放っているらしく「どれだかわからないってことは絶対ない」のだそうです。
つまり、めちゃ頑張って歩いたけどシャバーニには会えていなかったらしい…しょぼん。
まぁいいんです。むしろ会えていたらもっと落ち込んでいたかもしれない。
というのは…
動物園ですから他にもたくさんの生き物たちがいるわけです。この日、私はほんの一部の展示しか見ていないけど、それでも動物たちを見ていたらどんどんつらくなって、めちゃくちゃ気分が落ち込んでしまっていました。
動物園生まれの子たちはしょうがないとして、世界のどこかで捕らえられて、ここに連れて来られた生き物の気持ちを想像しちゃったんですよ。
大自然の中で暮らしていたのに、ある日突然何かの罠にかかってしまい、檻に入れられて、知らない国の動物園に送られてしまった動物たち。
冷たいコンクリートの部屋に入れられ、頑丈な鉄格子やアクリルの厚い壁がその狭い場所からの脱出を阻みます。
これまで食べていた自然のものではないものが、餌として与えられ、わけのわからない注射とか検査とかされたり、芸を仕込まれたり…
しかもずーっと誰かに見られてる。
開園中はぞろぞろと歩く人間たちに眺められ、閉園してからも監視カメラに見張られる。
しかも誰とも意思疎通ができない。(同種の生き物ならできるのかもしれないけど)
家族や友だちにももう会えない。
もし自分が同じ目に遭ったとしたら耐えられない…
もともと動物園には興味がないと思っていたけど、実は動物園というシステム自体が嫌いだったんだ、私。
動物園好きな皆さんごめんなさい。
普段テレビでしか見ることのできない生き物を、直接見てみたいという気持ちは私にだってあります。そんな欲求を満たすために動物園というシステムが生まれ、そこ関わる人たちがいろんな苦労をしているだろうことも想像できます。
ゴリラと会話できたら…ってタイトルで書きましたが、ゴリラだけでなく、すべての生き物と意思疎通ができたらいいのに、と思うんです。動物だけでなく、植物でも昆虫でも魚でも。
もしかしたら「いいよ、見られるの快感だし、動物園にいてあげるよ、その代わりあんなもの食べさせてよ」とかいう個体もいるかもしれないけど、おそらくほとんどの生き物たちが「お願い、元いた場所に戻してよ」って言うんじゃないのかな。
ちょっと飛躍するかもしれないけど、これって17世紀頃から行われていた奴隷貿易と同じなんじゃないかなと思うんです。
アフリカで暮らしていた黒人たちを、言葉が通じないのをいいことに、まるで動物のように捕らえ、物のように運び、勝手に売り買いし、彼らの人権も尊厳もまるっと無視して奴隷として使い続けた時代。
彼らがどれほど元いた場所に戻りたいと思っていたか、想像するに難くありません。
もう今は奴隷というシステムはなくなったはずだけれど、まだまだ本人の尊厳を無視した動物園のようなものがたくさんあります。
例えば畜産。
もし彼らと意思疎通ができたとしたら、牧場というシステムは成り立たないでしょうね。
野菜がしゃべれたらなんと言うんでしょうね。
街路樹がしゃべれたら…
すべての命あるものと意思疎通ができるようになったら、きっと想像もつかないようないろんな意見が出てくるんじゃないのかなと思うんです。
そしたらきっと世界は今より美しくなるんじゃないかなと思ったゴリラとの出会いのお話でした。