AIの自動運転システムについて考えてたら人生の目的が見えてきた


最近AIの話題を聞かない日がないかも?
今日もTVで自動運転システムのニュースを見ました。

テスラの自動運転車はカメラで状況を認識するけど、日本のその(メーカー名を忘れた…)車はレーザーを使って確認するので夜間の運転に強いとかなんとか…

今後、どんどん改良が進み、自動運転の車両が現実のものになる日が近いだろう、みたいな話題でしたが、皆さんどうですか?そういう未来が早く来てほしいですか?

これ、自動車じゃなくて、バイクで考えたらどうでしょう?

ハーレーとか大きなバイクが大好きな人たちに、「あなたのマシンにAIが組み込まれましたので、もう目をつぶって乗っても、ハンドルを持たずに乗っても大丈夫ですよ」と言われて喜ぶバイカーはいるんでしょうかね?

いなさそうですよね〜w

私はバイクに乗るわけじゃないけど、自動車を運転するのが好きなので、他の誰かに運転してほしいとは思いません。

でも運転するのがめんどくさいと思ってる人にとっては、自動運転システムはとても便利だと思います。

だからAIが進化したとしても、すべての車が自動運転車にはならないだろうと思ってます。というか、ならないで欲しい!

さて、他のものでも例えてみましょうか。

今は割と簡単にリアルな動画までAIで作れちゃったりするので、ハリウッドの俳優さんたちが、仕事を奪われる〜!と言ってるそうですね。

AIで作るエンタメ作品はもちろん今後増えていくと思いますが、じゃあ人間が舞台上で演じなくなるかと言ったら、さっきと同じ理由でなくならないと思いませんか?

だって演劇とかミュージカルとかやるのが楽しい!って人はたくさんいますから。

もっと身近な例で言えば、今はPCで文章を出力できるので、様々な書体で美しい文字が表現できます。

でも書道はなくならない。

写真が発明されて、写実的な絵を描いて記録する必要はなくなったけれど、絵を描くという文化もなくならない。

車や電車など、速く移動する手段ができても、自分の足で走る人はいなくならない。

だって、楽しいんですよね。

TVで世界中の風景を映してくれるから、私たちはいろんな国の世界遺産とかを知ってます。

じゃあもうそこに行く必要はない?
いや、自分の目で見てみたいですよね。

TVでいろんなお料理やスイーツを紹介されていたら、食べに行きたくなるじゃないですか。

ちょっと話がそれましたが、
AIは使いようによってはとても便利なものだから、めんどうだと思うことをやってもらえばいい。

でも自分がやりたいことまでAIにやってもらう必要はないですよね。

自分がやりたいこと、めんどうだと思うこと、それは全員が同じわけではないこともわかってきました。

そして自分がやりたいと思うことって、どれも自分の肉体を使って、五感を使って体感することだったりしませんか?

ちょっとここからは、信じるか信じないかはあなた次第な話になってきますが…

私たちはもともと霊的な存在であって、様々な可能性を広げるためのひとつのツールとして、肉体を使うチャレンジをしているところ、と考えたらどうでしょう?

地球という星に降り立って、ホモ・サピエンス・サピエンスの肉体を使うって、どんな感じがするんだろう?
暑いとか寒いとか、痛いとか気持ちいいとか、美味しいとかまずいとか、うれしいとか悲しいとか…

多分いろんなことを自分自身で体験してみたかったんじゃないでしょうかね。

私たちは何度も何度も輪廻しているらしいので、過去に散々味わったことはもういらない、めんどうだから今回はやらなくていいよ、って思っていることもあるかも。

それでも、あれやってみたい、これやってみたいと思うことは、必ず残ってますよね。

なにもかもAIに置き換わる未来は来ないと、私は確信しました。

さて、次は何をしよう?


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