生まれてくる時にいろんなものをセッティングしてくる私たち


寿司ネタに赤身と白身があるのはなぜなのか、
「チコちゃんに叱られる」で出題された瞬間に、
「はいはーい!知ってる知ってる!」とテレビに向かって高々と手をあげていたのは私です…

そんなアホな私の話は置いておいて…
この色の違いを人間に置き換えて、
私たちがこの人生に生まれてくる時に、何を目的として、どんなことをしようと計画してきたのか、という話をしてみようと思います。

赤い筋肉と白い筋肉の両方を持っている人間

番組をご覧になっていない方のために、簡単に説明しておきますね。
筋肉には大きく「赤筋」と「白筋」の2種類があります。
見た目の色ですね。
赤い筋肉は、持久力が得意で、
白い筋肉は、瞬発力が得意です。

ずっと泳ぎ続けて、その水流から酸素を取り入れる回遊魚のマグロは持久力が必要なので赤身です。
普段は海底にじっと動かずにいて、美味しそうなものを見つけると一気に飛びかかるヒラメやカレイは、瞬発力があればいいので、白身なんですね。

人間の場合、どちらの筋肉も持っています。
ただ、赤白の割合は人によって違うそうです。
「おれのは霜降りだ!」と思った方、残念ですがそれは脂肪です。

長距離ランナーの筋肉は赤筋の割合がとても高く、
短距離やジャンプを必要とする競技の選手の筋肉は白筋の割合が高いそうです。

それは、その競技の練習を続けることによっても割合が変わっていくらしいのですが、生まれつき、どちらかの筋肉が多いという人がいるわけです。

幼稚園や小学校の運動会でも、自分は短距離が得意だった!とか長距離の方が断然得意だった、という人、いますよね。

つまり、生まれる時に、赤筋と白筋の割合が同じぐらいの子供もいれば、どちらかが極端に多い子供もいるということです。

平均値の中にいないと評価してもらえない

学校では、どれもこれもみんなと同じぐらいできるようになりなさい、と教育します。
できないのはだめ、出来すぎてもだめ。
平均値におさまるところにありつづけなさいと。

かねがねおかしいなと思っているのですが、
自分の名前は漢字で書けるのに、まだその学年では習っていない漢字だから、答案用紙にはひらがなで名前を書かなくてはいけない、とか
算数の問題で、掛け算で答えを出したら、まだ教えていないからバツにされた、とか
そんな話がネット上で拡散されていますよね。

身近に小学校の先生をやっている人がいたので、この話題をふってみたら、
「教えていないものを書いたら私もバツにします」と言うので、まじなのか!とちょっと愕然としました。

必要に応じてセッティングしてきた特徴

話を戻しましょう。
子供たちの中には、平均的にできる子もいれば、
特別に得意なこと、不得意なことがある子がいて当たり前なわけです。
それは、生まれ持ってきた筋肉の種類による可能性が大きいということはわかりますよね。
そして、それは自分の人生で、なにかやりたいことの目的のためにセッティングしてきたのかもしれないと思い当たります。

マグロに「お前は瞬発力がないから、ジャンプの練習をしろ」と言ったり、
ヒラメに「お前は持久力がないから、校庭30周だ!」と言うことが、どれほどナンセンスな教育なのか、考えるまでもなくわかりますよね。

もちろんそのような練習を続けることで、筋肉の割合は少しずつ変わるので、まったく無駄とは言いませんが、とても効率が悪いと思いませんか?

小さい時から、おとなしく本を読むのが好きな子もいれば、
走り回るのが好きな子供もいます。
それを遺伝だと考える人もいますが、親とは違う性質を持って生まれてくる子供もたくさんいますよね。

私たち人間は、生まれてくる前の記憶をきれいさっぱり忘れてしまっているので、なんのために生まれてきたのかわかりません。
でも、小さい頃のことをよくよく思い出せば、ああ、あれが得意だった、とか好きだったとか思い当たるはずなんです。

夢を持てない子供たち

最近中高生の中には「私、夢とかないんですよー。卒業したら公務員とかになれたらいいです」と言うような子供がとても多いです。

本来、なにかこの人生でしようとすることのために、筋肉だけでなくいろんな要素をカスタマイズしてセッティングしてきているはずなのに、その特徴を否定され続けて、平均値に収まることだけを学校で求め続けられてきて、
まぐろの形をしたヒラメとか、ヒラメの形をしたマグロとかにされちゃってるんですね。

パンダに対して、校則違反だから毛をすべて黒に染めるように!とか
孔雀に対して、校則違反だから、羽のサイズは全員同じにするように!とか、
うさぎとカメに対して、遅刻せず同じ時間内に到着できるように満員電車に乗って来なさい、とか
あーバカバカしいけど、なんか面白くなってきた!
いろんなアイディア募集します!

自分のコンプレックスが生きるヒントになる

つまり、短い足でも長い足でも、
ひとえまぶたであっても二重であっても、
太っていてもやせていても、
毛が薄くてもくせ毛であっても、
足が遅くても早くても、
記憶力があってもなくても、
恥ずかしがりであっても目立ちたがりであっても、
女性が好きでも男性が好きでも、
病気がちだったとしても、障がいがあったとしても、
どんな特徴であったとしても、
この人生で探求しようとする目的のために必要だからセッティングしてきたのだ、と考えてみたら、
今悩んでいることの解決に一歩近づけるかもしれません。

偉そうに書きましたが、これは私にとっての課題でもあります。
私も平均値に収まるように教育されてきた世代ですし、
今平均値に収まっていないものについて、コンプレックスを山ほど持っています。
だから探求中の話ではありますが、チコちゃんのネタのおかげでいろいろ考えることができました。
誰かの役に立ったらいいなぁという希望を込めて記録しておきます。


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