平安時代の和歌をミュージシャンなりに考察すると替え歌説にたどり着いた


2024年の大河ドラマ「光る君へ」を毎週楽しみにしている、自称「薄紫式部」です。
だって子供の頃に読んだ星座占いに、あなたと同じ星座の有名人は紫式部です、と書いてあったんだもん(笑)

先週の放送では道長の
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」がついに出てきました。

めちゃくちゃ有名な和歌ですが、ドラマでは「みなで復唱しましょう」となり、イケメン貴族たちが、それを読んでいるシーンがなんだか違和感満載に感じてしまいました。

この時代の記録として、もっとも詳細に残っているのが、藤原実資の書いた「小右記」です。

おそらくそこに「道長の歌を皆で唱和した」的な記述が残っていたのだと思いますが、どんなテンポで、どんな節回しで読んだのかは、文章からはわかりません。

なので、ドラマでは、まるで小学生が卒業式で言う「たのしかったうんどうかい あめにふられたしゅうがくりょこう‥‥」みたいな感じで読んでいましたよね。

いやしかし、和歌って「歌」じゃないですか。短歌も「歌」ですよ。
きっと、この時代のみんなが知っている節回しがあったんだろうと思うんです。

なぜこの時代の歌が「五七五七七」になっているのかと考えると、きっと覚えやすいメロディが先にあったのではないかと思うんです。

だからその節回しに合わせて、自分の心情を言葉にして「歌う」ことが流行っていたんじゃないでしょうかね。
つまり替え歌的な。

今の時代で言えば
「ABCDEFG HIJKLMN‥‥」というアルファベットを覚える歌を
「エービーシーディー海岸で カニに◯んぽこ挟まれた〜」
って歌う感じでしょうか。(この例でいいのかって話は置いといて…)

「あかりをつけましょ ぼんぼりに おはなをあげましょ もものはな」の替え歌は
「あかりをつけたら消えちゃった おはなをあげたら枯れちゃった」
みたいなのが有名ですかね。

平安時代の歌のメロディはもっとシンプルなものではあったかもしれないけど、だからこそみんなが「唱和」できるものだったんじゃないでしょうか。

今でも、和歌を詠む会みたいなもの、百人一首の競技会などで、読み手が節をつけて詠むのを聞いたこと、ありますよね?

1000年以上経って、メロディがあやふやになってしまったとは言え、なにかしらの節回しで読んでいたであろうことは確かだと思うんです。

ドラマでもそこを再現してくれたら面白かっただろうなぁ。
古い時代の歌を研究している人はいないのかな。
現代で使われている平均律ではない音律が使われているはずですよね。
情報をお持ちの方がいらっしゃったらぜひ教えてくださいね〜


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