九州のとある大型ショッピングモールのイベント会場に、311の特設パネル展示が並んでいるのを見かけました。
短冊のような、絵馬のような紙にメッセージを書いて吊り下げるコーナーもあり、いったいどんなことが書いてあるのかとチラ見したら、「負けないでね」「復興頑張ろう」みたいな言葉が。
いったい誰に向けて書いているんでしょうね。
そしてこのイベント主催者はこれらの言葉を誰に届けようとしてるんでしょうね。
テレビも新聞も、「あの日を忘れない」みたいな特集がたくさん組まれています。
あの出来事を忘れることができる人なんているんでしょうか。
むしろ思い出したくもない、という人も多いんじゃないのかな。
忘れてはいけないのは、あの日の風景ではなくて、あの出来事から何を学んだのか、ということなんじゃないかなと思っています。
例えば戦争。
ありえないほどの理不尽と不幸にまみれた出来事を、物語や映像で伝えるものはたくさんありますが、「なんてかわいそうなんでしょう」って思うだけじゃ、なんのためにあんな出来事が起きたのかわかりません。
もう戦争なんか起こしちゃいけない、と強く思う人がいる一方で、戦争をしたがっている人も未だに存在しています。
地震は今後もまた必ずどこかで起きます。
津波も今後必ずどこかで起きます。
大雨や台風の被害も、ウイルスによるパンデミックも、必ずこれからも起きます。
忘れちゃいけないのは、「これからも何が起きるのかわからない」ということかもしれません。
起こる前提で「じゃあどうしようか」を考えるチャンスをもらっていると考えたらどうでしょう。
10年経って、やっとそんな気持ちになれました。
時間かかり過ぎかなぁ〜
50年も前から「いつ大地震が起きてもおかしくない」と言われる環境で暮らしてるので、そこそこの耐性はあります。
…が、あの日は業務を放棄して職場のテレビに噛り付いていました。一体なにが起きているのか、これは現実なのかと把握するのに相応の時間が必要だったのです。
励ます気持ちはきっと有難いものでしょうが、当事者が負う悲しい現実とはレイヤーが違い過ぎますし、それぞれの立場で理解し難い背景があるのだと思います。
それでも、教訓として乗り越える能力を持っているのが人間だと信じたいし、そのために出来ることは人によって形が違うという相互理解も必要なんだろうな、と感じます。
大切な人・家財・故郷を失ってしまった人達が立ち直るには、気持ちのケアや具体的な支援や相応の時間などが必要なのは当然のこと、当事者でない人達は事実を正しく知った上でどのように寄り添えるか、少なくとも誠実であることが不可欠ではなかろうかと思う次第です。
ニパさん
コメントありがとうございます!
「レイヤーが違う」って例えがすごくしっくり来ました。
どのような状況で、どのような体験をして、どのような感情を感じたのか。みんな違うわけで、その経験に誠実であろうとすることが一番ですね〜!