今だから言える、と書いたけど、やっぱりすごく言いにくい。
なんで言いにくいのかと言うと、
好意でいろんなことをしてくれた人のことを悪く言うことになるし、
私が心の狭いイヤなやつだということがみんなにわかっちゃうから。
でももう今更誰かから「いい人」だと思われる必要もないと思うので言っちゃう。
あの時は言えなかった
あの時、被災地から離れた場所で、津波の映像を見ていた皆さん、
映画を見てる気分になりませんでしたか?
正直に言います。
911の時にツインタワービルが崩れるのをテレビで見て、「まるで映画みたいだ!」と思っていた私です。
被災地のために何かしたいと思って募金してくださった皆さん、
なんか自分がいいことをした気分になりませんでしたか?
その集まったお金の使い道を確かめましたか?
あの時、保険金や見舞金で焼け太りした人がいたことがいること、
いろいろ被害があったのに、自治体から被災認定してもらえなかった人がいたこと、
自費で移住したのに、移住先で被災者扱いされず、地元から裏切り者扱いされている人がいること。
震災後すぐに「被災地を応援する歌を歌いました、聴いてください」とアピールした人もたくさんいました。
被災者は音楽を聴ける状況でも気分でもなかったのに、
「ありがとう」としか言えなかった。
弱者は施しを受けたら拒否できないから。
原発のことについて、あんなにみんなが頑なに政府の広報を信じるとは思わなかったなぁ。
7年も経って、もはや自分の中では終わったことだと思っていたけれど、
ちっとも終わってなかった。
あの日からずっと孤独だったんだな、私。
あの時は言えなかった、
というより言葉にできるほど気持ちが整理できていなかったのかも。
ひゃー、めっちゃイヤなやつだね、私。
しかもセンチメンタルだし。
私は被災したと言っても、津波の被害を受けていないし、親しい人を亡くしたわけでもありません。
たぶん、他の被災者の方々はそれぞれに思うことがあると思います。
これらはあくまでも個人の感想ということで勘弁してください。
エンタングルメント
いろんな被災の仕方がありますが、そういう人たちと同じ時間と空間を共有した人は、
量子力学的にいろんな影響を受け合うのだそうです。
それをエンタングルメント=量子もつれ、と言うそうです。
今朝起きた時には、今日が3月11日だと認識していなかったのに、
なぜかずっと気分が落ちていて、ちょっとしたことで泣きたくなっていました。
それがエンタングルメントかもしれないと気づいたのは、
14:46でした。
不意に街中にサイレン音が鳴り響いて、「ああそうか、地震の来た時間だ」と気づいたのが、
ラジオで山下達郎の番組を聴いている時。
震災後に達郎さんが作った「Ray of hope」(希望という名の光)が流れ、
号泣モードに突入してしまいました。
あれは、私にとって、恐怖や緊張と苦労をもたらした大きな出来事ではあるけれど、
泣くような悲しみの感情ではありません。
大きな声でおいおい泣きながら、
あの時被災した人たちと、感情を共有してるのかもしれない、と気づいたんです。
ついでに言うと、昨日の夕方あたりから、
なぜかずっと眉間が苦しくて、冷たいような痛いような感じが続いていました。
もしかしたら、似たような感覚を味わった人が他にもいるかもしれないと思うので、覚書として残しておきます。
☆移住についての体験談をまとめました。
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ブログ版をかなり加筆、修正しています。
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