もしも、あなたの愛する人が、
あなた以外の人を愛してしまったら…
あなたは、その人のことを嫌いになりますか?憎みますか?恨みますか?
何年もつき合っていて、
結婚しようと思っていたあの人が、
突然「ごめんね、他の人を好きになってしまったから別れて欲しい」
そう言われたら、
あなたは、その人のことを嫌いになりますか?憎みますか?恨みますか?
何年も一緒に暮らしてきた夫(または妻)から、
突然「ごめんね、他の人を好きになってしまったから別れて欲しい」
そう言われたら、
あなたは、その人のことを嫌いになりますか?憎みますか?恨みますか?
何年も育ててきた大切な息子(または娘)から
突然「愛する人ができたから、この家を出ていきます」
と言われたら、
あなたは、その人のことを嫌いになりますか?憎みますか?恨みますか?
この違いはどこにあるんでしょうね?
相手が恋人や夫婦である場合、
「許せない」という気持ちになるのに、
それが子供であれば、「嫌い」になることはまずありませんよね。
これって、
同じように「相手を愛している」ように見えますが、
本当は違うんじゃないでしょうか。
相手を許せない、と思っている時は、
「愛されたい」もしくは「愛されるべきだ」って思っている時なんじゃないでしょうか。
だって、本当に相手を愛しているなら、相手の幸せを願うはずですよね。
相手が誰かを好きになって、幸せになりたい、と考えていて、それを行動に移した、
それは、
相手が自分を愛していないことがはっきりわかった、ということでもあります。
自分が相手に愛されたいと考えているなら、
それは不幸のはじまりです。
でも、相手を愛したいと考えていたら、
それは不幸とは言えません。
まず一番に「自分の幸せ」を考えるから、自分を不幸にしようとする相手を許せなくなる。
「相手の幸せ」を考えれば、相手を憎む理由もなくなります。
「愛」を求めているばかりでは幸せになれず、
「愛」を与えることで、本当の幸せになれるのかもしれないなぁ、と
最近思い始めました。
愛に限らず、人生すべて、こんな法則があるんじゃないかな…
そう思わせてくれたのが、
雲黒斎さんの「あの世に聞いた、この世のしくみ」に最近連載されている、
「極楽飯店」です。
クリキンディの話じゃ、ちっとも説得力ないし〜
と思った方は、ぜひ読んでみてくださいね。
(まだ完結していませんので第1話からどうぞ)