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香典とか(喪中につき〜その3)

あああ……
年末に発熱し、そのまま年を越してしまった〜〜
となりの部屋から紅白歌合戦の音声だけが途切れ途切れに聴こえる……

年が明けてすでに3日目、ようやく完全復活状態です。
※あのね〜池上さんがテレビで言ってたけどね〜
「冷温停止」と「冷温停止状態」は似て非なるものらしいですよ〜
「居酒屋貸し切り」と「貸し切り状態だった」は違うでしょ?って解説されてましたよ。

さて、普段ほとんど親類と付き合いのないクリキンディ家では、
滅多にお目にかかれない「身内の死」を通して、
またまたいろいろ学ばせて頂いている最中でございます。

ここで「香典」についてちょっと考えてみたいと思います。

今まで、友人や仕事関係の知り合いの家族の訃報を受け取った場合、
都合がつく限り、通夜か告別式に参列していました。
一緒に行くメンバーと金額を相談しながら…
そして、どうしても都合のつかない場合は、
参列する友人に香典袋を託して、
友人が持ち帰る「香典返し」を受け取る、というパターンばかりでした。
そのことに特に疑問を抱いていなかったんですね。

しかし、いざ遺族側になってみると、
どうもスッキリしないことだらけです。

クリキンディ家では、告別式を行わない、とだいぶ前から決めていましたが、
もし行っていたとしたら、
おそらく参列者のほとんどが「故人の顔も知らない」方ばかりだったと思われます。
クリキンディの職場の仲間には、
「香典も弔電も要りません」とお知らせしてありましたが、
そういうスタイルがどうしてもフィットしないと感じる方もいらっしゃって、
頂戴した方もありました。

また、「せめて焼香だけでも」と申し出てくれる友人もいましたが、
我が家は中心部から電車で30分以上かかる郊外です。
わざわざお線香を上げに来ようという友人を、
線香だけですぐにお帰り頂くなんてことできませんよね。
つまり、線香を上げにきた方があれば、
ご接待の時間を持つのが礼儀だと思いますが、
我が家にはその準備もありませんでしたので、丁重にお断りしてしまいました。

もちろん友人は心からお悔やみの気持ちを伝えたい、
そう思ってくれていることは痛いほどわかるのですが、
遺族にとっては、実は負担になることもあるのだと、はじめて実感したのです。

普段からよく人が訪ねてくる家であれば、負担にはならないかもしれません。
クリキンディ家は、ちょっと特殊な例と思って頂いた方がいいかも?

さて、故人を知らない人についてはそれで済みましたが、
「普段付き合いはないけど年賀状のやりとりはある」方へ欠礼ハガキを出したので、
しばらくしてから、電話と宅配便と郵便書留の嵐が続きました。

何か来るたびに、
「あぁ、今度は誰だろう」
とため息をつきながら電話や玄関に出ていく母があまりに辛そうだったので、
「香典とかお花とか頂くのはもうイヤだね〜」と話しかけてみると、
「そんなことないよ、うれしいよ!」と言い張ります。
ここからはクリキンディの勝手な想像ですが、
「亡き夫に対して、いろいろ送って頂くのは、夫が生前よい人であったことの証明のようでうれしい。
けれど、これらのお返しを考えると憂鬱だ。」
という気持ちなのかなぁ?という感じです。

さぁここから本題!
香典ってそもそもなに?
香典返しっていつからはじまったの?
ああ、こんな時にありがたいぐーぐる様。
http://kouden-gaeshi.net/article/38240624.html

この説が正しいとするならば、
「香典返しは頂いた金額の1/3‾1/2を目安にしましょう」
とか言って商品を売りたい人が、どこかの時代で絡んで来た、ってことですよ。
バレンタインデーと一緒じゃないですか!
「ホワイトデーは3倍返しが常識です」って宣伝してね。
もっと言えば、
クリスマスプレゼントだって、ものを売りたかったデパートの戦略です。
宗教をうまく取り入れる事で、消費者の財布の紐を緩めました。
そこに「子供のものもついでに買わせたい」と思ったおもちゃやさんが、
後の時代にさらに乗っかってきたわけです。

ちょっと話がズレましたが、
香典返しが欲しい〜と思って香典をお渡しする人などいません。
なのに、なぜこの風習がなくならないのかと言えば、
「あの人は常識のある人だ」と思われたい、
そこにたどり着くと思いませんか?

あ〜もう今日のクリキンディは、暴言吐いてますよね。
でも、もういいです。
mixi日記にも最近誰もコメントいれてくれないし、
嫌われてるのかもしれないけど、
あああ〜もうそれでも言いたい!

「香典これっぽっちしか入れないなんてケチな人と思われたくない。」
「香典返しが安っぽいケチな遺族と思われたくない。」
「葬儀に行けない代わりに香典を託したから私は義理を果たしていると思いたい。」
「せめて電話ぐらいしておかないと冷たい人だと思われるのがイヤ。」
「せっかく葬儀に出てくれた人にはお酒と料理でもてなさないと遺族として恥ずかしい。」
「今後の付き合いを考えて対処しておかないとね。」

とか、まだまだありそうですが、
亡くなった人を偲ぶことよりも、常識を守る事が優先されているように感じてしまったのです。
どうも、こういう「意義に納得できない一般常識」に乗っかるのが苦手なクリキンディ。

年の初めから葬式の話をしていることも常識はずれではありますが…
2012年、これからもどうぞおつき合い頂ければ幸いです。