<日本語の中に隠れた仏教>
普段何気なく使っている日本語の中に、実は仏教が隠れていることをあなたはご存知だろうか?
お正月の「挨拶」や「ご馳走」はもともと仏教用語だった!
そして、あの、お馴染みの商品名やあの漫画のキャラクターの名前までもが驚く事に仏教に由来していた?
日本語の中に隠れていた仏教、そこに教科書に載らない日本人の謎があった!
まずはこんな日常の風景の中から…
終末はいつもゴルフ三昧の夫がこの日も出発、ところが…
竹山扮するゴルフ三昧の夫:(玄関を開けようとして)「この玄関、ガタピシ建てつけ悪いなぁ。おい、お前直しとけって言ったろう。」
小島扮する妻:「ちょっとあんた!またゴルフ?今日いったい何の日か覚えてる?」
竹山:「ゴルフの日だろう?」
小島:「結婚記念日でしょうが!!このずぼらが!」
とまぁ、こんな日常風景の中に、実は仏教が由来の言葉が隠れている。
まずは日本語に隠れた仏教、身の回りのこんなもの編。
ガタピシと建てつけが悪かったこの「玄関」、
今では建物の主要な入り口を指す言葉ですが、これは仏教に由来する言葉だった。
玄関とは、もともと「玄妙な道に入る関門」という意味で、仏門に入る糸口を指す言葉だった。
それがやがて、寺の門、特に禅寺の入り口を表す言葉になり、それが広く一般の家の入り口を表す言葉になったのだ。
「ガタピシ」という言葉、これ擬声語だと思ったら、実は仏教に由来する言葉だった。
ガタピシを漢字で書くと「我他彼此」となる。
つまり、我と他人、彼とこれ、という相反する言葉を組み合わせた言葉で、
ものが対立してうまくいかない様を表す仏教用語だった。
それがいつの間にか、建てつけが悪いことを表す言葉になっていたのだ。
そして妻が叫んだ「ずぼら」も仏教に由来する言葉で、なんと坊主(ぼうず)の逆さ言葉だった!
それは江戸時代、戦乱は治まり、世の中は安定。
するとあろうことか、戒律を守らずお酒を飲んだり、女の人に手を出したりする、だらしないお坊さんが現れるように。
そんなだらしない坊主等を、人々は「ずぼう等(ら)」と呼ぶようになり、
やがてそれが短く「ずぼら」と変化して、今私たちが使う言葉になったと言うのだ。
そして、この夫婦のように、朝からごたごた揉めている、
その「ごたごた」という言葉は、実はあるお坊さんの名前に由来していた。
町人1:だからな、あれがああなったからあの場にあいつがきて…
町人2:だから、おめーさんの話はややこし過ぎるんだよ。
町人3:あの和尚の話みたいだね。
町人2:あの「ごったん和尚」な。
町人たちが、ややこしい話の代名詞に使ったごったん和尚、
実は鎌倉時代に実在した兀庵普寧(ごったんふねい)というお坊さんだった。
建長寺の住職だった、ごったん和尚、その説教は少々難解でややこしかったと言う。
すると人々は、ややこしい話のことを、この和尚にちなんで
「ごったんごったんしている」と言い出し、それがやがて、ごたごたしている、になったと言うのだ。
お次は日本語に隠れた仏教、よく使うことわざ慣用句編。
まずはこんなシーンで使われることわざ。
新年会シーズン、午前様で旦那が帰ってくると、嫁がまんまと居眠りしていた。すると…
旦那:「こりゃ、もっけの幸いだ。」
思いもよらない幸いという意味の「もっけの幸い」。
この「もっけ」とは実は、もののけ、お化けのことだった。
でも、なぜお化けが幸いなのか?
古来より日本人は、怨霊や、もののけを感じ、それを怖れてきた。
その怨霊や、もののけの退治に有効だと言われたのが、外国から渡ってきた仏教だった。
だから人々は仏教をありがたがった。
つまり仏教側からすれば、
日本に、怨霊やもののけがあったことが幸いして、全国に教えを広めることができた。
これはラッキー!もののけも幸いだった!ということなのだ。
もっけの幸いとは、もののけがもたらす、思いがけない幸運だった。
そして幸運と言えば、こんな諺にも…
旦那:「宝くじ買ってきちゃったんだ!果報は寝て待てって言うだろう?当たりますように!」
よく、よいことは自然にやってくるという使われ方をする
「果報は寝て待て」という諺、
この「果報」、仏教用語で、過去の行いの善悪に対して必ずそれに応じた結果がある、という意味の言葉だった。
つまり、因果応報ということ。
だから、過去によいことをすればよい結果が、でも悪い事をすれば、当然…
旦那:「はずれてんじゃないかよ〜!」
そして本来は、
「果報は練って待て」ということで、
努力なくして結果は得られないという意味の言葉なのだ。
一方、言葉だけではなく、仏教は知らず知らずの内に私たちの生活の中にも溶け込んでいる。
例えば新年の挨拶の、この「挨拶」という言葉、
これは師匠と弟子のこんなやりとりに由来する言葉だった。
弟子:師匠!今日こそ僕が「深いのか浅いのか」決めて下さい。
師匠:お前、なにか深い芸ができるのか?
弟子(小島よしお)の芸に対して…
師匠:浅〜!!遠浅だよ!
師匠と弟子の問答、この問答を禅宗では「挨拶」という。
というのも、挨拶の「挨」には「押す」、
そして「拶」には「迫る」という意味がある。
挨拶とは本来、押したり迫ったりしながら、互いの悟りが深いか浅いかを試すという意味の言葉なのだ。
それが今では日常的に礼を交わす言葉として使われるようになったのだ。
一方、「ごちそう」という言葉も、実は仏教に由来する言葉だった。
ごちそうを漢字で書くと(ご馳走)、走るという意味の言葉が使われていることがわかる。
ご馳走とは、まるで俊足の仏様、韋駄天のようなスピードを持つ料理人が、
新鮮な食材をあちこちから集め、走り回って準備してくれた、大変ありがたいもの、
という深い教えが込められていたのだ。
というわけで、お次は日本語に隠れた仏教、身近な食品編。
まずは、日本伝統のスイーツ「ぜんざい」。
名付け親はあの一休さんだった。
ある日、一休さんの一番目の弟子が、小豆を甘く炊いたものを出したところ、一休さんは喜んで食べました。
続いて二番目の弟子が焼いた餅を出したところ、これも一休さんは喜んで食べました。
そこで、三番目の弟子は、小豆を甘く炊いたものに、焼いた餅を入れて出した。
すると、一休さんは大絶賛!「善き哉」(よきかな)と叫んだ。
この「善き哉」という言葉は、仏が弟子を賞賛する時に使われる仏教語でした。
それを一休さんが使ったことで、「善き哉」は「善哉」(ぜんざい)という言葉になって、食べ物の名前になったとか。
仏教に由来する名前を持つのは伝統的なものばかりではありません。
こちら、子供から大人まで愛されている、乳酸菌飲料の「カルピス」。
創業者の三島海雲は、その名前を仏教にちなんでつけました。
仏教が生まれた古代インドのサンスクリット語で
「最上の味」を意味する「サルピス」という言葉を選び、
そこに当時流行していた、栄養素のカルシウムという言葉を合わせてできたのが
1919年に発売された、ご存知「カルピス」だったのです。
そして、仏教を開いたお釈迦様に縁の深い、あるひとりの女性に由来する、こちらの商品名は、
コーヒーフレッシュクリームの「スジャータ」。
それは、釈迦が悟りを開く前、まだ苦しい修行を続けていた時のこと、
そこに、ミルク粥を差し出した娘がいました。
そう、この女性の名前がスジャータさんだったのです。
まだまだあります。日本語に隠れた仏教、今度は意外なものの名前編。
まずはこちら、日本を代表するカメラメーカー「Canon」(キャノン)。
社名の由来は仏教に関係していた。
1934年、キャノンの前身である「精機光学研究所」は、初号期とも言える試作機を完成させた。
実はこの時、観音様の御慈悲にあやかり、世界で最高のカメラを作りたいと、
この試作機には「Kwanon」(カンノン)という名前がつけられた。
こちらがその時のマーク。
なんと中央に千手観音が描かれている。
それが翌年、本格的なカメラの販売開始に向け、世界で通用するブランドにしようと、
英語で「聖典・規範・標準」といった意味を持ち、
なおかつ発音が観音に似ている「キャノン」に変更されたのだ。
そしてあの漫画のキャラクターが実は仏教に由来する名前だった。
ご存知「天才バカボン」。
その名前の「バカボン」について、連載第一回目の表紙では
「バカボンとは、ばかなぼんぼんのことだよ」と書いてある。
しかし、バカボンの名前の由来には、他の説が存在するという。
ひとつの説は、英語の「バガボンド」=放浪者に由来しているという説。
そしてもうひとつの説は、なんと、仏教を開いたあのお釈迦様に由来するという、驚くべき説だった。
その説によれば、バカボンを漢字で書くと「薄伽梵」(ばがぼん)となって、
これは仏教で言う釈迦の尊称、つまりお釈迦様を表す言葉だった。
さらに、「これでいいのだ」というパパの決まりゼリフ、
釈迦の悟りの境地を表しているというのだ。
果たしてその真相は?我々は、作者赤塚不二夫さんの事務所を直撃した。
フジオ・プロダクション 桑原正人さん:
「そういった説があるのは知っておりますけれども、
公式にそういった設定があるということはございませんし、
赤塚不二夫がそういった考えの上で、
タイトルを決めたりキャラクターを描いたという事も聞いておりません。」
残念、やはりバカボン=お釈迦様説は間違いなのか。
ところが!諦めきれないスタッフは、
バカボン=お釈迦様説を裏付ける新たな材料を発見した!
なんとバカボンに登場する、あのレレレのおじさんには、お釈迦様に関係の深いモデルが実在するのだ。
われわれはそのモデルの像があるという島根県のお寺を直撃した。
一畑薬師 管長 飯塚大幸さん:
「はい、ございます。それは、周利槃特尊者(しゅりはんどくそんじゃ)という仏様です。
この仏様はですね、お釈迦様のお弟子さんの一人で、自分の名前が覚えられないほど、頭が良くない方だったそうです。
それでお釈迦様からほうきを渡されて、一生懸命掃除をしなさい、と言われた人なんです。」
実はレレレのおじさんは、連載当初、ほうきを持っていなかった。
それがいつのまにか、ほうきを持つように変わっていったのだ。
一体何がきっかけで赤塚先生はほうきを持たせたのか?
一畑薬師 管長 飯塚大幸さん:
「そしてある時、ついにですね、仏様の教えが分かったんですね。
掃除をしているのは、実は自分の心の塵を払っているんだと。」
掃除によって悟りの境地に達した「周利槃特尊者」。
はたしてレレレのおじさんのモデルなのか?
そして我々は、ついにその写真を入手した。
これが「周利槃特尊者」の像。
顔は確かにレレレのおじさんにそっくりだ。
そしてその手には確かに、これは「はたき」?
とにかく我々は再び赤塚先生のプロダクションを直撃した。
フジオ・プロダクション 桑原正人さん:
「読んで頂いた方に、好きなように解釈して頂くのもひとつの楽しみ方だと思っていますので。」
レレレのおじさんにはモデルがあったのか?
バカボンは果たしてお釈迦様だったのか?
それを決めるのは、あなた次第。
この他にも、もともと仏教用語だった言葉、まだまだありました。