<怨霊と仏教>
日本を代表する仏像、東大寺の大仏、作られた当時は世界一の大きさを誇った。
しかし、ここでひとつの疑問が。
当時の日本は仏教が伝来してから間もない、アジアの小国に過ぎなかった。
そんな中、なぜ世界一の仏像を作ることにしたのか。
そして、現在でもコンビニより多い寺の数。
仏教徒と意識しなくても、寺に初詣に行く人々。
なぜ仏教はここまで受け入れられたのか。
そこには教科書に載らない日本人の謎が隠されていた。
明治天皇の夜叉孫で、「怨霊になった天皇」などの著作を持つ作家の竹田恒泰さんはこう語る。
旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田恒泰さん:
「日本でこれほど仏教が広まったのは、
天皇が仏教を取り入れようと言ったからに他ならないからです。
そして日本が鎮護国家、すなわち、仏教の力を借りて国をまとめようとしたのは、
怨霊に対する怖れが大きな理由だったのです。」
そこには日本最初の怨霊と呼ばれる人物が関わっていた。
日本最初の怨霊とは、どういう人物だったのか。
その人物の遺骨を葬った土地では、農民が次々と死に、
都には疫病が大流行したと怖れられた。
その人物の名は、「長屋王」(684〜729)。
長屋王は天武天皇の皇子と天智天皇の皇女の間に生まれた。
いずれ天皇になってもおかしくない生まれ。
事実、重要ポストを歴任していた。
だが、当時、朝廷では藤原氏が台頭。
藤原氏の4兄弟は天皇と姻戚関係を結ぶべく、妹の光明子を聖武天皇の皇后にしようと働きかけて、
長屋王はこれに強く反対し、藤原氏と対立した。
旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田恒泰さん:
「長屋王はですね、サラブレッドみたいな存在でして、
天智天皇の孫で天武天皇の孫である、そして左大臣という政治の一番高い位置を占めていた、
そういう重要なポジションにいたため、藤原氏から恨みを買って、蹴落とされたんだと思います。」
729年、政府への密告があった。
長屋王が密かに国家を転覆しようとしているというのだ。
藤原4兄弟らが率いる軍勢は、これ幸いと、長屋王の邸宅を包囲、
弁明する余地も与えられぬままに、長屋王は自害に追い込まれ、妻や家族も後を追って果てた。
しかし、長屋王の死後、異変が相次ぐ。
「日本霊異記」によると、
長屋王の遺骨を土佐の国に移して葬らせたところ、農民たちの変死が相次ぐようになり、
このままでは「親王の怨霊で、国中の農民が死んでしまうので、埋葬場所を変えて欲しい」
という嘆願書が役所に出された。
これが日本最古の説話集に記述された怨霊の記録。
さらに都には疫病が発生して大流行。
大勢が死に、長屋王を抹殺したと考えられる藤原4兄弟は、わずか4ヶ月の間に次々と命を落とした。
この祟りに対し、聖武天皇が神道以上に頼ったのが仏教だった。
疫病の流行が止むことを祈願して、各地に釈迦像を造り、大般若経を写すことを命じた。
741年にはすべての国に、巨大な寺院をふたつずつ作る、国分寺創建を宣言。
さらに743年には大仏建立を発表。
旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田恒泰さん:
「よく教科書で、大仏は疫病が流行ったから造られたと言われていますが、
その疫病自体が、長屋王の怨霊だと怖れられていました。
聖武天皇は大仏を建立して、出家してしまうんですよ。
現職の天皇が出家するというのは、大変な事件でして、
国民は、天皇は神だと思っている、その神が出家して仏に額ずいてしまう、
これを見た国民は、仏とはそういう存在なのか、という風に見た訳ですね。」
聖武天皇の孫の時代にも怨霊は生まれた。
桓武天皇の即位時に皇太子となった、兄弟の早良親王は、
父である光仁天皇の死後、孤立。
その後陰謀に巻き込まれ36歳で憤死して怨霊に。
3年後、桓武天皇が30歳で死去、皇后が31歳で死去、
そして次期天皇の皇太子までが、精神疾患に。
ここで桓武天皇はある決意をする。
旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田恒泰さん:
「当時、都は怨霊の跋扈(ばっこ)する非常に危険な状態であるという風に信じられていまして、
その怨霊から逃れるために、遷都をする、これが桓武天皇の考えだったようです。
794年、桓武天皇は、建設途中の長岡京を放棄し、平安京への遷都を発表、
この事が、日本の仏教界のふたりの巨人、最澄と空海の運命を変えていく。
実は桓武天皇が遷都した平安京の、魔が入ってくると言われる
「鬼門」の方角に当たる寺に籠っていたのが最澄だったのだ。
桓武天皇は、平安京を怨霊から守るため、最澄に興味を持つ。
802年には最澄を国費留学生として唐に派遣することを決定。
最新の仏教を学んで、怨霊がもたらす疫病や死から、親族や民を守ってもらうためだった。
旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田恒泰さん:
「仏教というのは東アジアの最先進国である中国、朝鮮で用いられていますから、
力があると思われていたんですね。
ですから荒れ狂う怨霊を前にして、
仏教の力を借りれば鎮められるんじゃないかと考えていたと思います。
事実、最澄が唐から戻ってまずしたことは、病床の桓武天皇への祈祷だった。
だが、その甲斐も虚しく桓武天皇は亡くなる。
その後を継いだ息子の平城天皇は、
弟の伊予親王を、謀反の疑いで服毒自殺に追い込み、怨霊化させてしまう。
自分も2年そこそこで身体の不調を訴え、弟に譲位、
その後、弟の嵯峨天皇と対立し失脚。
今度は自分自身や子供までもが怨霊化することに。
旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田恒泰さん:
「桓武天皇亡き後も、平安京は怨霊に悩まされ続けます。
嵯峨天皇は、空海が中国から持ち帰った密教に非常に興味を持ちまして、
今までにない特別な霊力を持った、ベールに包まれた密教を取り入れていこうとします。」
空海の密教パワーを確かめたかった嵯峨天皇は、
日本中に疫病が流行った際に空海に祈祷を命じる。
すると今まではびこっていた病気はたちまち治り、人々は回復に向かったという。
嵯峨天皇は空海への信頼を深め、823年には京都の東寺を空海へ与える。
後には宗派の違う東大寺の役員まで空海に委任。
嵯峨天皇の次の淳和天皇も、空海に怨霊を鎮める法会を依頼している。
空海は、都の怨霊封じとしても期待を集めている。
旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田恒泰さん:
「空海が持ち帰った密教というのは、
これまでの仏教と違って、仏にすがるだけではなくて、
自分たちも修行して高めることによって、自然のいろいろなものまでも動かしていく可能性がある。
このような密教に大変な人気が集まります。
ですから、貴族、天皇、そういった人たちも密教を取り入れるようになります。」
神道の中心である天皇が、仏教の密教儀式を行っていた。それはどういうことなのか?
旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田恒泰さん:
「天皇一代にあたり、一度しか行われない即位儀礼、
天皇が天皇になるための儀式ですが、
従来は神道の儀式だけでした。
ある時そこに仏教の儀式も行われるようになります。」
なんと天皇は、即位の時、密教儀式を行っていたというのだ。
竹田さんの監修のもと、再現を試みた。
その驚くべき内容とは。
天皇の即位式の最も重要な儀式、「紫宸殿の儀」(ししんでんのぎ)は
京都御所の御正殿である「紫宸殿」で行われる。
板敷きの空間の中央に、高御座(たかみくら)が置かれている。
高さおよそ5メートル。
平面八角形で柱と柱の間に帳(とばり)を巡らし、内部には椅子が置かれている。
ここに座ることで、天皇の即位が象徴的に示される。
この高御座に着席された後、天皇の密教儀式が行われていたと言うのだ。
天皇が、女官の差し出した「さしば」で覆われている時にしていることとは?
密教で仏を表すポーズ「印相」を組み、
仏を意味する言葉「真言」を唱えると言うのだ。
印相、真言、どちらも大日如来を示すものだったと考えられている。
旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田恒泰さん:
「なぜそのような重要な儀式に仏教が取り入れられたかと言いますと、
その時、もう神仏習合が進んでいました。
それで、神道の世界では天照大神、もっとも貴い神様、
これが仏教で言う大日如来に該当する、こんなような考え方がされるようになりました。
天皇は即位の儀礼の時に、神道儀式を行うことによって、天照大神の霊力を受け、
そして仏教儀式を行うことによって、大日如来の霊力を受ける、
これで天皇は完成すると考えられたんですね。
即位勧請というのは、平安時代に始まって、最後は幕末の孝明天皇まで続けられました。」
そして明治維新、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で仏教を叩いた新政府、
日本に仏教の霊力は必要とされなくなったのだろうか?
実は、明治天皇は、自らの即位の前日に、ある怨霊の鎮魂を丁重に行っていたという。
その人物こそ、日本史上最大の怨霊と呼ばれる、讃岐の地で憤死した崇徳天皇。
無実の罪に陥れられた崇徳天皇は、天皇家への呪いの言葉を残し、憤死。
以後、鎌倉時代から江戸時代まで、武士の時代が続いたのは崇徳天皇のたたりだと信じられていた。
武士の世を終わらせるため、明治天皇は崇徳天皇を丁重に祀る必要があった。
この大事なまつりごと、崇徳天皇の御霊を京都にお迎えするにあたって、
神道、仏教、両方でお祀りがなされた。
旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田恒泰さん:
「700年ぶりに、崇徳天皇の御霊を四国から京都にお移しする時も、
神道の儀式と仏教の儀式と両方が行われています。
このように、日本人は、神様と仏様、両方を大切にしながら、
平安時代から今まで神仏分離を経ても、両方区別する事なく、大切にしてきたわけです。」
あなたが、神社と寺を区別せず、
神様にも仏様にも同じようにお祈りしてしまう理由、
教科書には載らない日本人の謎には、こんな歴史が隠されていたのだ。
<プロローグ>
<仏教の謎>
<日本語の中に隠れた仏教>
<宗派について>
<最澄と空海>
<怨霊と仏教>