今日めちゃくちゃ時間のかかる作業をしていたのですが、
あやうく「無駄」になるところでした。
辛うじてセーフだったのですが、もしアウトだったとしたら、
私の「努力した時間」を評価してくれる人はいたんだろうか……。
よく「子供はほめて伸ばす」とか
「私、ほめられて伸びるタイプだから」とか言いますが、
ほんとにそうなのかなぁ?と最近疑問に思っているクリキンディです。
子供を例にとってみましょう。
「たくさん食べたの、偉いね〜!」
「転ばないで歩けたね、すごいすごい!」
「お手伝いしてるの?偉いね〜」
「難しい漢字が書けるんだね、すごいなぁ」
「100点とったの?じゃご褒美あげようね」
「遅刻せずに一年間通いました。表彰します」
「偏差値の高い高校に合格したの?頭いいんだね〜!」
まぁ、これらの「ダメな例」も一応あげてみますか。
「さっさと食べなさい!大きくなれないよ」
「よそ見するから、すぐ転ぶのよ!もうこんなに汚しちゃって〜」
「ゲームばかりしてないで手伝いなさい!」
「こんな簡単な字も読めないの?」
「50点しかとれなかったの?もっと勉強しなさいよ」
「遅くまでゲームしてるから朝起きられないのよ、もうゲーム禁止!」
「お母さんは、こっちの高校を受験するのは反対だわ」
きゃ〜!自分が子供の立場だったら、やっぱりほめられたいわ〜!
だけど、親の立場では、ダメな言葉がけを山ほどやっちゃってるし…。
さて、本題。
一見「ほめて育てる」っていいことのように見えますが、
実際は、親の「価値観を子供に押し付けているだけなんじゃないかな、と思うのです。
「たくさん食べたの、偉いね〜!」というのは、
たくさん食べる子はいい子、身体の大きな子は立派な子、
たくさん食べない子は、大きくなれないし、健康じゃないダメな子、
という価値観を、子供に植え付けているんじゃないでしょうか。
「お手伝いしてるの?偉いね〜」
という声がけは、
「人の役に立つ人こそ価値がある」という価値観になりませんか?
うちの父が、歳をとり、病気になったことで体力がなくなり、
いろんなことができなくなってきています。
母の買い物に付き合って運転することもできず、
テレビのアンテナを接続することもできず、
庭の植木の剪定をすることもできず、
屋根の雨漏りの修理も、トイレの水漏れの修理も、
犬の散歩も、猫のトイレ掃除も、
ほとんどできなくなっています。
食事すら、元気な時の三分の一ぐらいしか食べられなくなっています。
父親は、いろんなことができる人が「いい人間である」という価値観を持っています。
つまり、それらができない自分は「価値がない」と痛感しているのです。
もう完璧に鬱状態です。
何もできなくてもいい、
ただ、そこにいてくれればいい、
私の家族でいてくれてありがとう、
そんな風に声をかけてあげたいと思うのですが、
今までほとんど会話することのなかった父なので、
なかなか言い出せずにいます。
子供にも、
親の価値観を植え付けるだけの「褒め言葉」ではなく、
「そのまま、ありのままでいいんだよ、生きていてくれてありがとう」
って言えたら、
その子の「本当の個性」が見つかりやすくなるんじゃないでしょうか。
そうすれば、「自分が生まれてきた目的」をすぐに思い出せるのかもしれない。
な〜んてことを考えている秋の夜長でした。
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