「生き方・気付き」カテゴリーアーカイブ

制服は好きですか?

デパートになぜか人がたくさんいるなぁと思ったら、
中高生の制服売り場で順番待ちしている人たちでした。
もうそんな時期なんですね。

日本全国どこでもそうなのかどうかわかりませんが、
クリキンディの住む町では、
中高生の制服は「完全オーダーメイド」です。

その道の専門家と思われるおじさんやおばさんが、
メジャーを持って、
子供たちのサイズを測って記録していきます。
子供たちは、自分専用の洋服が作られる経験に、
ちょっと自分が大人扱いされているような、
くすぐったい気持ちを感じます。

でもね〜〜
成長期まっただ中で、
日に日にサイズが変わっていく時期の子供の
身体のサイズを測って何の意味があるんじゃ〜〜〜!

結局測ったサイズから、
なんとなく大きくなるであろうサイズを予測して、
(付き添っている親のサイズとかを観察しているらしいっすよ)
「現在はサイズの合わない」大き目の洋服を作っているわけです。

そもそも「オーダーメイド」ってのは、
その人の身体にピッタリ合うものを作ることに意味があるんじゃないっすか!?

新陳代謝も激しくて、汗かくし、
道路に座り込んだりもするし、
汚れるは、ほころぶは、洋服をちっとも大事にしない年代の子供に、
3年間で1着しか制服を与えないって、どうなんでしょう?
お金に余裕のある家庭ならともかく、
この制服のシステムっておかしいなぁと、
ずっと(自分が中学生の頃から)思ってました。

どうせ同じデザインなんだから、
普通に吊るしで各サイズを安く販売してくれたら、
身長が伸びたり、汚れたり傷ついたりした時に、気軽に買えるのにね。

で、こんな意味のないシステムが、
毎年毎年続けられている理由、
皆さんはおわかりですよね?

学校指定のデパートがあって、
そこから発注される洋裁店があって、
デパートからは学校側になんらかのマージンとかご接待とかあったりするかも……?

誰のための制服オーダーなんでしょうね?
子供たちのことを一番に考えるなら、
こんなシステムにはならないはず。

っていうかぁ〜〜〜
そもそも中高生に制服は必要なんでしょうか?
もちろんメリットがないとはいいませんよ。
だけど、
子供たちの個性の芽を伸ばせるとは思えません。

クリキンディったら、
たかが制服のことで、何をそんなに熱くなってるのさ、
と思っている皆さん、
一事が万事です。

この延長戦上に、
「地震多発国での原発推進」があるんですよ。
みんな、早くりんごを食べて、エデンを脱出しましょう〜!

←こういうシステムはいいと思うんですが…

若作り研究会

Print
つい先日見たテレビで、
「ホウレイ線のしわを浅くするための美容法」みたいなのをやってました。
残念ですが、その方法をここでお伝えするために
この記事を書いているわけではありませんよ〜!

女性の写真をふたつ並べて、
「ビフォー・アフター」的に比較していて、
確かにアフターの方が、ホウレイ線は少し薄くなったかなぁ〜という感じですが、
そのモデルの女性を見て、「若返って見える〜」と言う番組のコメンテーターの発言を、
なんだか違和感を持って見ていました。

はじめて会う人の年齢がわからない場合、
皆さんは、どこを見て○○歳ぐらいかなぁ〜って判断してますか?
お肌の張り?しわの数?
お化粧や整形をすることで、表面的な形は作ることができますが、
それでも、なんとなく
「この人とてもキレイだけど、私よりきっと年上だわ」
って思うこと、ないですか?

逆に、ちょっと老けて見えるけど、
この人は私よりきっと年下ね…
なんて思うこともありますよね。

一体、何を見てそう感じるんだろう〜?とずっと考えていました。

で、現時点での仮説!
クリキンディは、はじめて会う人のオーラで年齢を判断している!

いや…正直、オーラの色とか全然わからないですよ。
でも、その人がまとっている「生命エネルギー」みたいなものを、
きっとわからないなりに感じているんだと思うのです。

だから、外見だけ若作りしている人と、
内面が本当に(実年齢より)若い人は、
簡単に見分けられる気がしませんか?

冒頭の「ホウレイ線が薄くなった女性」の場合は、
ビフォー・アフターの写真を比較してみれば、
確かに見た目はちょっと変化しているけど、
本人の持っているエネルギー的なものが変化していないので、
クリキンディ的には、ちっとも若々しくなった印象を持てなかったんですね。

ということはですよ、
高いエステサロンに通ったり、整形なんかしなくても、
内的なエネルギーが変化したら、
見た目なんか、あっという間に変わっちゃうということにもなるわけですよ!奥さん!

そもそも、
なぜ実年齢より若く見られたいのでしょうね?
これ、ものすごく大きな勘違いをしているような気がしませんか?
実年齢より若く見られることが大切なのではなくて、
生命エネルギーに満ちあふれていることの方が大事なんじゃないでしょうかね〜?

まず目標を間違っちゃってるから、
若作りの方法を間違っちゃうんじゃないのかなぁ〜〜?
しわが増えたからって、そこに化学物質まみれの美容液を塗ったって、
身体の中に老廃物が溜まるだけですよね〜?

高い化粧品を買うよりも、恋をした方が、
人は若々しくいられる、って真実だなぁと思います。

ええ、ええ、
そうですとも。
クリキンディは、最近恋してないから老け込んでるのよぉ……orz

←こっちにはオーラ見える人がいっぱい!

エネルギーの奪い合い、与え合い

ちょっと前に「聖なる予言とでんじろう先生の実験」
という記事を書きましたが、
今日は、ちょっとわかりやすい出来事があったので、覚え書き。

片側1車線の古い国道を走っている時のこと、
右側の住宅地から、国道に出る市道に、
車が数台停車しています。
信号がなく、クリキンディが走っている国道の車線に出るために、
右折信号を上げて待っています。

クリキンディの進行方向、100mほどのところに大きな交差点があり、
信号は赤です。
反対車線から来る車もちょうど途切れています。
スピードも落ちていたので、市道から出てくる車を入れてあげるために、
一旦停止しました。
その瞬間、クリキンディの後ろにいた車がクラクションを鳴らしました。
「お前、なに道譲ってんだよ!こっちは急いでるんだよ」的なニュアンスです。

うーん、譲っても譲らなくても、この先は赤信号だし、
大して変わらないのになぁ…
出ようとしていた車は2台いましたので、
2台とも行かせたのですが、
2台目が国道に出る時に、再び後ろからクラクション。

よほど急いでいるのかと思いきや、
信号を超えて走り出したら、左車線に入って随分後方になってしまいました。
おそらく、「道を譲る」こと自体が嫌いだったのかもしれませんね。

これをエネルギー的に考えると、
道を譲っているクリキンディは、「道を譲って気分がよくなる」感じです。
道を譲られた人は、「気持ちよく譲られた」気分ですよね。

ですが、クラクションを鳴らされたクリキンディの気分は、
「エネルギーを奪われた」感じです。
そして、クラクションを鳴らした人は、「自分の時間を奪われた」気分なんじゃないでしょうか。

難しいですね〜。
誰かに与えることで豊かな気持ちになるけれど、
誰かから奪うことで、自分は奪われた気分になる。

振り返ってみれば、クリキンディの今までの生き方は、
「正しさ」を武器にして、相手を支配し、
エネルギーを奪うことを得意としてきたような気がします。
しかし、それではちっとも幸せになれなかった。
そんな大切なことに気付かせてもらえた出来事でした。

究極のシンパシー

ふたつ前に書いた記事<私はあなたの幸せを願っていただけなのに…>について、
友人と話していて、ひとつ気付かされたことがあったので、これも覚え書きを。

簡単にあらすじを振り返ってみます。
登場するのは、不幸な子供時代を送ったA子ちゃんと、
彼女にもっと明るく幸せになってもらおうと、がんばったB子ちゃんとC子ちゃん。
しかし、B子ちゃん、C子ちゃんの努力も虚しく、
A子ちゃんは、二人への恨みを募らせ、殺害してしまいます。

いったい、何をどうすればよかったんでしょうね〜?
友人と、いろんな推理をしてみました。

A子ちゃんは、あまりにも傷付き過ぎていて、
人の親切を受け入れるだけの余裕がまずなかっただろう、ということ。
例えて言うなら、散々虐待された野良犬が、
餌を与えようとしている人に向かって、噛み付いてしまうような…。

その餌が、本当に自分のものになる、おいしいものなのか、
それとも、それは罠であって、自分を痛めつけるために、見せているだけなのか、
もしくは、毒入りなのかもしれない、なんてことを、
あなたは、どうやって見分けますか?

直感を磨き上げている人ならいざ知らず、
普通は、その人の表情とか、言葉から読み取りますよね。
読み取って、過去のデータと照合、
安全なのか、そうではないのかを見分けます。

そのデータベースに、「人に優しくされた」「親切にされた」
という経験が極端に少ない場合、
やはり、噛み付く、という行動を選んでしまいそうですね。

B子ちゃんとC子ちゃんは、
傷ついているA子ちゃんのデータベースに、
「人に優しくされた」「親切にされた」という経験を増やしてあげたい、と考えていたはずですし、
実際にそのように行動したものと思われます。

ですが、A子ちゃんが本当に求めていたもの、
というか、親切にしてもらう前に、どうしても必要だった経験が、足りなかったのだと思うのです。
それは、シンパシー。

もしも、B子ちゃんとC子ちゃんが、
A子ちゃんと同じような、いじめの経験をひとつでも持っていたら、
きっとその接し方は違っていたはずです。

A子ちゃんの心の痛みは、同じレベルで理解してくれる人でなければ、癒すことができなかったのかもしれません。
それが、いつしか、
「私に親切にしてくれるなら、同じ痛みを分かち合えるはず」
という思いに至った可能性もありますよね。

「私は死ぬほど辛かったの。同じ気持ちを味わって欲しいのよ。」
それが、本人も気付かない、本当の殺害動機だったのかもしれません。

人の心に寄り添うこと、
その人の気持ちに寄り添い、
認め、受け入れる。

本当に難しいなぁと思います。
ついつい、「自分が正しいと思うこと」を主張してしまいがちな私。
ほんとに、人は死ぬまで学ばされるのね……

人気ブログランキングへ←あら、クリスマスイブだわ!プレゼントのつもりでポチッとお願いします!

私はあなたの幸せを願っていただけなのに…

ベストハウス123という番組があります。
ちょっと記憶が曖昧ですが、とても考えさせられる話だったので、覚え書きとして書いておきます。

主人公の女の子、A子ちゃんは、幼い頃から、髪が抜ける病気のため、ずっといじめられていました。
結果、誰にも心を開けず、友達もできず、暗い青春を送っていました。

高校に入っても、なかなか友達ができず、
ひとりで過ごすことの多いA子ちゃんのことを、気にかけていた上級生がいました。
B子ちゃんとC子ちゃんは、明るくて美人、友達も多く、学校の人気者です。

さみしそうな彼女に、なんとか明るくなって楽しい学生生活を送って欲しい、
そう思った上級生のB子ちゃんとC子ちゃん、
「A子ちゃん、友達になりましょう」と声をかけます。
それからいつも3人で行動するようになり、
「私たち、親友よね」と、楽しい時間を過ごすようになりました。
少しずつ笑顔を取り戻したA子ちゃん、
男の子とも話しができるようになり、明るくなっていきました。

ある時、校内で美人コンテストの催しがあり、
なんとかA子ちゃんに「自信をつけてもらいたい」と思ったB子ちゃんとC子ちゃんは、
「A子ちゃん、本当はかわいいんだから、もっと自信を持ちなさいよ!」と推薦。
なんと見事に優勝するのです。
実は、ふたりが、たくさんの友人にあらかじめ根回しをして、
A子ちゃんに投票するようにお願いしていたのですが…。

すっかり自信を取り戻したA子ちゃんには、
初めてのボーイフレンドもできました。
しかし、その彼はドラッグをやっていたり、A子ちゃんに暴力をふるったりして、
B子ちゃんとC子ちゃんは心配でたまりません。
彼を呼び出して「あなた、A子ちゃんを不幸にするから別れて」と詰め寄ります。

その後、上級生だったB子ちゃんとC子ちゃんは、先に卒業してしまいますが、
卒業式の数ヶ月後に、
自宅でボーイフレンドたちとくつろいでいるところを、
銃の乱射によって惨殺されてしまいました。

犯人は、A子ちゃんと、その彼氏。

なぜ、こんなにも親切にしてくれたB子ちゃんとC子ちゃんを、
殺さなくてならなかったのでしょう?
「別れろ」と詰め寄られた彼氏が、いやがるA子ちゃんに無理に銃を持たせた、
最初は、そう思われていました。

しかし、真相は、A子ちゃん自身の深い恨みによる犯行だったのです。
B子ちゃんとC子ちゃんは、確かにA子ちゃんのことを思っての行動でした。
ですが、A子ちゃんは、
「どうせ、あんたたちだって、いつか私をイジメるんでしょ」と
幼い頃からの経験から、二人を完全に信用できていなかったのです。

そして、美人のふたりと比べて、自分が劣ると感じていたA子ちゃんは、
「どうせ、私はあなたたちの引き立て役なんだ」と思い始めます。

さらに、美人コンテストでの彼女たちの根回しのことを知ったA子ちゃん、
「何よ、いい人ぶっちゃって、私に自信を取り戻させたいだなんて言ってるけど、
きっと、影で私のことを馬鹿にしてるんだわ」
と完全にひねくれモードです。

また、暴力をふるうとはいえ、はじめてできた大切なボーイフレンドに対して、
B子ちゃんとC子ちゃんは否定的です。
もう、自分の幸せを邪魔する人にしか思えません。

様々な恨みつらみを溜め込んだA子ちゃん、
「上から人を見下して!いい人ヅラして!さぞいい気分だったでしょう!」
そう言いながら二人を殺したのだそうです。

番組の再現ドラマの描き方を見る限り、
B子ちゃんとC子ちゃんには、まったく悪気はなく、
本当に親切心で、いろんなことをしているように見えました。

ですが、その親切心の奥底に、
A子ちゃんに対しての優越感が見え隠れしていたのではないかと思うのです。
「私は美人だし、モテるし、友達もたくさんいるけど、
A子ちゃんは不幸でかわいそうだから、なんとかしてあげなくちゃ」

こういうことは、実は、この彼女たちの話に限らず、
身近なところにたくさん起こっているんじゃないかなと思うのです。
相手のためによかれと思って行動していても、
その人にとっては「見下されている」と感じること、ありますよね。

正直、この一年闘ってきた、アーリマン奥目王子についても、
(詳しい話は、カテゴリ<アーリマン>をどうぞ)
私は、確かに彼を見下していたことに気付きました。
仕事上、正しいことを主張して闘っているつもりでしたが、
「使えない上司」と感じていたのは確かですし、
それを態度で表現してしまっていたのだと思います。

私は、幸い殺されることはありませんでしたが、
職場を追いやられたわけで、
まぁ、「彼の世界」から抹殺される、という状況は同じですね。

よかれと思ってしていること、
その行動が、もしかしたら、誰かを不快にさせてしまっているかもしれません。
いろいろ反省させられました。
ベストハウス123さん、ありがとう〜!

人気ブログランキングへ←あなたがこれを押してくれることで、クリキンディは決して不快にはなりません!