たけしの教科書に載らない日本人の謎<宗派について>

<宗派について>

仏教と一口に言っても、皆さんの近所のお寺を見てもわかるように、
真言宗とか浄土宗とか、色々な宗派があることはご存知だろう。
著名人の方々も色々な宗派に分かれている。
ちなみに、石原裕次郎は曹洞宗。
美空ひばり、芥川龍之介、宮沢賢治は日蓮宗。夏目漱石や島崎藤村は臨済宗。

ところで今田さん、ご実家はお寺だそうですが、何宗のお寺だかご存知ですか?もちろんご存知ですよね、正解は「日蓮宗」。

さて現在、日本の伝統的な仏教には10以上の宗派がある。

それらの宗派が、さらにいくつも枝分かれしているので、その派閥は160にも及ぶという。

ちなみに、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、浄土宗か、浄土真宗か、時宗。
座禅を組めば、臨済宗か曹洞宗。
そして「南無妙法蓮華経」は、日蓮宗である。

しかし、なぜ同じ仏教なのに、宗派がたくさんあるのか。
そもそも宗派とはいったい何なのだろうか?
そこにこそ、教科書に載らない日本人の謎が隠されているのだ。

それではまず、仏教の宗派とは何なのか、専門家に聞いてみると。

仏教研究家 正木晃さん:
「宗派というのは、お釈迦様の教えに対する学説の違いから生まれたんです。」

何?宗派とは学説の違いだった?!
今を遡ること2000年以上も前の、インドのお釈迦様が起源の仏教。
修行をすることで悟りを開き、人々を苦しみから救うというもの。
それが中国に伝わって来た時、お釈迦様の教えをどう解釈するかという研究が頻繁に行われたという。

中国の僧1:私はお釈迦様の教えは心の中にある、それ以外には何もないと考えております。
中国の僧2:いやいやお釈迦様が言うとるのは、そういうことではないんですよ。真理はすべて無限なんですよ。
中国の僧3:私はそうは思わないなぁ。戒律が大事、戒律を守ってこそ成仏できるんです。

そう、お釈迦様の教えをどう解釈するかで、見解が分かれていたのだ。
これを、大変失礼ながら、ラーメンに例えると…
麺をどう作るかにこだわる一派がいれば、
スープこそ命!とその味を追求する一派もいる。
そしていやいやラーメンの味はすべてのバランスである、と考える一派もいる。
というように、目指すのはおいしいラーメン、目標は同じなのだが、
そこに至る取り組み方が違う、というように、
仏教においても、目標は同じなのだが、
お釈迦様の教えをどう解釈するか、その違いでいろんな宗派が生まれることになったのだ。
それは、教典に書かれたお釈迦様の教えが、多岐に渡っており、いろいろな解釈が可能だったからだ。

最先端の宗教として、仏教が公式に日本に渡ってきたのは、538年だと言われている。
その時、時の朝廷に金の仏像が献上された。すると、時の権力者は…

小島よしお扮する権力者:
「これはこれは美しいこと。いや〜!カッコいいではないか!」

それは30cmにも満たない小さな仏像だった。が、仏像というフィギュアがよかった。

もともと日本にいた神様は、自然に宿ると考えられていて、
埴輪や土偶はあったが、神そのものを形にしたものはなかった。
山や森などの自然そのものが神だった。だから神様に形はなかったのだ。
それが、ピカピカの仏像という、いわばフィギュアに形を変えて目の前に現れた。
これはわかりやすい!
その衝撃は、村の演芸場しかなかったところに、突然ミュージカルがやってきたようなものだった!

仏教研究家 正木晃さん:
「それまで、日本の神々というのは、姿形をはっきり持っていませんでした。
そういう神々よりも、ずっと力がある、パワフルな神々として仏たちを受け入れた。
それが大きな原因だったろうと思います。
木や岩に宿る中に、ほのかに見えていたものが、バーンと出てくるわけですから、
その威力たるや凄まじいものだったと思います。」

仏像には、御丁寧に「国家の平安に効きます」という効能書きもついていた。
中央政権として勢力を築きつつあった大和政権は、これを利用しようと考えたのだ。
こうして日本人に徐々に気に入られていった仏教。

そして聖徳太子が政治の実権を握ると、仏教に基づいて国造りを進める。
聖徳太子は仏教の政治に大々的に取り入れる。
法隆寺や四天王寺が建てられたのは、そのため。

仏教研究家 正木晃さん:
「日本の神々の世界は、哲学や体系というものを持ちませんでした。
しかし仏教の場合は、高度な体系というものを持っている。
今流に言うと、システマティックなわけです。
ですからそのシステムを使うという考え方は、
国を造っていく上で、大変有効だったろうと思います。
例えば、真ん中に大きな仏様がいらして、これが世界の中心を司る。
で、世界を支えているという考え方は、
天皇を中心に、古代国家を造ろうとした日本には、とても向いていたと思います。
天皇を中心にする国を造っていくことと、
中心にある偉大な仏を祀るということが、
ほとんどイコールの関係になったんだろうと思うんです。」

仏を祀るから国を護って欲しい、という考えの元、
聖武天皇と光明皇后は、全国に国分寺、国分尼寺を建立。
さらに東大寺や法華寺が建てられた。
そして東大寺は、仏教の総本山として、教典を研究する場所になる。
お寺の中は研究所だったのだ。
僧侶は政府のブレーンとして、お寺の中でいくつもの宗派を分析して、国の政治に役立てていたのである。
今で言う国立研究所、あるいは、もっと言うと、東京大学のような国立大学を全部合わせたみたいなものだ。
だからこの時代、寺院のお坊さんは、国立大学の教授みたいなもので、民間に布教などしなかった。
仏教は民衆のものではなく、国のものだったのだ。

しかし奈良時代の末期、権力を手に入れた寺の内部に、腐敗が生じる。堕落した僧侶が現れるようになってしまった。

仏教研究家 正木晃さん:
「いわゆる悪僧と言われている人たちが出て、政治を混乱に陥れたと言われています。」

これはいかん!ということで、行われたのが、平安京遷都なのだ。
いきなり都を腐敗した奈良から京都に移して、一回お寺をチャラにしたのだ。

この混乱期に登場したスーパースターが、
本場中国で仏教を学んできた、帰国子女のお坊さん、
最澄と空海である。天台宗と真言宗の誕生だ。
彼らが唱えた仏教は、仏が国を護ってくれるという考えを受け継ぎながらも、
信仰によって民衆の救済も目指すと言う実践的なものだったのだ。
つまり、国家のためだけの仏教から、普通の人の魂を救う仏教へを変わって行ったのである。

仏教研究家 正木晃さん:
「鎮護国家という形で、国家を安全保障すると同時に、人々の救済にもあたる、
この二点が非常に偉大な点で、
この二人によって、日本の仏教の基礎が築かれたと言われています。」

ということで、最澄や空海の教えは、政権も支えるし、民衆にも広く伝わるものになった。
この二人のスーパースターに関しては、後でじっくり紹介するが、
それはさておき、最澄の時代からおよそ300年経った平安末期、
天台宗や真言宗はまだエリート学問だった。ちと難しかった。
そこへ現れたのが、法然という僧だった。

カンニング竹山扮する法然:
「これからの仏教はこれじゃ!南無阿弥陀仏じゃ。
これさえ唱えておれば、もう厳しい修行なんぞいらん。
皆、極楽浄土へ行けるのじゃ!」

法然の教えは、ちと難しい天台宗や真言宗と違い、サルでもわかるハウツー本のような仏教だった。
これが「南無阿弥陀仏」と唱え続ければ誰でも救われるという浄土宗である。

「南無」とは「どうかよろしくお願いします」という意味だ。
つまり、「阿弥陀様、どうか私を極楽浄土にお導きください」という念仏である。

仏教研究家 正木晃さん:
「それまでの仏教は、例えば病気になったら薬師様であるとか、
時と場合によって拝む対象を変えていたわけです。
南無阿弥陀仏というのは、阿弥陀様だけ、
たった一人の仏、たった一人の神、それ以外はダメって考え方ですから、
まさに一神教的です。」

この時代は、貴族の力が衰え、代わりに武士が台頭しつつある動乱期。
釈迦の教えも届かなくなるという末法思想が漂っていた。
不安なので、苦しい現世ではなく、死後の世界に、人々は救いを求めていたのである。
そんな時に、念仏だけを唱えれば救われるという法然の教えは、圧倒的に民衆の心に響いた。
さらにそれを進めたのが、親鸞の浄土真宗である。
これまで僧侶は結婚してはいけないとされていたにも関わらず、
親鸞は自ら妻帯し、悪人でも救われると説いたのだ。
いわゆる悪人正機説(あくにんしょうきせつ)というものである。
自分は仏になど救われない、と諦めている人々には、圧倒的な教えだった。
ただし、悪人の意味を誤解しないで欲しい。

仏教研究家 正木晃さん:
「悪人というのは、我々が考える犯罪者という意味ではなくて、
私たちはみな悪人だ、という認識に基づいて、その認識を持った者こそが救われると。
自分は善人だから偉いだろうとか、自分は救われるだろうと思っている人は救われない。
自分が悪人だという認識を持って、ひたすら阿弥陀様にすがって救われたい、
そう思っている人が救われる、という意味です。」

修行抜きでも念仏さえ唱えれば、誰でも極楽浄土へ行ける、
その簡単なやり方が民衆に広まり、
それまでエリート層の宗教だった仏教が、民衆にどんどん広まっていったのだ。
そして最澄や空海が仏教の基礎を日本に築いた時代から400年も経った鎌倉時代、
仏教にさらに大きな変化が起きる。

今や仏教をイメージすると必ず浮かんでくる「禅」の教え、
禅宗は鎌倉時代に広まった。
そのキーマンが栄西と道元である。
宗に渡って仏教を学んだ栄西たちは、当然、日本にないものを持ち帰ってこようと考えた。
それが「禅」である。
座禅を組むことによって悟りを開くという教えだ。
これは400年前にはなかったニューウェーブだった。
北野武が日本映画を変えたのと同じように、仏教の常識を打ち破ったのである。

もう一度ラーメンに例えると…
禅宗は、東京ラーメン、札幌ラーメン、九州ラーメンなど、
いろいろ出て来た後に登場した「つけ麺」みたいなものか?

ちなみに栄西は臨済宗、禅問答で悟りを開く。
道元はゆく年来る年で有名な永平寺の、バシッと肩を叩かれる曹洞宗である。
しかし、栄西が京に入って布教しようとすると、これまでの仏教が敵対心を隠さなかった。
京都、奈良の仏教は栄西にとって、大きな抵抗勢力だった。
そこでやむなく、栄西は、京都、奈良の影響力が弱い、鎌倉へ向かう。
すると、鎌倉で政権を握る、武士の倫理観に、
ニューウェーブ宗教、栄西の禅宗は大きく受け入れられた。

仏教研究家 正木晃さん:
「当時は大流行していたのは、極楽浄土へ行こうという阿弥陀信仰です。
これは阿弥陀様の力にひたすらすがる、いわゆる他力信仰です。
これに対して、禅宗は自分の心身を鍛え上げることによって、自らの力で悟ろうと考えたわけです。
当時、武士にとって、これはまったくピッタリの考え方で、
何しろ武士ですから、言い換えればファイターなわけですね。
ですから、いつ有事があるかわからない。
でもそういう時に混乱したら困るわけで、
平常心を保って、いつ何時でも対応できる、
そういう心と身体を作るために、禅が役に立つ、そう信じられていたのです。」

鎌倉幕府にも、ニューウェーブの宗教を使いながら、京都に対抗していこうという意思があったに違いない。
これを広めれば、武士を束ねるのにとてもいい宗教になるぞ!
こうして鎌倉五山をはじめとして、臨済宗の寺が建てられ、禅宗が広く武士に広まっていくことになる。
かつて天台宗が、国のエリート宗教だったように、
鎌倉武士たちにとっては、禅宗がエリート宗教になっていったのだ。

見れば、武田信玄も禅宗、上杉謙信も禅宗、そして織田信長も禅宗なのだ。
有名大河ドラマ方面は、み〜んな禅宗である!
武士たちにとって、禅宗は圧倒的な思想だった。
実はみんなが知っているこんなお寺が、みんな禅宗の臨済宗である。
金閣寺、銀閣寺、そして枯山水で有名な龍安寺(りょうあんじ)。
能や華道、茶道という文化も、禅宗から生まれてくるのだ。

一方、来世で人を救おうとする禅宗に対し、
現世で救うべきだと説いたのが、日蓮の日蓮宗だった。
日蓮は法華経という教典の中にこそ最高の真理があるとした。
南無妙法蓮華経と唱え、教典を信じることで救われると説いた。
そして強烈な個性によって教えを広めていったのだ。

ところが、経済力が増えた寺は、権力に対抗する武力を持つようになる。
一揆を起こしたりして、大名たちも手を焼くようになってしまった。
これでは大変と、寺を武装解除したのが豊臣秀吉である。

そんな日本が、全国みな仏教徒になる時代がやってくる。
それが江戸時代だ。
徳川幕府は宗教反乱を怖れた。特にキリシタンを排除しなければならない。

そこで、徳川家綱の時代に始まったのが寺請制度。
寺請制度とは、
「国民は、身分・職業に関係なく、住まい近くの寺に住民登録をする」というもの。
これは、幕府にもお寺にもメリットがあった。
幕府は役人を使わずに手間が省けるし、お寺は確実に信者を得る事ができる。
住民票はお寺が発行。
出生届、住所変更、結婚、出稼ぎや旅行の際にも、必ずお寺から証文をもらわなければならない。
こうすることで、全国民を仏教という網で囲い込み、
キリシタン信者や、反乱分子が抑え込まれることになった。

今や、葬式と言えばお寺だが、江戸時代にはこれが大きな意味を持っていた。
誰かが死ぬと、キリシタンではないことを確認するのもお寺の役目。
今で言う役所の仕事をお寺がやっていたのだ。
お寺は葬式と墓地をしっかり管理し、国民を把握しておく役目を担っていた。
だから、ある地域に曹洞宗のお寺があれば、その地域の住民は、みんな曹洞宗。
隣に臨済宗のお寺があれば、その地域の住民は、みんな臨済宗だった。

小島よしお扮する町役人:(町人に向かって)「ここに引っ越して来たの?だったら、今日から臨済宗。」
竹山扮する町人:「え?ちょっと待って下さい、うちは代々浄土真宗でして…」
町役人:「そんなのかんけ〜ねぇ!」
町人:「それ2008年とかにやったギャグでしょ…」

どの宗派かなど関係なし!問答無用の全員登録制だったのである。
地域の子供を預かって勉強も教えた。文字通り寺子屋である。
お寺がこういう存在になったおかげで、宗派同士の争いもなくなり、今日のお寺の土台が作られた。
その制度が大きく崩れたのが明治時代。
明治政府は、新たな制度で戸籍を登録するようになった。
お寺はお役ごめんとなったわけだが、それでも墓の管理をごっそり変えるわけには行かない。
今、お寺にお葬式とお墓が残っているのは、こういう江戸時代の思惑があったからだった。
たくさんの宗派が日本に残っているのは、このような歴史があったからなのである。

<プロローグ>
<仏教の謎>
<日本語の中に隠れた仏教>
<宗派について>
<最澄と空海>
<怨霊と仏教>

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たけしの教科書に載らない日本人の謎<日本語の中に隠れた仏教編>

<日本語の中に隠れた仏教>

普段何気なく使っている日本語の中に、実は仏教が隠れていることをあなたはご存知だろうか?
お正月の「挨拶」や「ご馳走」はもともと仏教用語だった!
そして、あの、お馴染みの商品名やあの漫画のキャラクターの名前までもが驚く事に仏教に由来していた?
日本語の中に隠れていた仏教、そこに教科書に載らない日本人の謎があった!

まずはこんな日常の風景の中から…
終末はいつもゴルフ三昧の夫がこの日も出発、ところが…

竹山扮するゴルフ三昧の夫:(玄関を開けようとして)「この玄関、ガタピシ建てつけ悪いなぁ。おい、お前直しとけって言ったろう。」
小島扮する妻:「ちょっとあんた!またゴルフ?今日いったい何の日か覚えてる?」
竹山:「ゴルフの日だろう?」
小島:「結婚記念日でしょうが!!このずぼらが!」

とまぁ、こんな日常風景の中に、実は仏教が由来の言葉が隠れている。
まずは日本語に隠れた仏教、身の回りのこんなもの編。

ガタピシと建てつけが悪かったこの「玄関」、
今では建物の主要な入り口を指す言葉ですが、これは仏教に由来する言葉だった。
玄関とは、もともと「玄妙な道に入る関門」という意味で、仏門に入る糸口を指す言葉だった。
それがやがて、寺の門、特に禅寺の入り口を表す言葉になり、それが広く一般の家の入り口を表す言葉になったのだ。

「ガタピシ」という言葉、これ擬声語だと思ったら、実は仏教に由来する言葉だった。
ガタピシを漢字で書くと「我他彼此」となる。
つまり、我と他人、彼とこれ、という相反する言葉を組み合わせた言葉で、
ものが対立してうまくいかない様を表す仏教用語だった。
それがいつの間にか、建てつけが悪いことを表す言葉になっていたのだ。

そして妻が叫んだ「ずぼら」も仏教に由来する言葉で、なんと坊主(ぼうず)の逆さ言葉だった!
それは江戸時代、戦乱は治まり、世の中は安定。
するとあろうことか、戒律を守らずお酒を飲んだり、女の人に手を出したりする、だらしないお坊さんが現れるように。
そんなだらしない坊主等を、人々は「ずぼう等(ら)」と呼ぶようになり、
やがてそれが短く「ずぼら」と変化して、今私たちが使う言葉になったと言うのだ。

そして、この夫婦のように、朝からごたごた揉めている、
その「ごたごた」という言葉は、実はあるお坊さんの名前に由来していた。

町人1:だからな、あれがああなったからあの場にあいつがきて…
町人2:だから、おめーさんの話はややこし過ぎるんだよ。
町人3:あの和尚の話みたいだね。
町人2:あの「ごったん和尚」な。

町人たちが、ややこしい話の代名詞に使ったごったん和尚、
実は鎌倉時代に実在した兀庵普寧(ごったんふねい)というお坊さんだった。
建長寺の住職だった、ごったん和尚、その説教は少々難解でややこしかったと言う。
すると人々は、ややこしい話のことを、この和尚にちなんで
「ごったんごったんしている」と言い出し、それがやがて、ごたごたしている、になったと言うのだ。

お次は日本語に隠れた仏教、よく使うことわざ慣用句編。
まずはこんなシーンで使われることわざ。
新年会シーズン、午前様で旦那が帰ってくると、嫁がまんまと居眠りしていた。すると…

旦那:「こりゃ、もっけの幸いだ。」

思いもよらない幸いという意味の「もっけの幸い」。
この「もっけ」とは実は、もののけ、お化けのことだった。
でも、なぜお化けが幸いなのか?

古来より日本人は、怨霊や、もののけを感じ、それを怖れてきた。
その怨霊や、もののけの退治に有効だと言われたのが、外国から渡ってきた仏教だった。
だから人々は仏教をありがたがった。
つまり仏教側からすれば、
日本に、怨霊やもののけがあったことが幸いして、全国に教えを広めることができた。
これはラッキー!もののけも幸いだった!ということなのだ。
もっけの幸いとは、もののけがもたらす、思いがけない幸運だった。

そして幸運と言えば、こんな諺にも…

旦那:「宝くじ買ってきちゃったんだ!果報は寝て待てって言うだろう?当たりますように!」

よく、よいことは自然にやってくるという使われ方をする
「果報は寝て待て」という諺、
この「果報」、仏教用語で、過去の行いの善悪に対して必ずそれに応じた結果がある、という意味の言葉だった。
つまり、因果応報ということ。
だから、過去によいことをすればよい結果が、でも悪い事をすれば、当然…

旦那:「はずれてんじゃないかよ〜!」

そして本来は、
「果報は練って待て」ということで、
努力なくして結果は得られないという意味の言葉なのだ。

一方、言葉だけではなく、仏教は知らず知らずの内に私たちの生活の中にも溶け込んでいる。
例えば新年の挨拶の、この「挨拶」という言葉、
これは師匠と弟子のこんなやりとりに由来する言葉だった。

弟子:師匠!今日こそ僕が「深いのか浅いのか」決めて下さい。
師匠:お前、なにか深い芸ができるのか?
弟子(小島よしお)の芸に対して…
師匠:浅〜!!遠浅だよ!

師匠と弟子の問答、この問答を禅宗では「挨拶」という。
というのも、挨拶の「挨」には「押す」、
そして「拶」には「迫る」という意味がある。
挨拶とは本来、押したり迫ったりしながら、互いの悟りが深いか浅いかを試すという意味の言葉なのだ。
それが今では日常的に礼を交わす言葉として使われるようになったのだ。

一方、「ごちそう」という言葉も、実は仏教に由来する言葉だった。
ごちそうを漢字で書くと(ご馳走)、走るという意味の言葉が使われていることがわかる。
ご馳走とは、まるで俊足の仏様、韋駄天のようなスピードを持つ料理人が、
新鮮な食材をあちこちから集め、走り回って準備してくれた、大変ありがたいもの、
という深い教えが込められていたのだ。

というわけで、お次は日本語に隠れた仏教、身近な食品編。

まずは、日本伝統のスイーツ「ぜんざい」。
名付け親はあの一休さんだった。

ある日、一休さんの一番目の弟子が、小豆を甘く炊いたものを出したところ、一休さんは喜んで食べました。
続いて二番目の弟子が焼いた餅を出したところ、これも一休さんは喜んで食べました。
そこで、三番目の弟子は、小豆を甘く炊いたものに、焼いた餅を入れて出した。
すると、一休さんは大絶賛!「善き哉」(よきかな)と叫んだ。
この「善き哉」という言葉は、仏が弟子を賞賛する時に使われる仏教語でした。
それを一休さんが使ったことで、「善き哉」は「善哉」(ぜんざい)という言葉になって、食べ物の名前になったとか。

仏教に由来する名前を持つのは伝統的なものばかりではありません。
こちら、子供から大人まで愛されている、乳酸菌飲料の「カルピス」。
創業者の三島海雲は、その名前を仏教にちなんでつけました。
仏教が生まれた古代インドのサンスクリット語で
「最上の味」を意味する「サルピス」という言葉を選び、
そこに当時流行していた、栄養素のカルシウムという言葉を合わせてできたのが
1919年に発売された、ご存知「カルピス」だったのです。

そして、仏教を開いたお釈迦様に縁の深い、あるひとりの女性に由来する、こちらの商品名は、
コーヒーフレッシュクリームの「スジャータ」。
それは、釈迦が悟りを開く前、まだ苦しい修行を続けていた時のこと、
そこに、ミルク粥を差し出した娘がいました。
そう、この女性の名前がスジャータさんだったのです。

まだまだあります。日本語に隠れた仏教、今度は意外なものの名前編。

まずはこちら、日本を代表するカメラメーカー「Canon」(キャノン)。
社名の由来は仏教に関係していた。
1934年、キャノンの前身である「精機光学研究所」は、初号期とも言える試作機を完成させた。
実はこの時、観音様の御慈悲にあやかり、世界で最高のカメラを作りたいと、
この試作機には「Kwanon」(カンノン)という名前がつけられた。
こちらがその時のマーク。

なんと中央に千手観音が描かれている。
それが翌年、本格的なカメラの販売開始に向け、世界で通用するブランドにしようと、
英語で「聖典・規範・標準」といった意味を持ち、
なおかつ発音が観音に似ている「キャノン」に変更されたのだ。

そしてあの漫画のキャラクターが実は仏教に由来する名前だった。
ご存知「天才バカボン」。
その名前の「バカボン」について、連載第一回目の表紙では
「バカボンとは、ばかなぼんぼんのことだよ」と書いてある。
しかし、バカボンの名前の由来には、他の説が存在するという。
ひとつの説は、英語の「バガボンド」=放浪者に由来しているという説。
そしてもうひとつの説は、なんと、仏教を開いたあのお釈迦様に由来するという、驚くべき説だった。
その説によれば、バカボンを漢字で書くと「薄伽梵」(ばがぼん)となって、
これは仏教で言う釈迦の尊称、つまりお釈迦様を表す言葉だった。
さらに、「これでいいのだ」というパパの決まりゼリフ、
釈迦の悟りの境地を表しているというのだ。
果たしてその真相は?我々は、作者赤塚不二夫さんの事務所を直撃した。

フジオ・プロダクション 桑原正人さん:
「そういった説があるのは知っておりますけれども、
公式にそういった設定があるということはございませんし、
赤塚不二夫がそういった考えの上で、
タイトルを決めたりキャラクターを描いたという事も聞いておりません。」

残念、やはりバカボン=お釈迦様説は間違いなのか。
ところが!諦めきれないスタッフは、
バカボン=お釈迦様説を裏付ける新たな材料を発見した!
なんとバカボンに登場する、あのレレレのおじさんには、お釈迦様に関係の深いモデルが実在するのだ。
われわれはそのモデルの像があるという島根県のお寺を直撃した。

一畑薬師 管長 飯塚大幸さん:
「はい、ございます。それは、周利槃特尊者(しゅりはんどくそんじゃ)という仏様です。
この仏様はですね、お釈迦様のお弟子さんの一人で、自分の名前が覚えられないほど、頭が良くない方だったそうです。
それでお釈迦様からほうきを渡されて、一生懸命掃除をしなさい、と言われた人なんです。」

実はレレレのおじさんは、連載当初、ほうきを持っていなかった。
それがいつのまにか、ほうきを持つように変わっていったのだ。
一体何がきっかけで赤塚先生はほうきを持たせたのか?

一畑薬師 管長 飯塚大幸さん:
「そしてある時、ついにですね、仏様の教えが分かったんですね。
掃除をしているのは、実は自分の心の塵を払っているんだと。」

掃除によって悟りの境地に達した「周利槃特尊者」。
はたしてレレレのおじさんのモデルなのか?
そして我々は、ついにその写真を入手した。
これが「周利槃特尊者」の像。

顔は確かにレレレのおじさんにそっくりだ。
そしてその手には確かに、これは「はたき」?
とにかく我々は再び赤塚先生のプロダクションを直撃した。

フジオ・プロダクション 桑原正人さん:
「読んで頂いた方に、好きなように解釈して頂くのもひとつの楽しみ方だと思っていますので。」

レレレのおじさんにはモデルがあったのか?
バカボンは果たしてお釈迦様だったのか?
それを決めるのは、あなた次第。

この他にも、もともと仏教用語だった言葉、まだまだありました。

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<仏教の謎>
<日本語の中に隠れた仏教>
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<最澄と空海>
<怨霊と仏教>

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たけしの教科書に載らない日本人の謎<仏像の謎編>

<仏像の謎>
あなたはお寺で拝んでいる相手が誰だか、ちゃ〜んと知っていますか?浅草寺で聞いてみると…
参拝客1:このお寺の神様ですかね?
参拝客2:わかんない
参拝客3:お寺だからお釈迦様ですか?

やはり皆さんご存知ない。お寺には仏様が、仏像という形で祀られている。
だが、一口に仏像と言っても、その種類は実に豊富だ。
誰もが一度は見た事があろう東大寺の大仏様や、一度は耳にしたことがあるであろう阿弥陀如来、不動明王、帝釈天、毘沙門天、
そして奈良の東大寺にある金剛力士像などなど。
ひとえに仏像と言っても、立っていたり座っていたり、笑っていたり、怒っていたり、
実は日本は世界一と言われるほど多種多様な仏像が数多く祀られているのだが、
一体どうしてなのか。そこには、教科書に載らない日本人の謎が隠されているのだ。
数多くの仏像、一番偉いのはどれなのか?それぞれどんな性格、役割を持っているのだろうか。

仏教研究家 瓜生中さん:
「まぁ仏像は種類が非常に多いことは多いんですけれども、
関係性っていうのはですね、非常に単純にできてるってことが言えるんですね。」

ということで、人間社会とよく似ているという仏像の世界をご紹介。
仏像の世界は大きく4つのグループに分かれている。

仏像界は、如来を頂点に、菩薩、明王、天、の順番で構成されており、
企業の中の役職のように、とても明確な上下関係が存在している。
そして、そのグループ内でもさらに細かな役割が決められているのだ。
仏像界でそれぞれどんな役割を持っているのか、
如来から順に、仏像が誕生した背景やキャラクターを見て行こう。

見るものを圧倒する大仏。この大仏が属すのが、仏像界でもっとも位の高い、如来グループ。
如来を企業の役職に例えると、社長、会長、名誉会長に当たる。
如来とは、真理に目覚め、悟りを開いたもののこと。
逆に言えば、如来以外の仏像はすべて悟りを開いていない、修行中の身ということだ。

世界最初の仏像は1世紀に作られた釈迦如来という如来の一種。
最初の仏像ができたのは、釈迦が死んでからおよそ500年後。
それまで仏像はこの世に存在しなかった。
しかし、仏教の布教には仏像が必要だった。
釈迦の姿を拝みたい、そんな信者たちの熱烈なラブコールに応えて、
ついに釈迦は仏像になり、釈迦如来となったのだ。
つまり、お釈迦様の仏像が作られたのだ。

仏教研究家 瓜生中さん:
「歴史が下ってくるとですね、だんだん仏教を信じる人の裾野が広がってきます。
それによってこういう仏がいたらいいなってことで、
我々のニーズに応える形で、様々な仏像がでてくるということです。」

その後も…

仏教徒:「民衆の間で病が流行っております。」
高僧:「釈迦の像を一心に拝みなさい。さすればお救いになられるでしょう。」
仏教徒:「でも、釈迦如来って何にでもご利益がありそうなんですけど、こう逆にピンとこないっていうか、なんか病気に効くストレートなやつ、ないですかね〜?」
高僧:「ん〜、じゃ、作っちゃう?」
仏教徒:「おお!それだ!作っちゃおう!」

こうした人々の願いに応える形で作られたのが、医療を中心に12のご利益を与えてくれるとされる「薬師如来」。
奈良時代は人気ナンバー1。健康の象徴としてふっくらとしている。
さらに極楽浄土への案内人とされる阿弥陀如来も誕生。
南無阿弥陀仏と唱えれば、成仏できるという手軽さが受け、阿弥陀如来は日本の寺院でもっとも多く祀られている。

さらには太陽を神格化した、大日如来など、教典に記された数々の如来が仏像となっていた。
ご存知、奈良の大仏は、毘盧遮那如来(びるしゃなにょらい)を仏像にしたもの。
一方、鎌倉の大仏は、同じ大仏でも阿弥陀如来。

様々な仏像が存在するが、如来は、釈迦が悟りを開いた姿を表しているため、
その多くが座っていて、衣をまとっただけの、とても質素な姿をしている。
釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、これら如来グループは、仏像界の頂点に立つグループなのだ。

続いて仏像界のナンバー2、庶民から圧倒的な支持を受ける菩薩グループ。
えも言われぬ微笑み、ほおづえをついて瞑想する弥勒菩薩(みろくぼさつ)。
そして皆さんお馴染みの観音様も、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。
お地蔵さまも実は地蔵菩薩。

企業の役職で言うと、部長などの中間管理職に当たる。
つまり、如来が悟りを開いているのに対し、菩薩は悟りを目指し、修行中の身。
上を目指して修行しながら、苦しむ人々を救う仏とされている。
菩薩とは、修行僧という意味の、古代インド語、サンクスリット語
「ボーディ・サットヴァ」が元になっている。
ちなみに、釈迦の次に悟りを開くと言われているのが、弥勒菩薩。
とは言っても、悟りを開くのは、宇宙の終わりと言われる、56億7千万年後。

仏教研究家 瓜生中さん:
「如来は大学教授とか裁判官みたいな、そういう語り口で我々に教えてくれる。
それを理解し難い人がいると、菩薩が同じ事をもっと優しく説いてくれる。
だから菩薩の方がより身近にいるということです。」

しかし、すべての人を救うには如来だけでは手が足りない。
ということで、菩薩は如来の脇に立ち、如来とユニットで作られることが多かった。
釈迦如来の脇には文殊菩薩と普賢菩薩。
文殊菩薩は知恵をつかさどり、普賢菩薩は修行をつかさどる。
「3人寄れば文殊の知恵」はこの文殊菩薩から来ている。

如来が座っているのに対し、菩薩は動物に乗っていたり、立っていたりしている像が多い。
この姿にも理由があるのだ。

アシスタント:「はい、あなたのお悩み解決します、でお馴染みのいつもニコニコ竹山サービスです。はいもちろんおまかせください」
カンニング竹山扮する竹山如来:「急に忙しくなったなぁ。不景気だからなぁ。じゃあお助け行ってくるか。よいしょ…(グキッと腰を痛めた竹山如来)あいたた!」
小島よしお扮する小島菩薩:「竹山如来、大丈夫です。あなたが動く必要はございません!ここは私が行って参ります!」
竹山如来:「まったく小島菩薩はフットワークが軽いなぁ。」

仏教研究家 瓜生中さん:
「要するに、菩薩はすぐ人々を救えるようにということで、立ち姿。
ちょっと腰をひねったり、片足をちょっと半歩まで行かないんですけど
踏み出している姿のものもあります。これは動きを表している。」

その他にも、菩薩は美しい布をまとい、宝冠やピアス、首飾りなどのアクセサリーを身につけた姿で作られる。
これは釈迦の出家前の王族時代の姿を表したからだという。

仏教研究家 瓜生中さん:
「まぁこれは私たち俗人に極めて近いということを表しています。
ですから、より身近な存在として非常に人気が出たと。
特に鎌倉時代以降、庶民信仰の中で非常に人気が出てきます。」

悟りを開いている如来よりも身近な存在として、そのきらびやかな外見も相まって、
菩薩は、上司の如来を凌ぐ人気を持つようになった。
それを象徴するのが、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。

仏教研究家 瓜生中さん:
「観音菩薩は、菩薩の中でも特に超人気者ということですね。
非常に優しい顔に作られて、こういうところが人気の秘密と言う事ですね。」

観音様はもともと男性でも女性でもないのだが、
優しいイメージで近づくものを広く温かく受け入れてくれるため、
いつしか仏像の姿も女性のイメージになり、爆発的人気に。

あまりの人気に、如来を差し置き、単独で活動するようになり、
さらに、人々の欲望のままに変身を遂げるようになる。
二本の手だけでは人々を救い切れないだろうと、救いの手を増やした結果が、千手観音。
世界中をもっと見渡してもらおうと顔を11に増やした十一面観音まで存在する。
京都三十三間堂の場合は、千体の観音像で千の手を表現している。これならどんな人だって救えてしまう。
さらに、大船観音、高崎観音などのように、手が増え、顔が増えるだけでなく
巨大化までして、いろんな人を救うのが観音様なのだ。

しかし、観音様はやはり、寺まで拝みに行かないと人々を救っては下さらない。
だが世の中にはもっと親切な菩薩がいるのだ。
みんなのヒーロー「アンパンマン」顔負けに、助けを求めてくれる人のところまでやってきてくれる、なんとも親切な菩薩、
それが、地蔵菩薩。そう皆さんの身の回りでもよく目にするお地蔵様も、立派な菩薩なのだ。
地蔵菩薩は人々を助けるため、自ら出向き、救いの手を差し伸べ、
ダメな人ほど救ってくれると言われる。
その結果、至る所で見受けられる仏様なのだが、なぜ親しみのある愛らしい顔をしているのか。

地蔵菩薩は、なんと地獄に落ちた人までも救ってくれると言われている。
親よりも先に亡くなった子供は、賽の河原で「親不子の責め苦」を受ける。
地獄の鬼から子供たちを救ってくれるのが地蔵菩薩。
そこで賽の河原から連想される「石」で作られ、顔も子供たちそっくりの丸い形で作られるようになったのだという。
上流階級がきらびやかな観音様に傾倒していく中、
お地蔵様は、その身近さから庶民たちのアイドルとなっていく。
言わば、自らの身体を投げ打ってまで助けてくれるアンパンマンのようなものか?

仏教研究家 瓜生中さん:
「地蔵菩薩っていうのは、いろんな民間の庶民のほんのささいな願いでも聞いてくれる。
あとは身代わりになってくれるという信仰が強いです。」

民衆の「助かりたい」「あやかりたい」という願いは、
やがて「身代わり地蔵」「とげ抜き地蔵」「子育て地蔵」「そうめん地蔵」「縛られ地蔵」
あげくは「化粧地蔵」など、全国様々なバリエーションを生んでいくことになった。

仏像界の第3グループは、怒りの形相で仏教の教えを広める明王。
昨年歌舞伎界のプリンス市川海老蔵が、結婚を報告した成田山新勝寺のご本尊が、
お不動様こと不動明王。
だが、海老蔵ゆかりの不動明王はなぜ怒っているのか?その秘密が明らかに!

京都の五重塔でお馴染みの東寺の講堂には、
不動明王を中心として、東西南北、4つの方向に4体の明王が配置されている。
東に降三世(ごうざんぜ)明王、
南に軍茶利(ぐんだり)明王、
西に大威徳(だいいとく)明王、
北に金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王と、
不動明王と合わせて五大明王と呼ばれ、日本中で信仰されている。
しかしこの仏像、他と違いみんな怒っている!
一体、なぜこんな怒りの形相で作られているのか。

仏教研究家 瓜生中さん:
「明王は密教で大日如来の化身、分身、これが明王です。
特に明王が救うのが、難解の衆生(なんげのしゅじょう)、
簡単に言うと、いくら言っても言う事を聞かない人。」

つまり…

小島よしお扮する 難解の衆生:「お兄さんいい子いますよ〜。」
竹山如来:「今日はいいよ。」
小島:「あれ?大日如来じゃないっすか。にょろっちゃいましょうよ!」
竹山:「うるさいよ。やめろって言ってんだろうが!」(キレて、着替え始める)
竹山:「不動明王に変身だ!」

大日如来が変身して悪を懲らしめる、これが明王だという。
明王は激しい煩悩を背後の炎と剣で焼き尽くし、
道に迷うものあれば、左手の縄で縛ってでも救うと言われている。
慈悲の心ではなく、怒りで仏教界を護る、
言うなれば、仏教界の闇の仕事人、裏のガードマンというわけだ。

仏教研究家 瓜生中さん:
「平安時代のはじめに、弘法大師が中国に留学して、
密教を学んで不動明王をはじめとする様々な明王を持ってきた。
当時の人としては非常に強い衝撃を受けたということは伝えられています。」

武力でもって力ずくで人を救う明王。
しかし、武闘派集団は明王だけではない。

仏像界の第4グループ「天」もまた煩悩を切り捨てる武闘派集団。
「天」とは耳慣れない言葉と思われるかも知れないが、
寅さんで有名な葛飾柴又の帝釈天や、
名前は聞いたことがあるはず、戦の神様、毘沙門天。
運慶、快慶で有名な東大寺の金剛力士像も「天」の一員。
見た通り、仏教界を護る、ガードマンの役割なのだが、同じ舞踏派集団の「明王」と一体何が違うのか?

仏教研究家 瓜生中さん:
「天は、インドの神話に出てくる神様ですね。」

「天」はもともと仏教界の一員ではないと言うのだ。
「天」とは、古代インド語のサンスクリット語で
「神」という意味の「デーヴァ」が語源。天は当て字。
仏教が広まる前のインドには、ヒンドゥー教という多神教が信仰されていた。
その中には最強の戦士インドラという神や、
ブラフマンという宇宙を作った創造神など、多彩な神様がいた。
インドラは帝釈天、ブラフマンは梵天として仏教に取り入れられていった。
もともといたインドの神様たちを、仏教を護るガードマンとして取り入れたのが「天」なのである。
いわば、正規軍ではないが、外から助けてくれる助っ人外国人のようなもの。

仏教研究家 瓜生中さん:
「これはインドの神話の中に出てくることで、様々な姿をしている。
だから菩薩とか如来よりもですね、よりわれわれに身近なものもあったということですね。」

例えば「天」の最高ランクに位置づけされる四天王と呼ばれる、
多聞天、広目天、増長天、そして持国天は、東西南北に別れ、如来、菩薩を守ると言われる。
甲冑に身を包み、四者四様、思い思いの格好をしているこの自由さが人気の理由。
足の速さを形容する韋駄天、死者の罪悪を裁く地獄の王、閻魔さまも「天」の一員。
そして「天」はしばしば四天王のように複数でユニットを組む。

小島よしお扮する仏像プロデューサー:「竹山ちゃん、センターはね、あの子でいいと思うのよ、ただね、武力が足りないなってことで、この子どう?」
竹山扮するアシスタント:「ああ〜、でもこの子、ちょっと商売繁盛のご利益が足りないんっすよね〜。この子、弁財天ちゃんでどうでしょうね?」
小島:「いいね、この4人で行こう!」

例)十二天:帝釈天、地天、毘沙門天、日天、羅刹天、伊舎那天、水天、風天、火天、月天、梵天、焔魔天。

このように、ご利益により、様々なユニットが考えられ、仏像として作られていった。さらには…

竹山:「小島さん!四天王のひとり多聞天が、武将の間で人気が出てるみたいですよ。」
小島:「そうなの?じゃ、いっとこうか!多聞ちゃんソロデビュー決定!」

四天王のひとり、多聞天は戦国時代に大ブームを巻き起こし、名前を変えて活躍する。
それが上杉謙信の守り本尊として有名な毘沙門天。
毘沙門天はさらに、弁財天、大黒天のふたりと一緒に、日本の神様ともユニットを組み、
七福神として日本にすっかり定着してしまった。

そして如来、菩薩、明王、天以外に、
空海、鑑真などの高僧も仏像となっている。
その年、その時代に合わせ、救いの形を進化させ、日本の民衆に愛されて来た、
如来、菩薩、明王、天などの仏像、願いの数だけいろんな仏像が欲しい!
そんな人間のご利益主義が、多種多様な仏像を生んだのかもしれない。

<プロローグ>
<仏教の謎>
<日本語の中に隠れた仏教>
<宗派について>
<最澄と空海>
<怨霊と仏教>

人気ブログランキングへ←長いお話なのに、ここまで読んでくれてありがとう〜!

たけしの教科書に載らない日本人の謎

2011年も10日も過ぎてしまいました!
ああ、まただらだらと過ごしてしまった〜〜

年末年始は、テレビも特番ばかりで、内容の薄いものが多い印象がありますが、
1月3日にOAされた、この番組は面白かった〜!
「たけしの教科書に載らない日本人の謎」
あまりに面白かったので、覚え書きとして記録しておこうと思います。
まずは、プロローグから。

<プロローグ>

あなたはもう初詣をすませましたか?お参りしたのは神社?それともお寺?
こちらが恒例の「初詣人気スポットランキング」
1位 明治神宮(東京都)→神社
2位 成田山新勝寺(千葉県)→寺
3位 川崎大師(神奈川県) →寺
4位 伏見稲荷大社(京都府) →神社
5位 鶴岡八幡宮(神奈川県) →神社

このベスト5を見てもわかるように、そこには神社とお寺が混在している。
さらに除夜の鐘は仏教、一方家に飾るしめ飾りや鏡餅は神道、お正月の習慣の中にも、仏様と神様は混在する。そう、日本人は神様と仏様を同時に拝む民族なのだ。

そもそも神社に祀られている神様とは、日本古来の神々のこと、一方お寺で拝んでいる仏様は、海外からやってきた、いわば助っ人外国人だった!

そもそも仏教が生まれたのは紀元前5世紀頃の古代インド。釈迦族の王子だった釈迦牟尼(しゃかむに)が、その地位や名誉を捨てて出家し、長年の苦行の末に悟りを開き、人々に教えを説いたことから始まった。この時釈迦は「人間は平等であり、中道というあるがままの生き方をする時に宇宙と一体になれる」と説いた。
そしてこの釈迦の教えが、インドから東南アジアへ伝わり、やがて中国、朝鮮半島を経て、日本に伝わったのだ。

しかし!
一言では語れない仏教、
あなたが初詣で拝んだ仏様は一体誰かご存知だろうか?
仏教を開いたお釈迦様?実はそうとは限らないのだ。例えば海老蔵さんの挙式でも注目を集めた成田山新勝寺。そのご本尊はお釈迦様ではなく、不動明王という仏様。
一方川崎大師のお大師様が誰かというと、こちら、弘法大師という日本人のお坊さん。
さらに、奈良の大仏様と鎌倉の大仏様は、同じ大仏でも種類が違う。
そして明王はなんで怒っているのか?
人気者の観音様はなぜ全国で巨大化するのか。
地蔵菩薩は仏様の中のアンパンマン?!
そして、たけし軍団にも似た、仏の世界の相関図。
美空ひばりと芥川龍之介、宮沢賢治が一緒で、石原裕次郎は違うってなんで?
日本にいろいろある宗派っていったい何が違うのか。仏教と宗派の関係はラーメンに似ているとはいったいどういうことなのか?

そして仏教は知らず知らずの間に私たちの日本語の中に溶け込んでいた。
玄関がガタピシ、ズボラにゴタゴタは仏教用語だった?
あの漫画のキャラクターの名前も仏教に由来していたってホント?
日本語の中に隠された仏教、そこに教科書に載らない日本人の謎があった!

そして日本仏教界が生んだ2大スーパースター、最澄と空海の登場!ふたりは既存の社会に反発する仏教界の尾崎豊だった?
さらに7歳年上の最澄が空海に弟子入り!しかしわずか2年で決別って一体なぜ?日本を変えたというこの二人。

ところで、日本全国にお寺はいったいいくつあるのか。いまや日本中どこにでもあるコンビニは、全国におよそ4万3千。
ではお寺はというと、これがざっと7万7千と圧倒的に多い。なぜ日本にこれほどまでにお寺ができたのか。そして神様を祭っていた日本に仏教がこれほどまでに浸透したのはなぜなのか?

旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田 恒泰さん:
「これは怨霊に対する畏れ、これが大きな理由だったと思います。」

そこには都に疫病を流行らせ、人々を恐怖のどん底に陥れたある怨霊の存在があった。
さらに神道の中心的存在である天皇は、即位の時、仏教の密教儀式を執り行っていた。

旧竹田宮家出身 慶応大学講師 竹田 恒泰さん:
「これによって天皇は完成すると。」

その秘密の儀式を今夜完全再現。そこに教科書に載らない日本人の謎が隠されていた。

そしてビートたけしは仏教の聖地のひとつ、高野山に足を踏み入れた。1200年も前に空海というひとりの天才が具現化した悟りの世界。たけしの前に空海直筆の国宝が。そして通常撮影が許されていない聖域に。そこには伝説が今も息づいていた。たけしは何を感じたのか。

たけしの教科書に載らない日本人の謎、「仏教と怨霊と天皇〜なぜ仏様を拝むのか?〜」


<プロローグ>
<仏教の謎>
<日本語の中に隠れた仏教>
<宗派について>
<最澄と空海>
<怨霊と仏教>

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現代文明に負けてる…?

クリキンディ、基本的になまけものです。
いや、そんな自信ありげに言う事じゃないっすけど…

ですが、この時期、大掃除なる行事がやってくるため、
仕方なく、ちょっとだけ(全部じゃないのかよ!)掃除しました。

普段から、地球環境のことを考えて、
また、身体に吸収される経皮毒のことを考えて、
ほとんど洗剤というものを使いません。

ですが、ベタベタの油汚れには、やはり苦戦します。
重曹とか、クエン酸とか、酢とか、スピリタス(アルコール度数95度以上のお酒)とか、
柑橘系のアロマオイル(混ぜ物が入っていないもの)とか、
基本的に、食品として使えるものを使うようにしているのですが、

ちょっと…高額です。
ついつい、そこにある合成洗剤に手が出てしまいました。
ああ、なんか現代文明の力に負けた気分です。悔しいし…

で、ちょっと思ったんですが、
換気扇の汚れって、油とほこりと煤が主成分ですよね。
それが、混ざって時間が経つと、
とにかく、べったべたになって、ちょっとやそっとじゃ分解できません。

もし、これが身体の中で起こってるとしたら…?
きゃ〜〜〜!
だって、呼吸器って、人間の換気扇みたいなものじゃないですか。
ついでに、消化器官を、排水管だと考えたら、
いろんなものが通過してるわけで、その壁に
べったりと何十年分の汚れがついている可能性は否定できません…。

年をとると、口臭や体臭がひどくなるのは、
古い排水管が臭うのと同じ理由なんですよね、きっと。

これは、まじめにデトックスを考えないといけませんね。

年の暮れ、
部屋の大掃除も必要ですが、
身体の大掃除も考えてみませんか?
あ、心の大掃除も必要かも?

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心のコンパスに従って生きていたら、いろんなことが見えてきました。