「移住しました」カテゴリーアーカイブ

移住しました その8「アメリカ西海岸への旅」

九州移住を一旦は決断したものの、なかなかうまく進まず、
いったいどこへ住めばいいのかと悩んでいたクリキンディ、
そこへまるで御神託のように舞い降りた「ニュージーランド」という国、
これは行くしかない!と勝手に思い込み、
どうやったら行けるのかと少しずつ調べ始めました。

するとニュージーランドでホームステイを受け入れている日本人の奥様を知り、
早速連絡をとってみることに。
しかし、3人目のお子さんを出産されたばかりでこの夏は受け入れが難しいとのお返事…。

スピ的に生きる人は、基本的に無理をしません。
流れを見極めてタイミングよく乗ることこそ、楽に目指す場所にたどり着けることを知っているからです。

なんだろう、ニュージーランドだと思ったのは単なる勘違いだったのか…。

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移住しました その6「お試し九州旅行」

2012年になり、一向に明るい兆しを感じられないまま、
クリキンディは体調不良だけでなく、だんだん鬱状態に陥っていきました。
生きているだけで、一歩歩くごとに体力と気力を奪われる…
そう、まるでこの町はドラクエの「毒の沼地」のようだ!
本気でそう感じていました。

しかし、この体調不良が本当に放射能によるものなのか、
それともネガティブな思い込みによるものなのか一度確かめたい。
そこで母と二人で九州旅行を企画しました。
10年ぶりに親類にも会って、移住に関する情報も集めたいと思っての旅行でした。

はじめに降り立ったのは熊本空港。
そこから阿蘇の麓までレンタカーで移動したのですが、
もうその途中で何度もトイレに行きたくなる。

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移住しました その5「移住を勧めてくれた人」

原発事故に対して危機感を持っていた人は、日本人の何パーセントいたんでしょうね?
新聞とテレビの情報を鵜呑みにして生きている母親とは随分ケンカしました。
完全に「放射脳」のレッテルを張られ、めんどくさがられていました。
それでも、やはり心のどこかで「危険なのかも…」という気持ちは拭えなかったんだと思います。
しつこく会話を続けるうちに少しずつ態度が軟化していきました。

小さなお子さんを持った方は、移住できなくてもせめて疎開を、という話なら皆さんもよく耳にしたと思います。
母子のみが移住して父親が単身で仕事を続ける話も多く聞きました。

「残念ながら」なのか「幸いに」なのかどうかわかりませんが、
クリキンディの息子はすでに成人していましたので、
母子に手を差し伸べる機関には縁がありません。

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移住しました その4「諦めて、そしてやりたいことをする」

2011年の夏、海沿いの津波被害のあった場所を除き、
町の中心部はほとんど日常を取り戻していました。
むしろ以前より活気があったかもしれません。
それは、震災に立ち向う!とか負けない!とかいう運動とは別に、
個人的な気持ちの変化だったと思います。

クリキンディが教えている音楽教室には、
「人間は、いつどうなるかわからない、と痛感しました。
だから、やりたいと思っていたことを先延ばしにするのをやめました」
という入会者が増えたんです。
同時にいろんなものが随分売れたと思います。
楽器もそうですが、車やバイク、今までなんとなく我慢していたものを、思い切って買ってしまおう!
そういう人は多かったと思います。
クリキンディも「道具が増えるからやらない」と決めていたレザークラフトを始めちゃいました。

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