2012年になり、一向に明るい兆しを感じられないまま、
クリキンディは体調不良だけでなく、だんだん鬱状態に陥っていきました。
生きているだけで、一歩歩くごとに体力と気力を奪われる…
そう、まるでこの町はドラクエの「毒の沼地」のようだ!
本気でそう感じていました。
しかし、この体調不良が本当に放射能によるものなのか、
それともネガティブな思い込みによるものなのか一度確かめたい。
そこで母と二人で九州旅行を企画しました。
10年ぶりに親類にも会って、移住に関する情報も集めたいと思っての旅行でした。
はじめに降り立ったのは熊本空港。
そこから阿蘇の麓までレンタカーで移動したのですが、
もうその途中で何度もトイレに行きたくなる。
クリキンディだけでなく、普段トイレに行く回数が人より少ない母までもが、
「なんだか随分たくさんおしっこが出るね」と言うのです。
念のために言っておくと、飛行機移動ではあまり頻繁に水分をとれないので、
いつもより水を飲んでいない状態だったにも関わらず、です。
阿蘇は空気も水もお料理もとてもおいしいところでした。
心なしか咳もかなり治まっています。
その後数日かけて楽しく旅は進みましたが、
福岡の空は黄色く煙っていました。黄砂でしょうね。
旅の終わり頃にはまた咳もぶり返していました。
残念ながら、完全に元気を取り戻すというわけにはいかなかったものの、
東北とは違う九州の空気感に心地よさを感じたのは確かでした。
クリキンディは、連休明けに職場に異動を打診してみました。
その時の上司の反応は、
「放射能を理由に異動ってのは会社的に通らないよ」というものでした。
どうしても異動したいなら「親のため」とか「介護」とかそういう通りのいい理由で申請してくれと言われたんです。
「震災後すぐにMさんは放射能を理由に異動したじゃないですか!」と食い下がると、
「だから言ってるんだよ、あの時社内では、Mさんはもう使えない人というレッテルを貼られたんだよ」
なんということでしょう。本当にショックでした。
放射能の危険性は認識されるどころか、それを表現する事で社会からつまはじきにされようとしているのか…。
それでも、以前からクリキンディが六ヶ所村のことなど勉強していたことを知ってくれていた上司は、
「とりあえず九州の担当者と連絡をとってみるから」と言ってくれました。
その夜「会社に異動願いを出したから」と母に伝えたところ、
母の口から思いも寄らない言葉が飛び出しました。
「私は九州には行かないよ」
な、なんですと………?
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ブログ版をかなり加筆、修正しています。
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