「つぶやき」カテゴリーアーカイブ

家が欲しい

クリキンディ家では、ただいま「家」を募集中です。
犬と猫を飼えて、眺めのよい、日当たりのよい、庭付きの素敵な家を探しています。

賃貸で「犬と猫」両方を飼える家は、まずありません。
不動産の知り合いに頼んでも、「うーん」と唸ったまま情報が出てきません。

貸してくれる人がいないのなら買うしかないね…。
もちろん、お金はありませ〜ん!
しかも、この不況でクリキンディの収入はガタ減りです。
なので、住宅メーカーが時々開催する、
「○○ハウスを○○万円でお譲りします」
というやつに応募してきました。

もちろん、住宅メーカーの目的は、
「家が欲しい」と思っている客を、ひとりでも多く、住宅展示場に呼び込むことです。
そして、申し込みに訪れた客に、
いかに自社の住宅が優れているのかを、懇切丁寧に説明してくれます。

クリキンディ、この住宅メーカーは、とても気に入っています。
お金があったら、本当にすぐにでも、この会社に頼みたいぐらいです。
というのも、
その説明の仕方が、とても「正直」なんですよ。

たとえば、最近の住宅の流行は「高気密・高断熱」です。
しかし、その方法をひとつ誤ると、
どれくらい家にカビが生えるのか、
実際の失敗例を正直に話してくれるのです。
そして、その失敗から、新しい工夫をして、
うまくいったことを、うれしそうに説明してくれます。

また、天井裏の地震対策について、
「もし、他のメーカーさんで建てる時にも、ぜひこの対策だけはやってくださいね、
これは法律上は対策しなくていいいことになってるけど、
ほんの数万円の出費で、耐震効果は10倍以上になりますから」

なんて説明してくれます。
もちろん、宣伝のためのセールストークかもしれません。
マニュアルに、そう言え、と書いてあるのかもしれません。

でも、なんというか、
そこの従業員さんたちは、
「言わされてる」感がないんです。
本当に、自社の製品に自信と誇りを持っていると感じます。

やっぱり、人に何かを売りたいのなら、
売るものに惚れ込んでいないとダメですよね。

技術の進歩の早い昨今、
半年も経つと、前よりよい性能で、しかも安いものが出たりします。
しかし、在庫を抱えたくないメーカーは、
古い型の製品を売り切ってしまうために、
いつ新製品が出るのか、どんな性能なのか、
ギリギリまでひた隠しにしています。

そのことを知っていて、トークだけで売ろうとする人は、
どれだけジレンマに苦しんでいるか…

「嘘をつく」って、自分の心を傷つけるのと同じことだなぁと思います。

ああ、嘘をつかないで仕事をしたいなぁ…

人気ブログランキングへ←今回申し込んだ家には「正直な家」という名前がついています。

しあわせな人、悲しむ人

若者たちがいつも集っている、小さな居酒屋の店長さんの訃報が届きました。
クリキンディはお酒が飲めないので、
この店のことも、店長さんのこともよく知りませんが、
友人で、この店を贔屓にしている人がたくさんいて、
マイミクさんたちの間では話題になっていました。

クリキンディ、今日は、結婚式に関わるお仕事をしていました。
しあわせそうなカップルと、
それを心から祝福する親類や友人たち。

一緒に仕事をしている仲間のひとりが、
前述の居酒屋によく出入りしていました。
店長さんがとてもかわいがってくれたのだそうで、
いろいろなことを思い出しては、おいおい泣いています。

クリキンディ、今日ほど複雑な気持ちだったことはありません。
目の前に、しあわせいっぱいのカップルと、
親しい人を亡くして悲しんでいる人がいる。

しかし、そのカップルも、亡くなった店長さんも、
クリキンディにとっては、特別親しいわけでもなく、
どちらにも、大きく心が動かされているわけではない状態。

それでも、
しあわせな人には、
めいっぱい笑顔で「おめでとうございます!」と言い、
悲しんでいる友人には、
精一杯いたわりの言葉をかける。

なんとなく、偽善者の気分です。
おめでとう、と思っていないわけではないし、
かわいそう、と思っていないわけでもないけれど、
やはり、社交辞令でしかない…

もし、結婚するのが親友で、
亡くなったのが親類だったとしたら、
また全然気持ちが違うんだろうなぁ。

自分との関わりの深さによって、
出来事は、重たくも軽くもなってしまう。

地球人類は「ワンネス」に向かっていると言われています。
自分と他人との境界線が、なくなることなど、
今の私には想像もできません。

いつか、社交辞令ではなく、
心から「おめでとう」と「辛かったね」を言えるようになるんでしょうか。

人気ブログランキングへ←社交辞令でも、押してくれたらやっぱりうれしい!

だってなめたいもん…

食事中に、ソースとかが指についたらどうしますか?

まぁ、普通は何かで拭きますよね。
紙ナプキンとか、ティッシュとか、おしぼりとかで。

じゃ、もし自分の家で、ひとりきりの時に同じ状況になったら?

指、なめませんか?

ケン○ッキーフライドチキンなんか食べた日にゃ、
絶対なめまわしますよね。おいしいし。

だけど、誰かがいる場所では絶対にしない。

それは、
「お行儀が悪いからダメ」って躾けられてきたからですよね。

だけど、手で食事をする国だってあるのになぁ。
「人として」ダメな行為ではないはずですよね〜?

「お行儀」ってなんなんだろうなぁ。

たとえば、人前で鼻くそをほじらないとか、
おまたがかゆくてもがまんするとか、
おならやげっぷをしないとか。

だけど、これって生きている限り、
「全員」やることですよね。

トイレで「水音のするボタンを押す」も一緒ですね。

あとは、「女の子があぐらかいちゃダメ」って言うけど、
そもそも正座という習慣があるのは日本ぐらいだし。

箸のマナーとか、
ナイフとフォークの使い方とか、
そんなのもありますね。

「お行儀が悪い」

「人に迷惑をかける」
とは違いますよね。

指についたおいしいソースをなめたところで、
一緒に食事している人に迷惑がかかるわけじゃない。

相手が「不快」になる?
それは、見ている人が、その行為を
「お行儀が悪い」と思い込んでいるからですよね〜。

あ!
もしかすると、
本当は自分もやりたいのに、お行儀が悪いって怒られるから
我慢しているだけで、
それをやっているひとに嫉妬してるのかも〜?

別に、「みんなで指をなめよう〜!」って
提案してるわけじゃないんです。
ただね、
小さな頃から、「人として当たり前」だと思っていること、
それは、親から与えられた価値観であって、
生きていくのに、ものすごく大切、
というわけではないんじゃないかなぁ。

はい…
結構まわりからは、
「クリキンディってお行儀悪いよね」
と思われている可能性大です。

人気ブログランキングへ←クリックは手を洗ってからの方がいいと思います…

行き先はどこですか?

時々訪れるブログ「いまここ塾」に、
こんな記述がありました。

::::::::::
たとえば、今いる仕事部屋から、1Fのリビングルームに行くとき、いちいちどちらの足から前に出して、何歩で着くかなんて考えないでしょ。
::::::::::
(全文読みたい方はこちらへどぞ〜。)

ああ、そうなんだ…
大切なのは、自分がどこへ行こうとしているのか、ということ。
そこへたどり着く方法で悩む必要なんかないんですよ。

自分がどこへ行こうか、はっきり決めていないのに、
乗り物はどうしようか?
宿泊はどうしようか?
お金は足りるかな〜?って
考えるだけ時間の無駄ですよね。

まずは、自分が、どこへ行きたいのか、
そこがあやふやなまま、
漠然と、「どこに行くにしてもお金を貯めなくちゃ」
と思っていた自分に気がつきました。

お金を貯めるのは、決して「目的」ではありません。
お金がなくたって、
行きたいところがハッキリしていれば、
そして、そこにどうしても行きたい!と思っていれば、
辿り着く方法は、後から考えたっていいんですよね。

自分の心のコンパスがこのところ、
ぐるぐるしていたわけがやっとわかりました。

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ポジティブとネガティブ

職場の女性が、脳内出血で緊急手術をすることになった、
というニュースが入ってきました。
まぁ、若い方ではありませんが、普通に元気で健康な方だという認識があったのでびっくり。

幸い手術はうまく行き、無事に意識も戻り、身体の麻痺なども残らなさそうだということで、
みんなひと安心。

さて、これはBAD NEWSなんでしょうか。

クリキンディは、最近よくわからなくなってしまっています。
病気になることや、事故に遭うこと、
失恋すること、試験に落ちること、
試合に負けること、
泥棒に入られること、
失業すること、
ギャンブルや株で大損すること、etc…

これらは、みんな「不幸な出来事」だと思っていました。
だから、こういう状況にはなりたくないし、
そうなってしまった人はとても可哀想で、同情すべきだと。

ですが…

「あかね雲」というブログをご存知でしょうか。
クリキンディも参加している、
「哲学・思想ブログランキング」の上位に入っています。

「あかね雲」のブロガーさんは、ヒーラーであり、普通の人には見えない方々とも交流のある方です。
その方が、今年の6月に骨折されたのですが、
ブログの中では、
「事故に遭う数日前から、自分が救急車に乗って運ばれているビジョンを見ていた」
と書かれています。

それなら、なぜそうならないように回避しないのか、と
さんざん回りの方から言われたそうです。
クリキンディも正直そう思いました。

しかし、ご本人は、「必要があったからそうなった」とおっしゃっています。
確かに、骨折したからこその出会いもあったようですし、
後から考えれば、それでよかった、と思えるような気もしてきます。

クリキンディは、過去に二度、進路変更を余儀なくされました。
その2回とも、自分が進学しようとしていた学校を受験する直前に、
父親が仕事をやめてしまい(どちらも会社都合ではなく、父親の意思で)
お金のかかる学校へは行けないと言われて、泣く泣く諦めたのでした。

しかし、そのおかげで、今のクリキンディがあります。
比較のしようがありませんが、変更したその道は、
クリキンディにとって決して不幸な選択ではありませんでした。

話が広がり過ぎちゃいましたが、
つまり、
「不幸な出来事」なんてないんじゃないのかな、と。

すべては、水が下流に流れるように、自然に従って起こっているだけであり、
それをポジティブにとらえるのか、ネガティブにとらえるのか、
それは、個人の自由なんだと思うのです。

正直、病気も怪我も、失恋も負けも、
みんな「痛い」です。
なるべくなら経験したくないです。

ですが、足ツボマッサージは「痛い!」のに、
みんなお金払って受けに行きますよね!
それは、痛みの後に、身体が楽になることを知っているからです。

痛い=不幸なこと、そんな風に漠然と思い込んでいましたが、
長い目で見れば、決してそんなことはないんだなぁと思うのです。
それなら、出来事をポジティブにとらえた方が、
少しでも楽に乗り越えられると思いませんか。

ですが、その「痛い」渦中にある人に対して、
まわりは思いやりを持って接してあげるべきだとも思います。
マッサージ受けてる人に「今は痛いけど、後で楽になるからね〜」と言うことはできても、
脳内出血した方に、「今は辛いけど、後できっといいことあるよ」とは、とても言えませんよね。
その痛みが、少しでも軽く済むように、早く過ぎるように、祈りたいと思います。

人気ブログランキングへ←クリキンディがヒーラーなら遠隔してあげたいです。