若者たちがいつも集っている、小さな居酒屋の店長さんの訃報が届きました。
クリキンディはお酒が飲めないので、
この店のことも、店長さんのこともよく知りませんが、
友人で、この店を贔屓にしている人がたくさんいて、
マイミクさんたちの間では話題になっていました。
クリキンディ、今日は、結婚式に関わるお仕事をしていました。
しあわせそうなカップルと、
それを心から祝福する親類や友人たち。
一緒に仕事をしている仲間のひとりが、
前述の居酒屋によく出入りしていました。
店長さんがとてもかわいがってくれたのだそうで、
いろいろなことを思い出しては、おいおい泣いています。
クリキンディ、今日ほど複雑な気持ちだったことはありません。
目の前に、しあわせいっぱいのカップルと、
親しい人を亡くして悲しんでいる人がいる。
しかし、そのカップルも、亡くなった店長さんも、
クリキンディにとっては、特別親しいわけでもなく、
どちらにも、大きく心が動かされているわけではない状態。
それでも、
しあわせな人には、
めいっぱい笑顔で「おめでとうございます!」と言い、
悲しんでいる友人には、
精一杯いたわりの言葉をかける。
なんとなく、偽善者の気分です。
おめでとう、と思っていないわけではないし、
かわいそう、と思っていないわけでもないけれど、
やはり、社交辞令でしかない…
もし、結婚するのが親友で、
亡くなったのが親類だったとしたら、
また全然気持ちが違うんだろうなぁ。
自分との関わりの深さによって、
出来事は、重たくも軽くもなってしまう。
地球人類は「ワンネス」に向かっていると言われています。
自分と他人との境界線が、なくなることなど、
今の私には想像もできません。
いつか、社交辞令ではなく、
心から「おめでとう」と「辛かったね」を言えるようになるんでしょうか。