「地震・原発関連」カテゴリーアーカイブ

移住しました その4「諦めて、そしてやりたいことをする」

2011年の夏、海沿いの津波被害のあった場所を除き、
町の中心部はほとんど日常を取り戻していました。
むしろ以前より活気があったかもしれません。
それは、震災に立ち向う!とか負けない!とかいう運動とは別に、
個人的な気持ちの変化だったと思います。

クリキンディが教えている音楽教室には、
「人間は、いつどうなるかわからない、と痛感しました。
だから、やりたいと思っていたことを先延ばしにするのをやめました」
という入会者が増えたんです。
同時にいろんなものが随分売れたと思います。
楽器もそうですが、車やバイク、今までなんとなく我慢していたものを、思い切って買ってしまおう!
そういう人は多かったと思います。
クリキンディも「道具が増えるからやらない」と決めていたレザークラフトを始めちゃいました。

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移住しました その3「森のトトロと仲間たち」

ここで、ちょっと時間軸は遡りますが、地震前の状況についても少し書いておこうと思います。
なにせこのブログは一応スピ系のつもりなもので…。
いろんなことが必然なんだということが少し伝わるかと思います。

まずどうしても説明しておかなくてはならないのが、
森のトトロとその仲間たちです。
この人たち無くしては、今のクリキンディはありませんし、
震災から移住に至る経緯の中で、彼らとの関わりが大きく影響しています。

そもそも、クリキンディはミュージシャンです。
年を取るにつれて、演奏活動よりも、教える時間の方が多くなってきていました。
そしてその生徒のひとりに、このブログでも何度か登場している
マドレーヌちゃんがいたんです。

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移住しました その2「原発が壊れて、そして友達がいなくなった」

大きな地震をなんとかやり過ごし、余震に怯えながらろうそくの灯りの中、
誰かが持ってきた携帯のワンセグで、はじめて津波のことを知りました。
危険を知らせる情報は、停電してしまえば、必要な人には届かないのです。
遠く離れた場所からテレビを見ている人だけが、悲惨な状況をリアルタイムで知り得ました。
それは原発事故についても同じ事です。

被災地に居た人たちは、水や食料、電池や燃料を得るために、
あれから数週間は、何時間も外に並びましたが、
今思えば、クリキンディは、あの時確かに空気に違和感を感じていました。
それでも目に見えず、臭いもない放射能の存在を意識するのは難しいことです。
スーパーに並ぶ長蛇の列の側では、帽子もマスクもなしに、子供たちが走り回っているのを
やり切れない思いで見ているしかありませんでした。

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移住しました その1「はじまりは楽観的に」

原発100km圏内から、九州へ。
ついに、というかようやく移住しました。
Wi-Fiも開通したので、移住にあたってのもろもろを記録しておこうと思います。
んー、いやほんとにいろいろありました。
その都度記録しておけばいいのにね。だいぶ忘れちゃってるかも。

始まりは、そう、皆さんもよく知っている2011年3月の東日本大震災。
日本人のみならず、海外の方もよく知っています。

このブログでも以前書いたかもしれませんが、
311の直前、クリキンディは予兆を身体で感じていました。
震災3日前から体調を崩し、いったい何が原因なのか、どこがどう辛いのか、
自分でもよくわからない具合の悪さでした。

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一緒に逃げようよ

暑いです。
世界各地で異常な高温や降水量の記録が毎日塗り替えられています。

クリキンディの住まいの近くには、あまり高くない手つかずの山林がまだ結構残っています。
遠目に山を眺めていると、まるで紅葉か?と思うような、
茶色に変色して立ち枯れしている木(特に松が多いかも?)が目立ちます。
春先からずっと気になっていたので、この暑さのせいだけではないと思われます。
その立ち枯れ木の割合は、1割まではいかないけれど……
という感じなのです。
つまり、かなり多い。
山林を管理している人はこの状況をどのように感じているのでしょうね?

クリキンディ、この秋に、東北を出ることを決めました。
なぜ今頃?と言われそうですが、
もちろんずっとずっと考えていたことです。

ですが、住宅を無くした人、放射能の避難区域にいる人以外に、
手を差し伸べてくれる自治体はありませんでした。
子供は大人より何倍も放射能の影響を受ける、という理由で、
母子疎開を勧める民間の団体や個人はありましたが、
成人して、家も仕事もある人は、疎開を口にできるような雰囲気ではありませんでした。

新聞とテレビの情報で生きている母親には
「放射能なんて気持ちの問題、あんたがくよくよしてるから調子が悪くなるのよ」
と言われ続け、
職場で体調の悪い友人に「放射能の影響かもよ?」と言えば、
「え?放射能で病気になるのは子供だけでしょ?」
「もう福島は収束してるんでしょ?」
と返され、
陰では「クリキンディは放射脳だから…」とレッテルを張られ…。

もう放射能の話題を口にすることすら憚られるような生活でした。

それでも、クリキンディ、実は少し期待していました。
放射能の危険性について、もっとみんなが知れば、
きっと全国の原発は止まる、廃炉にするために、みんなが協力してくれる、
福島の事故処理も早く進むはず…と。

ですが、まるで反対方向へ進んでいきました。
福島から出る放射能は減るどころか増え続け、
国は放射能ガレキやベクレた農作物を全国にバラまき続け、
あげくの果てに、地震や津波の危険性を把握しながら、強引に再稼働を進める。

これはどうやら、破滅の方向に向かうしかなさそうだ…
そう諦めるまでに、こんなに時間がかかってしまいました。

この間、あちこちに旅をしました。
九州、伊豆〜箱根、山梨、アメリカ西海岸、ブルネイ。
震災一年後に熊本を訪れた時は、着いた初日から、身体がどんどん楽になるのを感じました。
しかし、震災2年後に訪れたブルネイでは、体調の変化までに3〜4日かかったのです。
蓄積しているんだなぁ、長くここにいればその分、体調は悪化するんだなぁ…
そう確信しました。

だから、今からでも遅くない、一日でも早くここを出よう、
そう決めました。

「逃げるの?この町を復興させようと思わないの?」

そんな声もありました。
もし、
あなたの隣の家が火事になったら、安全な場所に逃げますよね?
復興するのは、完全に鎮火してからすることです。

そこでおさまる気配のない火事をさらにあおっている人がいるのに、
その場にとどまりたいですか?

「これは火事なんかじゃないよ〜、煙?気のせい気のせい、
安全だから逃げなくていいよ〜」

火事を遠くからあおっている人のそんな見え透いた言葉を、なぜみんな信じるのでしょう?
私にはわかりません。

なかには火事に薄々気付いていて、
「でも、日本全国どこに逃げたって無駄でしょ?
同じ死ぬなら慣れ親しんだこの町で、親しい人と一緒にいたいから。」
という人もいます。

それなら気持ちはわかります。
でも、火事に気付いているのなら、せめて気付いていない人に「火事だよ」と教えてあげて欲しい。
そうすれば対策も覚悟も生まれます。

だから、たぶんこの地を離れても、
クリキンディはずっとさえずり続けると思います。
火事だよ、火事だよ、って。
ここに、大切な友人たちが残っているから。

←クリキンディのブログおよびツイートがまとめて見られます。

ひとりでも多くの人に伝わりますように。