暑いです。
世界各地で異常な高温や降水量の記録が毎日塗り替えられています。
クリキンディの住まいの近くには、あまり高くない手つかずの山林がまだ結構残っています。
遠目に山を眺めていると、まるで紅葉か?と思うような、
茶色に変色して立ち枯れしている木(特に松が多いかも?)が目立ちます。
春先からずっと気になっていたので、この暑さのせいだけではないと思われます。
その立ち枯れ木の割合は、1割まではいかないけれど……
という感じなのです。
つまり、かなり多い。
山林を管理している人はこの状況をどのように感じているのでしょうね?
クリキンディ、この秋に、東北を出ることを決めました。
なぜ今頃?と言われそうですが、
もちろんずっとずっと考えていたことです。
ですが、住宅を無くした人、放射能の避難区域にいる人以外に、
手を差し伸べてくれる自治体はありませんでした。
子供は大人より何倍も放射能の影響を受ける、という理由で、
母子疎開を勧める民間の団体や個人はありましたが、
成人して、家も仕事もある人は、疎開を口にできるような雰囲気ではありませんでした。
新聞とテレビの情報で生きている母親には
「放射能なんて気持ちの問題、あんたがくよくよしてるから調子が悪くなるのよ」
と言われ続け、
職場で体調の悪い友人に「放射能の影響かもよ?」と言えば、
「え?放射能で病気になるのは子供だけでしょ?」
「もう福島は収束してるんでしょ?」
と返され、
陰では「クリキンディは放射脳だから…」とレッテルを張られ…。
もう放射能の話題を口にすることすら憚られるような生活でした。
それでも、クリキンディ、実は少し期待していました。
放射能の危険性について、もっとみんなが知れば、
きっと全国の原発は止まる、廃炉にするために、みんなが協力してくれる、
福島の事故処理も早く進むはず…と。
ですが、まるで反対方向へ進んでいきました。
福島から出る放射能は減るどころか増え続け、
国は放射能ガレキやベクレた農作物を全国にバラまき続け、
あげくの果てに、地震や津波の危険性を把握しながら、強引に再稼働を進める。
これはどうやら、破滅の方向に向かうしかなさそうだ…
そう諦めるまでに、こんなに時間がかかってしまいました。
この間、あちこちに旅をしました。
九州、伊豆〜箱根、山梨、アメリカ西海岸、ブルネイ。
震災一年後に熊本を訪れた時は、着いた初日から、身体がどんどん楽になるのを感じました。
しかし、震災2年後に訪れたブルネイでは、体調の変化までに3〜4日かかったのです。
蓄積しているんだなぁ、長くここにいればその分、体調は悪化するんだなぁ…
そう確信しました。
だから、今からでも遅くない、一日でも早くここを出よう、
そう決めました。
「逃げるの?この町を復興させようと思わないの?」
そんな声もありました。
もし、
あなたの隣の家が火事になったら、安全な場所に逃げますよね?
復興するのは、完全に鎮火してからすることです。
そこでおさまる気配のない火事をさらにあおっている人がいるのに、
その場にとどまりたいですか?
「これは火事なんかじゃないよ〜、煙?気のせい気のせい、
安全だから逃げなくていいよ〜」
火事を遠くからあおっている人のそんな見え透いた言葉を、なぜみんな信じるのでしょう?
私にはわかりません。
なかには火事に薄々気付いていて、
「でも、日本全国どこに逃げたって無駄でしょ?
同じ死ぬなら慣れ親しんだこの町で、親しい人と一緒にいたいから。」
という人もいます。
それなら気持ちはわかります。
でも、火事に気付いているのなら、せめて気付いていない人に「火事だよ」と教えてあげて欲しい。
そうすれば対策も覚悟も生まれます。
だから、たぶんこの地を離れても、
クリキンディはずっとさえずり続けると思います。
火事だよ、火事だよ、って。
ここに、大切な友人たちが残っているから。
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ひとりでも多くの人に伝わりますように。