今日は、クリキンディが大好きな画家さんのご紹介です。
篠崎正喜さん、パステル調のやわらかい、でも緻密で立体的な絵を描かれる方です。
息子が小さい頃に、「おひさま」という月刊の絵本を買っていたのですが、
そこに時々登場していた「大男エルンスト」というシリーズがありまして、
なんと素敵な絵だろう!といっぺんにファンになっちゃいました。
↓こちらで篠崎さんの絵を見ることができます。
【篠崎正喜さんのHP】
しかし、息子が大きくなってしまった今となっては、
手元にひとつも篠崎さんの絵がなく(おひさまは全巻寄付しちゃったし…)
なにか絵本でもひとつ欲しいなぁ、
なんて思って見ていたら、
インディアン系の書籍の挿絵を描かれているではないですか。
インディアンの前世を持つクリキンディとしては、
買わないわけにはいきません。
今朝届いたその本は、
1854年のアメリカで、インディアンの土地を買収しようとした、
14代大統領のフランクリン・ピアスに伝えて欲しい、と
部族連合の代表の、シアトル首長が、スピーチした有名なお話でした。
ほんのちょっとだけ引用します。
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どうしたら 空が買えるというのだろう?
そして大地を
わたしには わからない。
風の匂いや 水のきらめきを
あなたはいったい
どうやって買おうというのだろう?
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土地は買うものであり、
誰かのものでなければ、国のもの、
という常識がまかりとおっている現代。
よくよく考えてみれば、
地球というひとつの命のあちこちに線を引いて、
ここから私のもの、私がお金を払ったんだから入ってこないでね!と言うのはおかしいですよね。
人の身体のあちこちに線を引いて、
「右肘から肩までは私のもの」
「じゃ、私は小指と薬指」
「頭は僕のもの。髪の毛は肩や背中にくっついてるけど、もともと頭に生えてるんだから、ぼくだけのものだよ」
なんて言ってるのと同じですよね。
かといって、自分のプライベート空間に、
誰かに無断で入って来られたり、
自分が一生懸命育てた畑の実りを、
通りすがりの腹ぺこの人が勝手に食べちゃったら、
やっぱりイヤだなぁ、と思うのも事実。
でも、それが、全然知らない人じゃなくて、
家族だったり、仲のよい友人だったらアリの場合もありますね。
ということは、
あの人はいいけど、この人はだめ、
という区別がどこかにあるわけで。
何かを所有する、とか
私と、あの人、という分離した考え方は、
まだまだ私の中に染み付いていて、
すべての生きとし生けるものたちと、分かち合える日が来るとは、
今は思えないけれど、
いつかそんな日が来たらいいなぁ。
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