10月に入って朝晩はだいぶ寒くなりましたが、
天気のいい日の午後はまだまだ汗ばむ陽気です。
昨日レッスンにきた高校生女子が、
「もう制服は冬服なんですが、昼間は暑くて脱ぎたくなりますー」
とこぼしていました。
まったく、寒暖の差に対応できず、個性を一切認めず、
その集団への帰属意識だけを求められる制服って、はっきり言ってキライです。
その嫌いの理由について、クリキンディは過去にもこんな記事書いてますねー。
そもそも、着る人のことをまったく思いやっていません。
暑かろうが寒かろうが、動きにくかろうが、大きさが合っていなかろうが、とにかく同じ物を着せることにしか意味はないですよね。
スタンダードな制服のデザインである「詰め襟」と「セーラー服」は、軍隊用の制服に由来しています。
そこにはもちろん個性は必要とされません。
リーダーの命令に、従順に素早く従う兵士がいればいいので、規律を乱すものは認められません。
そこまでは理解できます。軍隊ならば。
ですが、教育の現場に軍隊方式って必要でしょうか?
子供たちはいろんな可能性を持って、夢に向かって進んでいるはずなのに、
それぞれの個性を表現しようとすると、拒否される。
髪型も、スカート丈も、カバンも靴下も、みんな同じにさせたいのなら、
ロボットでいいじゃん。
だからみんな無表情だし、思っていることを素直に表現できないし、
理不尽な要求(暑くても寒くても同じ服で我慢しろ!とか)に対しても、
「みんな我慢してるからしょうがないし」と諦めちゃう。
この制服システムは、管理する側にとって都合がいいだけですよね。
ロボットのように、文句を言わずに働く人間を作るのに都合がいい。
はみ出た人間がすぐにわかるので、処罰して矯正、または排除しやすい。
思考すらもコントロールしやすくする。
いやいや、制服にはいい面もあるでしょう?
というご意見ももちろんあると思います。
毎日、着る服のことを考えずに済むから楽。
⇒思考能力を奪っているだけでは?
同じ学校の仲間意識が強くなる。
⇒「仲間」の反対語は「のけ者」だそうです。つまり仲間意識を高めれば、仲間はずれの概念も強くなります。他の学校の制服を着ている人を「仲間」と思わないというのは、対立を生んでいるだけだと思うのですが。
他にもいろいろあるでしょうけれど、
今のところ、管理する側のメリットしか思いつきません。
ああもう、ほんとに私、制服嫌いなんだねー。あはは。
もちろん高校は私服の学校でしたよ。