クリスマス終了させたい人へ


071886
クリスマスとかバレンタインとか七夕とか、
いわゆるカップルのイベントと思われていることについて、
なんらかの不快感、ジェラシーなどを感じている人へ。

それらのもともとの由来をしつこく調べてください。
例えば、クリスマスの場合、
「イエス・キリストの誕生日でしょ」
ということで終わらせずに、もうちょっと調べてみましょうよ。

そうすれば、聖書のどこにもキリストの誕生日は書いていない、とか
どうやらミトラ教の冬至のお祭りだったらしい、とかいう情報が、
今どきネットですぐに出てきます。

では、なぜミトラ教のお祭りが、キリストの誕生祭になったのか、
誰が何の目的で、そのように変更して広めたのか、
という情報ももう少し探せばおそらく出てきます。

「誰がなんのために」
というのは、何かを考える上でとっても大事なことです。

そもそも、キリストの誕生を祝うと思われている日に、
なぜ仏教徒の日本人がイベントをするのか、
そして宗教イベントなのに、
なぜサンタクロースという存在が出てくるのか、
また、この日、なぜカップルで過ごすことが推奨されているのか。

キリスト教とミトラ教の話については、
じぇいどさんのブログ「なにが見えてる?湘南編」が面白かったので、
ぜひそちらを読んでみてください。
すごく簡単に言うと、当時のローマのエラい人が、政治的にミトラ教とキリストを利用した、
ということになるでしょうか。

さて、「クリスマス」というイベントを日本に取り入れて、
定着させたかった人は誰でしょう?
まずは、この宗教を布教したい人がいたはずです。
その布教に便乗して、様々な物が取り入れられていきます。
例えば、クリスマスツリー、贈り物、サンタクロース、靴下を枕元に下げる、など。
それぞれに由来がありますし、日本では流行らなかった「宿り木の下でキス」なんていう慣習もあります。

もともと布教の目的だったかもしれないけれど、
それをうまく取り入れることで、「様々なものが売れる」ことに気付いた人が、
あの手この手で宣伝をはじめました。

年末の売り上げは、確実に伸びていったと思われますが、
欲の深い人がさらに高価なものを売るために、仕掛けをしたのが、
「クリスマスはカップルで過ごすのが幸せ」という概念です。

家族で食事をしたり、飾り付けをしたり、贈り物をするのも、
それはそれで経済効果がありましたが、
対象をカップルにすることで、
「自宅で鍋」レベルの食事が、「高級レストラン」の食事になり、
「子供のおもちゃ」の売り上げから、「ブランドもののアクセサリー」に金額が跳ね上がります。
「子供たちが飾り付けをする小さなツリー」は、
今や大規模なイルミネーション合戦に発展して、カップルのデートスポットになり、
莫大な電力の消費も生み出しました。
もうひとつ、家族で過ごすクリスマスにはあり得なかった、
「宿泊」(シティホテルとかラブホテルとかね)という需要も生まれました。

クリスマスというイベントは、
もはや布教とはほぼなんの関係もなくなっており、
経済効果のために仕掛けられていることは明白です。

もし、あなたがこの売り上げを失いたくないと思うなら、
クリスマスにはカップルで過ごすのが幸せ、
とみんなが思いたくなるようなテレビドラマを作ったり、
新聞や雑誌で特集を組んだりすればいいんです。
「恋人がサンタクロース」なんて曲を作るのもいいですね〜。

「クリスマスに恋人がいないなんて不幸だ…」
そう若者が思ってくれたらもうこっちのものです。
間に合わせに妥協した相手と付き合ってくれたら、
それだけで売り上げが伸びます!

ここまで読んでも、まだ
「でも、友達がみんなクリスマスまでに恋人を探さなくちゃ、って言ってるし…」
と思っている人はもういませんよね?
馬鹿馬鹿しい洗脳のために、自分が不幸だと思う必要なんかありません。
クリスマスは、クリスチャンの皆さんにお返ししましょう。
あ、もっと遡って、ミトラ教の皆さんにお返ししましょう。

P.S. バレンタインも七夕も同じだからね〜

←クリキンディのブログおよびツイートがまとめて見られます。

←これを押してもらえないなんて私は不幸だわ…


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です