クリスマスとかバレンタインとか七夕とか、
いわゆるカップルのイベントと思われていることについて、
なんらかの不快感、ジェラシーなどを感じている人へ。
それらのもともとの由来をしつこく調べてください。
例えば、クリスマスの場合、
「イエス・キリストの誕生日でしょ」
ということで終わらせずに、もうちょっと調べてみましょうよ。
そうすれば、聖書のどこにもキリストの誕生日は書いていない、とか
どうやらミトラ教の冬至のお祭りだったらしい、とかいう情報が、
今どきネットですぐに出てきます。
では、なぜミトラ教のお祭りが、キリストの誕生祭になったのか、
誰が何の目的で、そのように変更して広めたのか、
という情報ももう少し探せばおそらく出てきます。
「誰がなんのために」
というのは、何かを考える上でとっても大事なことです。
そもそも、キリストの誕生を祝うと思われている日に、
なぜ仏教徒の日本人がイベントをするのか、
そして宗教イベントなのに、
なぜサンタクロースという存在が出てくるのか、
また、この日、なぜカップルで過ごすことが推奨されているのか。
キリスト教とミトラ教の話については、
じぇいどさんのブログ「なにが見えてる?湘南編」が面白かったので、
ぜひそちらを読んでみてください。
すごく簡単に言うと、当時のローマのエラい人が、政治的にミトラ教とキリストを利用した、
ということになるでしょうか。
さて、「クリスマス」というイベントを日本に取り入れて、
定着させたかった人は誰でしょう?
まずは、この宗教を布教したい人がいたはずです。
その布教に便乗して、様々な物が取り入れられていきます。
例えば、クリスマスツリー、贈り物、サンタクロース、靴下を枕元に下げる、など。
それぞれに由来がありますし、日本では流行らなかった「宿り木の下でキス」なんていう慣習もあります。
もともと布教の目的だったかもしれないけれど、
それをうまく取り入れることで、「様々なものが売れる」ことに気付いた人が、
あの手この手で宣伝をはじめました。
年末の売り上げは、確実に伸びていったと思われますが、
欲の深い人がさらに高価なものを売るために、仕掛けをしたのが、
「クリスマスはカップルで過ごすのが幸せ」という概念です。
家族で食事をしたり、飾り付けをしたり、贈り物をするのも、
それはそれで経済効果がありましたが、
対象をカップルにすることで、
「自宅で鍋」レベルの食事が、「高級レストラン」の食事になり、
「子供のおもちゃ」の売り上げから、「ブランドもののアクセサリー」に金額が跳ね上がります。
「子供たちが飾り付けをする小さなツリー」は、
今や大規模なイルミネーション合戦に発展して、カップルのデートスポットになり、
莫大な電力の消費も生み出しました。
もうひとつ、家族で過ごすクリスマスにはあり得なかった、
「宿泊」(シティホテルとかラブホテルとかね)という需要も生まれました。
クリスマスというイベントは、
もはや布教とはほぼなんの関係もなくなっており、
経済効果のために仕掛けられていることは明白です。
もし、あなたがこの売り上げを失いたくないと思うなら、
クリスマスにはカップルで過ごすのが幸せ、
とみんなが思いたくなるようなテレビドラマを作ったり、
新聞や雑誌で特集を組んだりすればいいんです。
「恋人がサンタクロース」なんて曲を作るのもいいですね〜。
「クリスマスに恋人がいないなんて不幸だ…」
そう若者が思ってくれたらもうこっちのものです。
間に合わせに妥協した相手と付き合ってくれたら、
それだけで売り上げが伸びます!
ここまで読んでも、まだ
「でも、友達がみんなクリスマスまでに恋人を探さなくちゃ、って言ってるし…」
と思っている人はもういませんよね?
馬鹿馬鹿しい洗脳のために、自分が不幸だと思う必要なんかありません。
クリスマスは、クリスチャンの皆さんにお返ししましょう。
あ、もっと遡って、ミトラ教の皆さんにお返ししましょう。
P.S. バレンタインも七夕も同じだからね〜