その少年は、きれいな顔をくしゃくしゃにして、今にも泣き出しそうだった。
大きな夕陽が水平線に沈もうとしている。
「泣きたい時はね、がまんしなくていいんだよ。
大きな声を出したって、風と波が消してくれるし、
あの夕陽以外は誰も見てないんだから。」
誰もいない砂浜で、海に向かってわんわん泣き出した少年の金髪は、
何年も櫛を入れていないみたいにぐしゃぐしゃだった。
ひとしきり泣きじゃくった後、
少年は隣にいる大人に、ようやく聞いた。
「おまえ、誰だよ」
「クリキンディだよ」
「変な名前だなぁ」
「南米じゃちょっとは有名なんだけどな…」
「おい、クリキン!お前、なんでオレをこんなとこに連れてきたんだ?」
「連れてきたんじゃないよ。君はずっとここにいたんだ。ひとりぼっちで。
君のまわりにいた大人たちが、ここにいる君に気付かなかっただけさ。」
「わけのわかんないこと言うな!おれの家はすんごくでっかいお城なんだぞ。
こんな何もない砂浜なんかじゃない!」
「ここは、君の心の中だよ。君の好きなこと、なんだってできるんだよ。」
怒鳴りつけようとしていた、金髪の少年は、
ピクっと止まった。
「なんでも、か?」
「そう、なんでも。まずは、私がこの砂浜になるから、君はカニになって歩いてみないかい?」
「そんなつまんないこと、おれはしないよ!」
「何言ってるの?つまんないだなんて、やったこともないだろう?」
「うへっ、横にしか歩けないじゃないか!砂の上は歩きにくいし、いやだよ!」
「波の方へ行ってごらん…」
「わぁ!小さな泡がたくさん!あ!!!」
カニになった少年は小さな波にさらわれて、海の中へ引きずり込まれた。
「どう?カニになって海を泳ぐ気分は?」
「…びっくりしたじゃないかっ!!」
「力を抜いて、波に身を任せるんだ」
「…ゆらゆらして、なんか気持ちいいよ」
「だろう?」
「お前は砂浜なのに、なんで海の中にもいるんだ?」
「海の底が砂浜じゃないとでも思ってたのかい?今度は君も砂浜になってごらんよ」
海の底の砂は、硬く沈んでいるような気分だった。
それでも、海底表面は、波に揉まれて少しずつ動いている。なんだかくすぐったい。
「乾いた砂浜はもっと面白いよ」
その瞬間、波打ち際から離れた砂の表面にいた。
風が吹く、
飛んでいく砂粒のひとつ、
飛ばされなかった砂粒のひとつ、
両方とも、自分の気持ちだ…。
すごく小さいんだけど、でも遠くにいる砂も自分だ。
海の底にいる砂も、また自分だ。
少年は不思議な感覚を覚えていた。
「さぁ、次は海の水になろう!」
風に飛ばされる水しぶき、
海の底でたゆたう波、
魚たちのヒレにかき回される小さな波、
だけど、地球全体を包んでいるという大きな感覚もある。
「君は今海の水だけど、川の水にだってなれるよ。繋がってるんだから。」
森の中、岩の表面を流れて、小石を運ぶのは、なかなかいい気分だった。
「おわ!熱っ!」
「そこは温泉が吹き出しているところさ。せっかくだから、露天風呂のお湯になってみようか。
女湯の方がいいよね?」
少年は、うれしさと恥ずかしさと複雑な気分で、怒りたいような、溶けてしまいそうな、
もみくちゃな気分だった。
「どうだい?水になった気分は。このまま蒸発すれば空気の中に飛んで行くこともできるよ。」
「うわぁ!もうこんなに高いところに来ちゃったよ。クリキンディ見て!
あれが、オレんちだよ、お城の屋根が見えるよ!」
「もっと、いろんなところを見てごらん。空気になった君は、空気の存在する場所をすべて、感知することができるんだよ。」
少年は、地球全体を感じることができた。
ジャングルの湿った空気、砂漠の乾いた空気、都会の汚れた空気、ヒマラヤの凍った薄い空気。
人が呼吸するたびに、いろんな人の肺にも入ってみた。
嬉しい人、悲しい人、怒っている人、病気の人、
みんなの気持ちが全部いっぺんにわかる。
「クリキンディ、オレさ、他の人がこんな気持ちでいるなんてこと、想像もしたことなかったよ。」
「だって、君はずっと自分の心の砂浜でひとりぼっちでいることを望んでいたからね。」
「オレ、ずっと淋しかったんだ。誰もオレのことわかってくれない。みんな敵だと思ってた。」
「知ってるよ。」
「だけどさ、オレ、全然なんにも見てなかったんだね。
オレ砂浜になって、海になって、空気になって、地球の気持ちや人の気持ちがちょっぴりわかったよ。」
話しかけようとして、少年は、クリキンディがいないことに気がついた。
「おい!どこ行ったんだよ!クリキンディ!!」
探し続けて、疲れて眠ってしまったらしい。
少年は自分のベッドで目が覚めた。
「夢…?」
窓を開けると、庭のりんごの木にハミングバードが来ている。
今までの少年なら、おもちゃ箱からエアガンを持ってきて撃とうとしただろう。
「お前は花の蜜を吸いたいんだね。オレもハチミツは好きだよ。」
なんだかちょっと大人になった気分だった。
夢のことははっきり覚えていた。
あのハチドリにクリキンディって名前をつけて呼ぼう。
それにしても、あいつひとつだけ嘘をついたな。
オレの泣くところを見てるのは、太陽だけだって言ったけど、
砂だって、波だって、風だって、雲だって、
みんな、オレのこと見てたんだ。オレが泣いてること、知ってたんだ。
…ひとりぼっちなんかじゃなかったんだな…。
少年は、この朝、はじめて自分の金髪に櫛を入れた。
<青年とハチドリ>につづく
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