九州でもない、ニュージーランドでもない、アメリカ西海岸でもない、
もうどこへ行きたいのか自分でもよくわかりません。
ただ、この町で暮らし続けるのは無理だと、身体が悲鳴をあげていました。
ひどい咳は治まったものの、右首後側の痛みは完全に慢性化していて、
後ろのみならず右あごのリンパあたりが腫れています。
食事中に、舌の付け根を何度も噛むし、
舌全体がヒリヒリして食べ物の味がよくわかりません。
歯茎の出血も続き、治療した歯の詰め物が次々に取れてしまいました。
内臓への負担も大きかったようで、脇腹やみぞおちの痛みも常にあり、
お腹まわりが腫れていたんでしょうね、体重は変わらないのにウエストサイズがかなり増えていました。
手足のむくみも慢性化していて、以前使っていた指輪はもうほとんど指に入りません。
またこの夏から急に気になり出したものに、「エアコンのにおい」がありました。
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九州移住を一旦は決断したものの、なかなかうまく進まず、
いったいどこへ住めばいいのかと悩んでいたクリキンディ、
そこへまるで御神託のように舞い降りた「ニュージーランド」という国、
これは行くしかない!と勝手に思い込み、
どうやったら行けるのかと少しずつ調べ始めました。
するとニュージーランドでホームステイを受け入れている日本人の奥様を知り、
早速連絡をとってみることに。
しかし、3人目のお子さんを出産されたばかりでこの夏は受け入れが難しいとのお返事…。
スピ的に生きる人は、基本的に無理をしません。
流れを見極めてタイミングよく乗ることこそ、楽に目指す場所にたどり着けることを知っているからです。
なんだろう、ニュージーランドだと思ったのは単なる勘違いだったのか…。
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2012年5月、九州への移住を決意したクリキンディですが、
なんと思いも寄らぬ母親の拒否発言。
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2012年になり、一向に明るい兆しを感じられないまま、
クリキンディは体調不良だけでなく、だんだん鬱状態に陥っていきました。
生きているだけで、一歩歩くごとに体力と気力を奪われる…
そう、まるでこの町はドラクエの「毒の沼地」のようだ!
本気でそう感じていました。
しかし、この体調不良が本当に放射能によるものなのか、
それともネガティブな思い込みによるものなのか一度確かめたい。
そこで母と二人で九州旅行を企画しました。
10年ぶりに親類にも会って、移住に関する情報も集めたいと思っての旅行でした。
はじめに降り立ったのは熊本空港。
そこから阿蘇の麓までレンタカーで移動したのですが、
もうその途中で何度もトイレに行きたくなる。
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原発事故に対して危機感を持っていた人は、日本人の何パーセントいたんでしょうね?
新聞とテレビの情報を鵜呑みにして生きている母親とは随分ケンカしました。
完全に「放射脳」のレッテルを張られ、めんどくさがられていました。
それでも、やはり心のどこかで「危険なのかも…」という気持ちは拭えなかったんだと思います。
しつこく会話を続けるうちに少しずつ態度が軟化していきました。
小さなお子さんを持った方は、移住できなくてもせめて疎開を、という話なら皆さんもよく耳にしたと思います。
母子のみが移住して父親が単身で仕事を続ける話も多く聞きました。
「残念ながら」なのか「幸いに」なのかどうかわかりませんが、
クリキンディの息子はすでに成人していましたので、
母子に手を差し伸べる機関には縁がありません。
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心のコンパスに従って生きていたら、いろんなことが見えてきました。