引き寄せの法則

ひとつ前の記事で「遅刻」についてちょっと触れたので、
それにまつわる不思議な話を書いておきますね。

クリキンディが「寝坊したので遅れます」と言った時に、
一番驚いた同僚、ここでは仮にアッコさんと呼んでおきます。
ちょっと姉御肌なタイプなので。

アッコさんは、クリキンディよりだいぶ年下なのですが、
なんとなく「さん」付けで呼びたくなります。
こういう場合、たいてい魂年齢が自分より長いんですよね。

アッコさんは本当に賢くて、頭の回転が早く仕事も早いです。
親や目上を敬い、自分の弟子の面倒をよく見る姉御肌な人なんですが、
なぜかちょくちょく不幸に見舞われるんですね。

とても大切な会議の前日にインフルエンザにかかって高熱を出しちゃうとか、
どうしても行かなくてはならない仕事の道中で、車が故障して止まるとか、
傘を持っていない日に大雨に降られるなんてのはしょっちゅうだし、
今まで晴れていたのに、彼女が出かけようとすると、
急に雷が鳴り出す、なんてこともよくありました。

実は幼い頃に自宅に落雷の経験があるアッコさん、
本当に雷が嫌いで、よく嘆いていました。

その彼女が、「寝坊して遅刻なんて言っていいの?」
と驚いたわけです。
そろそろ勘のいい方はお気づきかもしれませんね。

アッコさんは、何か約束の時間に遅れそうな時に、
必ず「不幸な出来事」を引き寄せるんです。
つまり、自分は時間に辿り着くための努力をしたが、
どうしても辿り着けない事情があったのだ、ということを、
まわりの人間に理解してもらうために、
無意識のうちに、不幸を引き寄せていました。
こういう場合、遅刻したことを怒られることはないし、
「それは大変だったね、大丈夫?」と労ってもらえます。

こういうことを意識して故意に行動する人のことを、
代理ミュンヒハウゼン症候群と言うらしいですね。
世界仰天ニュースのこの回がとてもわかりやすいと思いますので、
詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=NMvDP6655nI

アッコさんの場合、まずは
「遅刻することはいけないことだ」という強力な刷り込みがあります。
でも、
「嘘をつくのもいけないことだ」という刷り込みもあるので、
「常識を守り尊敬されるよい人間でありたい」と常に願うアッコさんにとって、
もっとも便利な方法が「不幸を引き寄せる」ことだったわけです。

ついでに言えば、あまり常識のない型破りなクリキンディのことは、
あまり好きではなかったはずです。
ですが、アッコさんは自分はいい人でありたいと思っていますので、
自分が嫌いと思った人でも、誰にでもとても親切に接してくれます。

でも、嫌いな人が「アッコさんに好かれている」と勘違いしてどんどん寄ってくるので、
彼女自身はちょっと不快です。
「嫌いだと表現した方がいいんじゃない?」と言ってみると、
「そんなことできませんよー」と言います。
つまり「自分が嫌いな相手でも相手から嫌われるのはイヤ」なんですね。

こういう性格ってどこで形成されるのかな、と思ったら、
森のトトロがわかりやすく解説してくれました。
http://totoro2011.blog9.fc2.com/blog-entry-41.html

とても常識的な、でも少しだけ厳しいご両親に矛盾なく育てられると、
こういう性格になりやすいようです。

不幸を引き寄せてしまうその性格、
傍でみていると辛そうに感じますが、
もしかしたら本人はそんなに辛くないのかもしれません。

「なんでこんなに不幸が自分にばかり起こるのよ!」
って思っている人は、
自分が引き寄せている可能性もあります。

皆さんはどうですか?

勘違いから生まれた結果オーライは必然だよね

わー!知らなかったよ!みんな知ってたの?
ああ、ちょっと恥ずかしいけど書いちゃいます。

政治になんかまったく興味がなく、
ましてドイツなんてなんだか堅そうなイメージの国にも興味がなく、
バンドやったりミュージカルやったり恋愛したりして、
クリキンディが青春を謳歌していた1989年の11月、
いわゆるベルリンの壁が崩壊するという歴史的な事件が起こっていたようですね…

ようですね…って人ごとですね、すみません。
確かにニュースの映像で見た記憶はありますが、
まだ誰もインターネットも携帯もほとんど使っていなかった時代、
詳しいことは知りませんでした。

で、現在テレビを持っていないクリキンディ、
都知事選の開票待ちの間、
Youtubeで古い番組を探してダラダラ見ていました。

そこで見たのがベルリンの壁崩壊にまつわる裏事情を取り上げていた世界仰天ニュース。
(OAは2013年8月だったようです)
裏と言ってもすでに公開されている話なので、あやしい内容ではありません。

簡単に説明すると、
東と西に分かれていたドイツで、飛び地となってしまった西ベルリン、
様々な不満を抱えて日常的にデモを行っていた市民に、
政府が妥協案を発表して沈静化を図ろうとしていたところ、
公式に発表する段階で、
担当のギュンター・シャボウスキー報道官が、
正しくその内容を把握していなかったため、原稿の読み違いによって
「西ベルリン市民は今すぐ自由に外国へ行き来できる」と発表してしまい、
訂正する間もなく、なし崩し的に壁が崩壊していった、
というお話でした。

結果オーライでドイツはとても平和裡に統一されたわけですが、
なぜこの報道官が内容を把握していなかったのかというと、
記者会見の準備のため、会議に遅れて参加したためだというのです。
言葉を替えて言いますよ。
「遅刻」です。ちこく。

皆さん、「遅刻」って悪い事だと思ってるでしょ?
どんな理由であれ約束の時間に遅れるのは罪であると。
その罪を犯してしまった時、
人は少しでも罪を軽くしようと、
遅れたことを「誰かのせい」にしようとします。
例えば大雪で電車が遅れた、とかね。
自分はその時間に到着するために努力を払ったのに遅れたんです…
と言い訳しますよね、普通は。

ある日、クリキンディが寝坊して遅刻した時、
会社に電話をかけて「すみません、寝坊しました、急いで行きます」
と連絡したら、同僚にものすごくびっくりされました。
「遅刻の連絡に、寝坊したって言う人をはじめて見た」って。
つまり、本当は寝坊であったとしても、もっともらしい嘘をつくのが大人だと、
その同僚は信じていたわけです。

この人は子供の頃に「嘘をついちゃいけないよ」って教えてもらわなかったのかなぁ…

えー、話が逸れました。
ここで言いたかったのは、
「遅刻」そのものは、その時間にそこに居たか居なかったか、
その状況を表現しているだけで
罪でも悪でもない、ということなんです。

「バシャール」という宇宙人のチャネリング本がありまして、
(10冊以上出版されています。とても読みやすいので立ち読みでもぜひ。)
その中に、出来事に幸も不幸もない、すべては中立であって、
それに意味を与えるのは自分である、という表現が何度も出てきます。

例えば、自分が乗ろうとしていた電車に乗り遅れてしまった、
この時点で遅刻が確定です。
一見不幸に思える状況で、気分が落ち込んでしまいそうですが、
次の電車に乗ったら、何年も会っていなかった友人に再会し、
そこから新しい人生が開けた、となったら、
電車に乗れなかったことこそが、幸せの始まりになります。
もしくは、乗れなかった電車で事故が起きるとかね。

そんなに都合良くいくわけないじゃん、と思わずに、
冷静に状況を観察する習慣をつけてみると、
面白いほどに人生が変わっていきます。

例えば、クリキンディは超がつく方向音痴のくせに、ドライブ大好きです。
カーナビはほとんど使わないので、本当によく道を間違います。
今日も気がついたら全然違う道を逆方向に走ってました。(^=^;;
ですが、間違ったおかげで新しい道を覚えることができ、
探していたお店や施設を見つけることができました。
ああ、ここに導かれたんだなぁ、守護霊さんありがと!って思います。

またまた話しが逸れましたが、
つまり、ドイツの場合、
この報道官が遅刻したために、ベルリンの壁崩壊が起こったわけです。
遅刻バンザイ!
ってなんか違うような気もしますが…。

そして、都知事選の開票作業はまだ始まったばかりですが、
すでに出口調査などの状況から、
マスゾエ氏の当確の第一報が出ています。

もうね、すごく正直に言えば、はらわたが煮えくり返るほどの気分なんですが、
ここから何がどう転がっていくのか、
こうなったら腹をくくって観察するだけですよ。
一見不幸に見える出来事から、
日本がどうなっていくのか、
あああああ、たのしみ、で、す…よ…………バタッ。

ロハスな美容室

クリキンディ、もう何年も前からほとんどシャンプーを使わない生活をしています。
台所用の洗剤も使いません。
お湯と手編みのアクリルたわしでどうしても落ちない時にだけ、
石けんを使うことはありますが、
いわゆる合成洗剤を使わなくなってから、いろいろ快適です。

ロマンスグレーの髪(白髪とも言いますね……)も、
しばらく染めずにいたのですが、
どうもこれだけは社会的にあまりに馴染めなくなるので、
1年ぐらい前からまた染め始めました。

ですがもう普通のヘアダイでは身体が拒否反応をしてしまいます。
それで、宮城ではロハスを詠った美容室にずっとお世話になっていました。
九州へ移住して、また一から美容院探しかぁ…と思ってちょっと憂鬱になっていたのですが、
ネットで検索してなんとなく良さげな美容室を見つけたので予約してみました。

ちょっとだけ不便な場所にあるその美容室は、イケメンの店長さんがひとりで営業していらっしゃいました。
随所にこだわりが感じられます。
インテリアも、お客様への心配りも、思いつくものはどんどん取り入れているように見受けられました。
とても心地よい空間であるだけでなく、その技術もすばらしく、
何より、「身体に悪いものを使いたくない」というこだわりが一番うれしい!
アトピーなどで悩んでいる方も多く通われているようです。

クリキンディは、いろいろ相談した結果、ヘナ染めをしましょうということになりました。
ヘナにももちろんピンからキリまでありまして、
店長さんのこだわりの原料のパッケージを見せて頂き、
仕上がりはもちろん大満足でした。

店長さんに、なぜこのようなコンセプトでお店を開こうと思ったのですか?と聞いてみると…

18歳でこの業界に入り、いろんなお店で働き、店長を任されるまでになったそうです。
ですが、スタッフは手荒れがひどく、ひどい人は首までただれ、
身体にいいとは思えないその化学薬品まみれの環境で慌ただしく食事をし、
お客様が少しでも快適になればと経営者に提案したものは、
すべて経費の無駄だと却下され、
店長時代は、売り上げのアップと経費の削減ばかりを求められ、
自分がやりたいのは、こんな美容院じゃない、と思っていたところに、
信頼できる人との出会いがあって独立に至ったそうです。

こうして聞いてみれば当たり前に思えることだとクリキンディは思うのですが、
世の中の流れ的に見ればまだまだマイノリティなんでしょうね。

以前ある方の講演会で聞いた話を思い出しました。

若いサラリーマンに今年の目標は?と聞くと、
たいがいの人は「売り上げアップです!」と答えるそうです。
ではその売り上げが達成できたら次は何を目標にするんだ?と聞くと、
「さらに売り上げを3割伸ばしたいです」
それが達成できたらどうする?としつこく聞くと、
しまいには答えられなくなってしまう。

会社という組織は、売上げアップのために、経費削減をします。
それは則ち質の低下を意味します。
例えば価格を下げるために、原材料の質を落とす、量を減らす、
または人件費を抑えるために、教育の行き届いていないアルバイトに仕事をさせる。

つまり顧客のニーズに反することでしか実践できないんです。
それなのに、「一番大切なのはお客様だ」というような矛盾した理屈を押し付けられ、
働く人はどんどんストレスが溜まっていってしまうんですね。

しかも会社は、その組織を守っているのであって、
社員の幸せや安心を守っているわけでもありません。
え?うちの会社はそんなことないって?
残業もないし、病気になったら休ませてもらえるし、危険な作業もない、
育児のためにしっかり休みもとれるし、無理難題を押し付けられることもないし…
それはとてもすばらしい職場だと思います。
きっとその会社にはリストラや定年はないんでしょうね。

話がそれましたが、
世の中のしくみってなんかおかしいよね、と思った人から、
こうして自分の正義を貫く生き方を求め始めるのかもしれません。

この美容室の店長さんには、なんだかはじめて会ったような気がしなくて、
「きっとインディアン時代にご縁があったのかもしれませんね」
と言ってみたら、
「僕がお父さんですかね?」ですって!
今世では私の方がだいぶ年上なんですけどね(笑)

ただ美容院に行ったというだけなのに、
人間の生き方について深く考えさせられる出会いでした。

移住しました その15「私がこの人生でやりたかったこと」

さて今まで生きてきた中でもっとも長い、2ヶ月もの休暇ができたのはいいけれど、
私はいったい何をしたいんだろう?
今まで忙し過ぎて、あー10日休みがあればなぁ、とか
1ヶ月休みが欲しいよー、とか言っていたのに、
いざ自由に時間を使えるとなると、なかなか決められないものです。
もしかしたら宝くじが当たった人もこんな気持ちなんでしょうかね?

あらためて、「自分が今本当にやりたいこと」について考えてみます。

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長崎ランタンフェスティバルが呼んでいる?


駅でポスターを見かけて気になっていたこのお祭り、
2/14まで開催されているらしいので、
一度行ってみたいなぁと思っていました。

そして昨日、仕事に行こうと準備をしていた時に、
「あ!間違った!今日休みだった。」
と気付き、それなら今から行っちゃおうと、急遽高速に乗りました。
こんな時に行動が早いのは、やっぱり震災の経験が大きいです。
「明日生きているかどうかわからない。来年このお祭りがあるかどうかわからない。」
だから思い立ったらすぐに行動することが多くなりました。

行こうと決めて準備している間、
「よーし、おいしい小籠包を食べるぞー!」と考えていたのですが、
ふと、ん?なんで小籠包なんだろう?
長崎と言えばチャンポンとか皿うどんとかじゃないの?と自問自答。

そもそもこのランタンフェスティバルがどんなお祭りなのかよく知りません。
とりあえずHPを見つけてだいたいの場所を確認して向かったはいいけれど、
長崎市内に入っても、会場がどこなのかよくわかりません。
うろうろしているうちに、T字路の信号で止まったのですが、
直進車線に入っちゃってます。
右にも左にも行けないじゃないかー(T T)
直進すると長崎県庁に入っちゃうことになります。
仕方なく、心の中で「Uターンさせてください」とつぶやきながら県庁に入ってみると、
あれ?17時過ぎてるけど開いてるじゃん!
パンフとかあるかも?と思ったらあったー!
ついでにトイレを借りて、場所も確認できたのでいざ会場へ。
週末はかなり渋滞するらしいのですが、今日は平日。
晴れているけどとても寒いので、人出が少なかったのか駐車場にもスムーズに入れました。

おおおお!まぶしい!!

ランタンは、針金で作った土台に布を張って色が塗られているようです。
一番大きな馬の像は10mもあるそうで。
とても鮮やかで、いろんな形があって楽しいー!!

到着してわかったこと。
ここには古くから中華街があって、もともと毎年、旧暦の新年をお祝いしていたところに、
長崎市が1994年から市のお祭りとして範囲を広げたのだそう。
だから、屋台も中華がたくさん!もちろん小籠包も!!
だけど、来るまで長崎に中華街があることも知らなかったし、
なぜ小籠包と思いついたのかやっぱり謎はとけません。

中華ちまきを立ち食いしながら、ステージで龍踊りが始まるのを待っていたら、
あらら、一番前の席が空いたよー!特等席で観覧です。

「龍踊りやってみたい人!」と呼びかけられて、
「ハイハイ!」と手を上げてステージにも上がらせてもらいました。
これも一番前に座っていたからこそできたこと。ラッキー!
見ていると軽々とやっているようですが、
とっても重たくてすごく体力がいることがよーくわかりました。

お土産までもらっちゃいました。

龍の手ぬぐいと福袋。
思いがけず旧暦の新年を派手にお祝いできました。

さて、ここから謎解き。
だいたい、イベントの詳細がわからないのに、行ってみたいと思う、
そのモチベーションはどこから来るんでしょうね?
そして、流れに乗るように追い風にまかせてスムーズに到着する時は、
その場所に「導かれている」ことが多いです。
小籠包などの知らないはずの情報をなぜか知っていたのも不思議。
そして、龍踊りを見ている時に、
なぜか突然こみ上げるものがあって、クリキンディ泣きそうになってました。
時々パパパパパパーンと爆竹が炸裂する度に、気持ちが高揚します。
中国のお正月のイベントに参加するのはもちろんこれが初めてです。
今世では、ね。

もちろん、テレビやネットなどからいろんな情報が入ってきますので、
自分でも気付かないうちに、どこかでインプットされた可能性もあります。
でも、泣かないでしょ、普通。

今までの傾向でいくと、クリキンディが泣いてしまったことがあるのは、
アイヌの踊りを見た時、インディアンの祈りの歌を聞いた時、
マーチングドラムに率いられた黒人部隊を見た時、
アイリッシュダンスを見た時、
チェロの室内楽を聞いた時など、
これ、絶対前世の記憶でしょ!と自分に突っ込み入れたくなることが多いのです。

いやまさか中国にも反応するとは思わなかったわぁ。
シルクロードやチベットの記憶はなんとなく把握していたんですけどねー。
小籠包の謎、なんとなく解けました。

なるほど過去世の記憶に反応するという話なのね…
と納得された皆さん、
これで話は終わりではありません。

もう一つの可能性を書いておこうと思います。
それは、誰かに乗り馬として使われている可能性です。
誰かというか、いわゆる見えない存在ですね。
その見えない存在さんが、長崎もしくは中国の新年に思い入れがあって、
それをもう一度体験したいという思いが強い場合、
「行ってみたいなぁ」と思った人間を察知して、取り付くことがあります。
そして見たいもの、食べたいものに導くんですね。
だから、もしかしたら感激して泣いていたのは、私ではなく、
乗っている誰かだった可能性はゼロではありません。

今のところそれがどっちなのか判断する術はありませんし、
もしかしたら、その両方である可能性もありますね。

どちらにしても、とても楽しい新年のお祭りであったことは確かなので、
今回はそれでオッケーってことで!

遅くなりましたが、皆さんあけましておめでとうございます。
グレゴリオ暦と旧暦と2回お正月があるの、いいねー!

心のコンパスに従って生きていたら、いろんなことが見えてきました。