自分の使命を見つけるって実は簡単だったのね


さて、ジオパシックストレス記事の途中ではありますが、
あらたな認識に出会ったので、記録しておきます。

ちょっと前に、悩んでいたことがありまして…

:::::::::::::::::::
わがままと言われようとも
自分の心のままに生きるべきなのか

それとも

自分のわがままを常に反省して、
いい人になるべく努力するべきなのか
:::::::::::::::::::

先週、ブログ「あかね雲」のタマラさんにお会いする機会がありました。
タマラさんに、このことを伝えたわけではなかったのですが、
というか、自分自身、この迷いのことをすっかり忘れていたんですが……

しかし、
タマラさんに、
「自分の発言で誰かが傷つくんじゃないか、とか、どうせ誰もわかってくれないだろうと思って、
自分の伝えたいことを言わなくなっちゃってるんじゃない?」
というような指摘を受けて、気付きました。

実は、クリキンディ、
職業柄、人にものを「伝える」という機会が非常に多いんです。
もともと「人に何かを伝えたい」という気持ちが強いので、
プライベートでも、こうしてブログを書いたりしているわけです。
だから、上記のようなご指摘を受けて、
「いやいや、他の人の何倍も表現してる方だし…」
と疑問に思ったんです。

あまりにストレートに、本音を言い過ぎるため、
敵を作ることも多く、
アーリマンシリーズに書いたような、
上司との衝突が起こっちゃったりするので、
なるべく、気をつけて、言葉を選んで、
相手を傷つけないように、刺激しないように、
と思っていたんですね。

でも、それは、
本当の自分自身を否定することと同じだったんだ、
と気付かされました。

人間は、生まれてから死ぬまで、学びの連続、
だから、常に自分を観察し、反省し、
悪いところは直して、いい人にならなくてはならない、

そんな風に思っていました。
ですが、
それは、「平均的にまんまるな自分になること」が目的な気がしませんか?
少なくともクリキンディは、そう思っていました。

でも、タマラさんとお話したことで、
そうじゃないんだ、
みんな自分の個性を持っていて、
いろんな形をしていていいんだ、
どこか飛び抜けて出っ張っていたり、へこんでいたりしていいんだ、
と思えたんです。

他の人と比べて、出っ張っているから、それを削る、
というマイナスなやり方は、
決して「成長する」ことではないんだ、
それをさらに認めて伸ばしてこそ、成長なんだ、
そんな気がしています。

ストレートに、人にものを伝えたい、という私の個性を、
他の人と比較して、多すぎるから削らなくちゃ、
と思っていたんですね。

でも、そうではなく、
他の人より強い欲求だからこそ、
それこそが、自分の使命である、
ということなんじゃないかな、と思えてきました。

なんだか、
足かせがひとつはずれたような気分です。
タマラさんありがとう〜

そして、タマラさんのお話だけでは気付けなかったクリキンディに、
いろんなヒントをくれた皆さん、
ありがとう〜〜〜!

よっしゃ〜
これからも、バンバン本音で行っちゃうよ〜ん!

人気ブログランキングへ←お願い!クリックして〜!(本音)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です