原発導入のシナリオ


そもそも、地震大国の日本に、なぜこんなにたくさんの原発が作られたのか、
その理由をググっていたら、こんな動画に行き当たりました。

「原発導入のシナリオ〜冷戦下の対日原子力戦略」
(NHK 現代史スクープドキュメント 1994年放送)
http://video.google.com/videoplay?docid=-584388328765617134&hl=ja#

番組の内容を書き起こしたものをpdfにしてあります。
http://homepage2.nifty.com/voices/genpatsu/donyu.pdf

こちらは、クリキンディなりに、内容を要約したものです。
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第二次大戦の前後、アメリカとソ連は、
原爆、水爆の開発競争をすることで、互いを牽制し合っていた。
その最中、アメリカ大統領アイゼンハワーが、
「原子力の平和利用」を世界に向けて発表、
表向きは核軍縮に向かうと思われたが、
その提案の裏では、同盟国の核武装を進めていた。

1954年に南太平洋ビキニ環礁で、秘密裡にアメリカが行った水爆実験で、
たまたま近くで操業中だった、マグロはえ縄漁船の第五福竜丸が被曝。
この事件の後、日本人はアメリカの原子力平和利用計画に、さらに疑いを強めるようになり、
「核」に対する大きな反対運動が生まれる。
日本が、アメリカに対して反感を高め、日米関係に亀裂が入ることを危惧し、
ある計画が密かに始まった。

その計画を具体的に動かしたのが、
当時、日本テレビ重役だった柴田秀利と、アメリカ人ダニエル・S・ワトソン。
柴田は、このように提案。
「日本には毒をもって毒を制するということわざがある。
原子力は諸刃の剣だ。
原爆反対をつぶすには、原子力の平和利用を大々的に謳い上げ、希望を与える他はない。」

そこで、心理戦略計画が実行に移された。
読売新聞、日本テレビの社主であった、正力松太郎の政治力を生かし、
新聞とテレビを使い、5ヶ月に渡り、原子力平和利用のキャンペーンを実施後、
満を持して、アメリカ原子力平和使節団を招聘。

正力はアメリカから提供されたデータを使って、
水力や火力より原子力発電の方が経済的であると財界を説得。
正力は原子力発電の安全性についても
「原子炉から出る死の灰も食物の殺菌や動力機関の燃料に活用できる」と財界紙に掲載。

そして、 昭和32年8月20日、
心理戦略は功を奏し、アメリカから輸入された東海村の原子炉が臨界に達した。
日本の原子力開発がスタートした瞬間であった。
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