今年もどうぞ宜しくお願いします。
移住しました その5「移住を勧めてくれた人」
原発事故に対して危機感を持っていた人は、日本人の何パーセントいたんでしょうね?
新聞とテレビの情報を鵜呑みにして生きている母親とは随分ケンカしました。
完全に「放射脳」のレッテルを張られ、めんどくさがられていました。
それでも、やはり心のどこかで「危険なのかも…」という気持ちは拭えなかったんだと思います。
しつこく会話を続けるうちに少しずつ態度が軟化していきました。
小さなお子さんを持った方は、移住できなくてもせめて疎開を、という話なら皆さんもよく耳にしたと思います。
母子のみが移住して父親が単身で仕事を続ける話も多く聞きました。
「残念ながら」なのか「幸いに」なのかどうかわかりませんが、
クリキンディの息子はすでに成人していましたので、
母子に手を差し伸べる機関には縁がありません。
移住しました その4「諦めて、そしてやりたいことをする」
2011年の夏、海沿いの津波被害のあった場所を除き、
町の中心部はほとんど日常を取り戻していました。
むしろ以前より活気があったかもしれません。
それは、震災に立ち向う!とか負けない!とかいう運動とは別に、
個人的な気持ちの変化だったと思います。
クリキンディが教えている音楽教室には、
「人間は、いつどうなるかわからない、と痛感しました。
だから、やりたいと思っていたことを先延ばしにするのをやめました」
という入会者が増えたんです。
同時にいろんなものが随分売れたと思います。
楽器もそうですが、車やバイク、今までなんとなく我慢していたものを、思い切って買ってしまおう!
そういう人は多かったと思います。
クリキンディも「道具が増えるからやらない」と決めていたレザークラフトを始めちゃいました。
移住しました その3「森のトトロと仲間たち」
ここで、ちょっと時間軸は遡りますが、地震前の状況についても少し書いておこうと思います。
なにせこのブログは一応スピ系のつもりなもので…。
いろんなことが必然なんだということが少し伝わるかと思います。
まずどうしても説明しておかなくてはならないのが、
森のトトロとその仲間たちです。
この人たち無くしては、今のクリキンディはありませんし、
震災から移住に至る経緯の中で、彼らとの関わりが大きく影響しています。
そもそも、クリキンディはミュージシャンです。
年を取るにつれて、演奏活動よりも、教える時間の方が多くなってきていました。
そしてその生徒のひとりに、このブログでも何度か登場している
マドレーヌちゃんがいたんです。
移住しました その2「原発が壊れて、そして友達がいなくなった」
大きな地震をなんとかやり過ごし、余震に怯えながらろうそくの灯りの中、
誰かが持ってきた携帯のワンセグで、はじめて津波のことを知りました。
危険を知らせる情報は、停電してしまえば、必要な人には届かないのです。
遠く離れた場所からテレビを見ている人だけが、悲惨な状況をリアルタイムで知り得ました。
それは原発事故についても同じ事です。
被災地に居た人たちは、水や食料、電池や燃料を得るために、
あれから数週間は、何時間も外に並びましたが、
今思えば、クリキンディは、あの時確かに空気に違和感を感じていました。
それでも目に見えず、臭いもない放射能の存在を意識するのは難しいことです。
スーパーに並ぶ長蛇の列の側では、帽子もマスクもなしに、子供たちが走り回っているのを
やり切れない思いで見ているしかありませんでした。