なにもなかったように、
怒ったりしないで、
普通に、ごはん食べたり、世間話したり、
普通でいられるように、努力してるんだ、私。
彼氏とケンカした後で、仲直りするために、
こんな風に努力している、とクリキンディの友人が話してくれました。
大人だね…。
って、
ほんとにそれでいいのか〜〜?!
「努力する」という時点で、それは「自然体」じゃないでしょ?
自分に嘘をついて、本当に言いたかったことに蓋をして、
表面上穏やかに、やり過ごしたつもりかもしれないけれど、
それは、ふたりの心の距離を遠ざけるだけじゃないの…?
冷静になって、
その上で、あらためて本音で話合う、というのならわかる。
でも、何もなかったことにしちゃう、というのは、
せっかくの、「ふたりが学ぶ」チャンスを、みすみす捨ててしまうようなものじゃないのかな…。
そこに立ち向かうのは、確かに「痛い」ことかもしれない。
避けられるものなら、避けて通りたいよね。
だけど、同じ努力するなら、
「もっと深くわかりあう」努力をすればいいのに。
ん〜、クリキンディの両親にも同じことが言えるなぁ…。
本音で会話してないから、
ケンカしたこともない。
でも、彼らにとっては、
「自分に嘘をついてでも、人生を穏やかに過ごす」ことの方が大切なのかもしれない。
本音を出し合って、わかりあえるならいいけれど、
平行線のままだったり、
相手を傷つけることになってしまったりすることも、よくあることで。
今日は、なんの結論も出ません……。
クリキンディの心のコンパスも、
あちこち、針が迷っているようです。
人は、みな、同じゴールに向かって走っているわけではない、
ということなんでしょうね。
私は、どこに向かって走りたいのかなぁ………