クリキンディにもまぁまぁ理解できる島原の乱


行き当たりばっ旅その2のつづきです。

天草四郎メモリアルホールを訪ねてはみたけれど、どうも歴史背景がよくわからないので、
クリキンディなりに考えてみましたよ。
そこから見えてきたものは、今の日本の状況の打開策のヒントになるかも〜?

原発の再稼働や憲法改正、戦争法案にTPP、辺野古基地やオスプレイ購入、増税にマイナンバーなど、
国民にとってうれしくないものが推進されていき、全国各地でデモが起きていることとなんかかぶるんだなぁ〜


島原の乱っていったいなんのため?

島原の乱に関係すると思われる出来事を年代順に見ていくと…

1549年 フランシスコ・ザビエルが鹿児島から布教開始
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(布教の成功や失敗やいろいろあって63年後…)
1612年 徳川家康が禁教令を出す
155903
 (弾圧とかいろいろあって禁教令から25年後…)
1637年 島原の乱勃発
2015-08-25 15.19.49
 (島原の乱鎮圧の翌年…)
鎖国政策

 (島原の乱鎮圧から21年経ってようやく…)
1659年 石高と年貢の改正が認められる

 (鎖国から約230年後…)
明治維新〜信仰の自由化

んんん〜?
「島原の乱はキリシタンによる信仰の自由の獲得のための戦いだった説」はなんか違う感じ?
だって、禁教令から25年も経ってますやん。
しかも、全員殉死してから再び信仰の自由が認められるまで230年もかかってるんですけど…。

ということは、他にも理由がありそうですよね〜。


豊臣の反乱だった?

今さらですが一応言っておきます。クリキンディは歴史研究家ではありません。
この仮説は基本的にネットで仕入れた情報ですので、エビデンスはありません。(きっぱり!)
でもねー、ネット上にはいろんな情報が転がっているものでホント面白いんですよ。

まず、島原の乱が起こった理由を考察してみます。
この頃、家康による禁教令から20年以上経っており、多くのキリシタン弾圧が行われ、ほとんどの信者がすでに改宗しています。
宣教師はすでに国外追放されているので、新たに布教する人はいません。
隠れキリシタンとなった人はそれなりにいたと思われますが、信教の自由が目的だったとは思えません。

この頃、島原〜天草地方の人たちが一番苦しんでいたのは飢饉でした。
今の時代私たちの税金は収入などの支払い能力によってその割合いが決められているわけですが、
江戸時代の年貢は、土地の広さで収穫量を予測してあらかじめ決められていて、飢饉などの収穫減は考慮されず、ただただ飢えるしかなかったようです。

そんな苦しい状況の中ではけ口を求めていたのでしょうか、
25年前にある宣教師が予言したと言われる「天草四郎」を大将として、再びキリシタンとなる人が増え、その頃多かった浪人とも結託して、地元の領主たちを次々に襲うんですね。

もはやこの時点で、目的が曖昧になってきています。
戦う相手とその相手に対する要求がよく見えません。

ここで、面白い説が出てきました。
「天草四郎は実は豊臣秀頼の息子であった説」です。
秀頼は大阪夏の陣で亡くなったのではなく、九州に逃げた説があるんですねー。
つまり、島原の乱は、豊臣の反乱だったというわけです。

それならば、幕府が大軍を組織して女子供まで皆殺しにした理由もなんとなく納得です。

ちなみに年貢の改正が行われるまで、島原の乱の後20年以上もかかっています。


植民地化?

もうひとつが、オランダvsポルトガルの構図です。

ザビエルが布教活動をしていた時代、世界は大航海時代にあって、ポルトガルとイスパニアは、ローマ教皇の許可を得て、世界各地に植民地を増やしていました。

その頃、ポルトガルと対立関係にあったオランダから、
徳川家康の元には「カトリック教会は布教することで宗教の対立をあおり、内乱させようとするので気をつけるように」という国書が届いています。

家康は、オランダを信じて禁教令を出したわけです。
島原の乱で一揆軍は、ローマ教皇からの手紙「ポルトガルから援軍を差し向ける」を信じて、籠城したと言われています。
そして、幕府軍はオランダ船の協力をあおぎ、一揆軍を攻撃したという記録も残っています。

カトリック教会には、まず宣教師を斥候として送り込み、状況を逐一報告させてから、植民地支配に持ち込んだ歴史が事実として残っており、
日本もその標的にされていたと考えてもいいわけです。

その危険にいち早く気付いて禁教〜鎖国したために、日本は植民地化されなかったという説もありますよね。


歴史は繰り返す

それから200年以上もガラパゴスな独自の歴史を歩んできた日本に、ついに開国の時が来るわけですが、
これまた明治維新にはいろんな陰謀説がありますよね。
フリーメーソンが絡んでいる説、豊臣の復活説などありますが…
あ…!
結局同じ構図ってことなのかっ?
ここからまた日本に宣教師がやってきて、政治の中心は豊臣の末裔に移り…
歴史は繰り返しているんですね。

今の日本の状況はなんだかあまりに複雑で、クリキンディにはさっぱり理解できませんが、
いろんな情報が裏で動いているんだろうな、と想像することはできます。

今、日本中で安保法案に反対するデモが蜂起されているようですが、
これは「一揆」と言ってもいいのかもしれません。
一揆とは「何かを目的に誰かのもとに組織すること」なのだそうです。

調べてもよくわからなかったことのひとつに、
「一般庶民は禁教令の理由を理解していたのか?」があります。
なにかを禁止(または推進)されるには、それなりの理由が必要だと思うのですが、
本当の理由は周知されていなかったんじゃないかなと思うんです。

理由がわからない、というか納得できないから市民は反発するわけですよね。
原発にしろ集団的自衛権にしろなんにしろ、公式に発表されるその理由には納得感がありません。
メリットがまったく感じられず、デメリットしか見えないものに人は賛同できません。

その点、スマホってすごいなぁと思いますよ。
便利なものをたくさん配布してメリットを感じるから、みんな個人情報の吸い上げなどのデメリットに目をつぶっちゃうわけで。

デモ隊の組織には、裏目的を持って人を煽動しようとする人もいるかもしれません。
ザビエルはとてもいい人として描かれることが多いですが、もしかしたら裏目的があったのかもしれません。
クリキンディ的には、ザビエルはおそらく裏目的を知らずにうまく使われていただけじゃないかと思ってるんですが…


心のコンパス

つらつらと感じるままに書いてしまいました。ここまで読んだ方はさぞかし疲れたことと思います。

むりやりまとめちゃいますが、人は渦中にある時には、全容が見えていないんですよね。
何年も経ってから「あれには実はこういう意味があった…」とか、
「あの時あんなことがあったおかげで歴史はこのように舵を切った…」とかいうことがわかってくるわけで。

本当のことが見えない中でどう生きていくのかと言えば、その時その時で、自分の心のコンパスに従うしかないんですよね。
それが後で「間違ってたー!」と気付く事になるかもしれないけれど、
今はこっち!と思うならそうするしかないわけです。
自分の直感を信じないで、誰かのコンパスについていっちゃう人は、自分で責任をとらない人だと思いませんか?
うまくいけば「あの人のおかげ」、うまくいかなければ「あの人のせい」。
あ、でも、その人を信じるということも、自分の選択か!
結局自分のコンパスに従うようにできてるのかな、人間って。

では、行き当たりばっ旅のつづきに戻ります。


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