知らずに死ぬより知って死んだ方がいい


明治維新の立役者と言われる吉田松陰(よしだしょういん)をご存知でしょうか。
歴史の成績はギリギリ落第しないレベルだったクリキンディは、
「誰それかっこいーの?」とか言っちゃうアフォですが…
この話を聞いたらきっとみんな
「すげー!吉田松陰かっけー!!」
と言っちゃうはずです。

興味のある方はこちらをじっくり見ていただくとして…
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カリスマ予備校講師でもあり、第73世竹内宿禰(たけうちすくね)を継承している竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏が、歴史の教科書だけではわからない裏話を面白おかしく解説してくれます。

とりあえず、印象に残ったところを書き出してみますね。

吉田松陰は幼い頃から非常に頭がよかったようで、
小学生ぐらいの年齢の頃に、長州藩主のお殿様に「戦いの仕方の授業」をしたという逸話を持っているそうです。
大人のちょっと意地悪な質問に対しても、完璧な受け答えをしたんですって!

また、幕末に黒船がやってきた時、
情報を得るために、長州(現在の山口県)から勝手にペリーに会いに行った吉田松陰、
なんとか船には乗り込んだものの、ペリー提督には会えず、追い払われてしまいます。
非常にデリケートなこの時代、松陰の軽率な行動に対して、幕府は死刑を下そうとしたようですが、ある人の手紙に救われて、死刑ではなく終身刑となります。

その手紙を書いたのがなんとペリー。
実際に会ったわけではないけれど、船に乗り込んできた若者の話を、部下の船員から聞いていたペリーが、興味を持ったのだと思われます。
「勇敢な若者に感心した。彼を死罪にしないでほしい」と幕府に頼んだのだそうです。

終身刑となった吉田松陰は、牢に入るとすぐに、そこにいる囚人たちに向かって、「儒学」の講義を始めたのだそうです。
もちろん、誰も聞いてない!
だって、そこにいる囚人は全員「終身刑」だから、そもそもなにかを学んだところで、外に出ることはできないわけで、役に立たないじゃないですか。

そこで松陰が言った言葉。
「ものごとを、知って死ぬのと、知らずに死ぬのでは違う」

それを聞いて、囚人たちはみな松陰の授業を聞くようになったのだそうです。
そのうち、松陰の話の面白さに惹かれて、牢の番をしている役人たちも聞きはじめ、
その噂を聞いた人たちから、
「松陰先生を牢から出してほしい、みんなが授業を受けられるようにしてほしい」
という嘆願が集まり始めます。

しかし、一度終身刑にした囚人を簡単に出すわけにもいかず、苦肉の策として考え出されたのが、
「松陰専用の牢屋を作る」という方法でした。

そして、その専用の牢屋こそが「松下村塾」と呼ばれた場所となったんですって!
そこに集ったメンバーが中心となって、明治維新が起こったわけです。

最終的に、安政の大獄で処刑されてしまうまで、
吉田松陰が松下村塾で講義を行った期間は、ほんの一年ほどしかなかったのだそうです。

他にもいろんなエピソードがあってとても面白い内容でしたー!


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