京都文化博物館をご存知でしょうか。
修学旅行の行き先としてはあまり選ばれることの少ない場所かもしれませんね。
烏丸御池(からすまおいけ)の交差点から南西方向に細い道に入ると、とても立派なレンガ造りの建物が目につきます。
ここは、明治時代に建てられた日本銀行の京都支店だったところで、設計は、東京駅を作った辰野金吾とそのお弟子さんの長野宇平治によるものだそうです。
いつぞやの台風で傷んだものを最近修復したそうで、天井も高く、本当に頑丈で立派で美しい建物です。
この建物を「別館」として保存してあり、その隣に建てられたのが文化博物館。
京都の歴史をいろいろ知ることができます。
これまで何度も京都を訪れていますが、有名な寺社仏閣ばかりまわっていたので、こちらには初めて行きました。
まぁだいぶ歩き疲れていたので、近場でまだ行っていないところを選んだ感満載なんですが(笑)。
なんとなく選んだ博物館ではありましたが、大人になって歴史に興味がわいてきた私にとってはとても面白い場所でした。
学生時代の歴史の授業は本当にまったくつまらなかったからね〜
京都文化博物館の中には、ボランティア風の解説員のおじさまがいらっしゃったのでちょっと質問してみました。
「京都の歴史は平安時代から語られることが多いですが、それ以前はどんな場所だったんでしょうね?」と。
その方いわく、都の中心が奈良にあった頃は、天皇の別宅のようなものが宇治にはあったけれど、それ以前の京都はやっぱりかなり田舎だったでしょうね、ということでした。
そしてその方がとても面白いことを教えてくれました。
平安時代のみならず、古い時代の絵巻物というのはこんな感じで描かれていることが多いですよね。
↓
こちらの絵は京都文化博物館のHPから拝借したものですが、江戸時代に描かれた祇園祭の様子だそうです。
ああ、あるある、こんな感じ。と皆さんも思いますよね。
その解説員の方が
「私は何度見ても不思議だと思っているんですよ。なぜこのような絵が鳥瞰図で描かれているのかと。だって飛行機もドローンもない時代なのにね」
とおっしゃる。
ああ〜!確かに!
そう言われれば、戦国時代の城や城下町の見取り図とか、江戸時代の浮世絵の二次元的なものと違って、完全に「空から目線」で立体的に描かれています。
これを描いた絵師さんはいったいどこからこの風景を見ていたんだ〜?という新たな疑問がわいてきました。
解説員さんが調べたところ、今私たちが知っている五重塔などよりもっとずっと高い建築物があったという説を見つけたそうですが、証拠もなくまだよくわかっていないのだとか。
よくよく絵を見てみると、絵の一部が隠れるような雲のようなものが描かれていますよね。これも絵巻物ではよく見る構図だったりします。
高い山の上から街の様子を眺めて描いたとすれば、雲海のようなものに遮られてこのような絵になるとも想像できますが、かなりの遠景になるので、人々の細かい動きまでは見えないはずだよなぁ…とか、いろいろ不思議です。
というわけで、強引に「絵師は空飛ぶ乗り物に乗って風景を描いた」説をぶちあげておこうと思います。
そんなわけないっしょ、と思いましたね?
………ええ私もそう思います……(笑)
でもね、ほんの数百年前のことですら、よくわかっていないことがたくさんあるんですよ。
今でも、何か発掘される度に新説が出てきます。
常識だと思っていることが覆されることも珍しくありません。
もしかしたら数十年後に「マスクでウイルスが防げると思っていた時代があったのよ、あはは!」って笑える時代がくるかもしれませんよね。
いやいや、後世にその情報が伝わらず絵や写真のみが発掘されたとしたら、「あの時代にはこういうファッションが流行っていました」とか「顔を覆う宗教が流行っていた」とか言われるのかもしれませんね。
今回もGoToキャンペーンを利用させていただき、楽しい旅となりました。
いつもと違う行動をすれば、必ず新しい発見があるのだと思います。ぜひ皆さんもお出かけしてみてくださいね。