スポーツは全般苦手なクリキンディです。
が!
フィギュアスケートは大好き。
いや、見るのが。(苦笑)
2017年冬シーズンのエキシビジョン、楽しかったですね〜
ロシアのメドベージェワのセーラームーンとかめちゃ可愛かったし、
羽生結弦くんは、アンコールまであるし、
大会では使えない曲をふんだんに使って、プログラムもバラエティに富んでいます。
でも、それだけではない大きな違いがひとつありますよね。
滑る目的が違う?
それが、演技する選手たちの表情と緊張度、だと思いませんか?
オリンピックや世界選手権などに出場する選手たちの演技はもちろんものすごくレベルが高いのですが、
当然「高得点を取る」ことが目的になっているため、失敗は許されないし、
目の肥えた審査員のために競技をしているようなところがあります。
ですがエキシビジョンは、もはや採点もなにも関係ないので、自分の好きなプログラムを選ぶことができます。
目的が「自分がスケーティングを楽しむこと」と「お客様を楽しませること」になっているので、
とてもリラックスして滑ることを楽しんでいるように見えます。
これこそが、人間のあるべき姿なんじゃないかなと思いませんか?
人がなにかに対して興味を持つ、
それはスポーツかもしれないし、音楽かもしれない、美術かもしれない、お洒落かもしれない、恋愛かもしれない。
興味を持ったことについて、もっともっと知りたいし、やってみたいし、うまくなったら楽しい!
だけど、そこに勝敗が絡んでくると、純粋に楽しむというフィールドを超えてしまう。
もう楽しむことが目的ではなくて、終わりのないチャレンジが目的になっちゃいます。
勝負は宇宙から持ち込まれた概念
実は、もともとのホモサピエンス・サピエンスは、このような、勝負をする、比較する、評価する、
という概念があまり強くありませんでした。
ところが、地球を実験場として他の星からやってきた存在たちが、このような概念を持ち込んで流行らせたのだそうです。
こちらの記事「ウインクできるかできないかは遺伝子情報だった」にも書いたのですが、
勝負や評価の大好きな星の人たちとのハイブリッドも地球には存在しているものと思われます。
そういう人たちがオリンピックを始めたのかもしれませんね。
この本は未読なのですが、分類としてはかなり面白そうですよね〜
自分のやりたいことがわからない
浅田真央ちゃんが26歳で選手を引退することになってしまいましたが、早すぎますよね〜〜
「審査員のために滑る」人生を選んでいなければ、
もっと楽しくスケートできたんじゃないかなと思っちゃいます。
私はフィギュアスケートについて、全然詳しくないし、
どの選手がどこでミスをしようがわからないし、
どれが難易度が高いのか低いのかもよくわかりません。
滑っているのを見るだけで、純粋に、すげ〜!と思うし、キレイだ〜!芸術だ〜!と思います。
でも、もし自分がものすごく上手な引退した選手だったとしたら、楽しめるかなぁ?
ものすごく細かいところが気になってしょうがないんじゃないかなと思うんです。
ああ、あそこの腕の角度がイマイチだ、とか
ジャンプの踏切のタイミングが悪いな、とか…
私の場合、物心ついた時からずっと音楽をやってきました。
自分自身のレベルを言えば、全然低い場所にいるのですが、
それでも、他の誰かの演奏を聴いて、上手な人とそうでない人の区別はついてしまいます。
だから、ライブを見に行っても、純粋に楽しめていないことが多い気がします。
もともとは、ご飯を食べる時間も惜しんでピアノを弾いたり歌ったり、
バンドをやったり、ライブをやったりするのがとても楽しかったのに、
今ではあまりやりたいと思わないんです。
変な言い方かもしれませんが、上手下手の区別がつくようになってしまったために、
自分の下手さ加減がはっきりわかってしまうんですね。
もっと言えば、これ以上練習しても、もう新しい技術は上手くならないだろうということも。
あとは円熟味が増すだけです。(笑)
一番大好きな趣味は仕事にしない方がいいって言いますが、
ほんとだな、と思います。
いやでも、世の中には、
趣味が高じて仕事になった今でも、さらにそれを趣味としてやっている方も大勢いますから、
全員に当てはまることではないかもしれません。
もし今あなたが
「なんかやりたいことが見つからないんだよね〜」
と思っているのだとしたら、
純粋に好きで、やりたいことがあったのに、その目的がいろんな理由でズレてしまったために
楽しくなくなっているケースもあるかもしれないなと思いませんか?
みんなが自分のやりたいこと、生まれてきた目的をちゃんと思い出してそれを実現できたら、きっと世の中はもっと楽しくなるんだろうなぁ。
そんな時代が早く来ますように。