助けないでね


親友のDと、いろいろおしゃべりしていたら、
死ぬ時の話になりまして…

クリキンディ「私が死んだら、遺骨は海じゃなく、山に撒いてね」
D「じゃ、私は海にお願い」

クリキンディ、以前から、「お墓」とか「お葬式」とかのシステムに疑問を持っていたんです。
死んだら、肉体がないんだから、お墓という三次元的なスペースは必要ないだろう、とか
生きている人より、死んだ人の方が、
圧倒的にたくさんいるし、これからも増える一方なんだから、
そのために、次々にお墓を作ったら、地球上に、生きてる人が、暮らすスペースがなくなるし、
とか思ってます。

それと、生前、お経を唱えたこともない人が、
会ったことも話したこともない、お坊さんのお経で送ってもらうって、どうなんでしょう?

戒名のシステムについても、なんだかよくわからなかったのですが、
葬式は、要らない (幻冬舎新書)
を読んで、いろいろ謎が解けました。

まぁ、そういうわけなんで、
リアルにクリキンディのことを知っている人は、よろしくお願いします。

さて、もひとつ、皆さんにお願いです。

もしも、クリキンディが、突然の病気や事故で倒れたら、
絶対に、延命治療をしないでいただきたいのです。

どこからが、延命治療なのか、という難しい問題もありますが、
とりあえず、安静に寝ていて、自力で回復するようなら、
私の寿命は残っている、ということだと判断して欲しいのです。

でも、手術をしないと助からない、とか、
呼吸器をつけないと、とか、
輸血しないと、とか、
そういう状況であったなら、
そのまま静かに逝かせてください。

なぜなら、
そのような延命治療によって生きながらえたとしても、
結局は、まわりに負担をかけるだけのような気がするからです。

これは、本当に難しい問題だと思います。

どんな状態であっても、
生きてさえいてくれたらそれでいい、
そういう考え方があることはもちろん理解しています。

ですが、もし自分が介護される側だとしたら…
やっぱり辛くてたまらないような気がするのです。

世の中には、
長い長い介護生活の末に、家族を殺めたり、自分の命を絶ったりする人もいると聞きます。

クリキンディの母も、
親友Dの母も、
だいぶ長いこと、老老介護の毎日なのです。

クリ「私に、絶対延命治療を施さないでね」
D「私も、お願いね」

そう誓いあったのでした。

いざ、その時がきたら、
ついつい、助けたくなってしまうかもしれない。

だけど、
それは元気に生きている側のエゴなのかもしれないなぁと思うのです。

またいつか、考えが変わる時がくるかもしれないけれど、
今日の思いを記録しておきます。

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