パーソナルスペースが人間にとって必要な理由


今日ね、飛行機でね、隣に座ったおじいちゃんがね、
肘掛のエリアを超えて、私の方に肘を出してくるわけ〜
普通はさ、肘が触れたら「あ!」と思ってお互いに避けようと動くじゃない?
なのに、おじいちゃん動かないのよ〜〜
私は肘掛なんか使わないし、その内側のエリアで小さくまとまって座ってるのに、
私のスペースを侵略しないで欲しいわ〜
何度もチラ見して「その肘、不快です」というオーラを発してるのに、全然気づいてくれないの〜〜

はい、おばちゃんの愚痴モードになっちゃいましたね。
このおじいちゃん、別にボケてるほどのお年寄りじゃないんだけど、
「隣の人に体の一部が触れている」ことに気づいていない風でした。
足を伸ばして居眠りしていた私の靴に、おじいちゃんの足が触れた時も、
私はハッと目を覚ましたのに、おじいちゃん動く気配なし。


そもそも狭すぎる

でもね、おじいちゃんばかりを責める気にはなれません。
よく考えてみれば、そもそも割り当てられたスペースが狭すぎるんですよ。
私のような小さいおばちゃんでも狭いなぁと思うのに、
体の大きな男性が体を縮こめて座っているのを見ると本当に気の毒になります。

もちろん飛行機だけじゃなく、電車もそうですよね。
「なるべくたくさんの人が座れるように詰めて座ってください」
というポスターもよく見かけます。
「ここは6人掛けシートです」
とか書いてあるところに女性だけが座れば、まぁなんとなく良さげだけれど、
ちょっと大柄な男性はやっぱり6人は座れないですよね。

そもそも、ひとりぶんのスペースの大きさはどうやって決められているんでしょう。
うん、クイズにさえならないですね。
肩幅です。
時代と共に肩幅も広くなり、座席の設定も少しずつ広くはなっているようですが、
その幅に座って快適だと感じる人はいないはず。
立っているよりはマシですが。


どのくらい離れれば不自然じゃない?

では、特に決められたスペースがなく、友人と隣り合って座る場合、どの程度間を空けて座りますか?
もし、それが友人ではなく、知らない人であった場合は?
肩をくっつけて座りたいカップルとか親子とかは除外して考えてね〜!(笑)

その距離、だいぶ変化しますよね。
いわゆるパーソナルスペースと呼ばれるエリアがあることは、この言葉を知らなくてもみなさん感じていると思います。

このスペース、いったいなんなんでしょうね。


魂の大きさはどのくらい?

たまに「オーラが見えます」という人がいますが、その見え方は様々なようです。
色を感じる人、形を感じる人、何色も見える人…
何も見えない私には、確かめようもないのですが、不思議だと思いませんか?

実は、人体を取り巻くエネルギー体は7層になっているのだそうです。
それぞれがメインの7つのチャクラに対応しています。
見える人は、どこにフォーカスしているかがそれぞれ違うため、見え方も違うらしいです。

一番外側にある膜のようなものがいわゆる魂と呼ばれるもので、その中にこの世で生きていくための情報が満載されています。
その大きさは半径8mもあるのだそうです。
だから、その範囲に誰かがいたら、必ず魂がかぶってる!(笑)
もし魂が見えたら、いろんな人の情報の中を横切って歩いていると感じられるんでしょうね〜。

とりあえず、何も見えない私たちでも、肉体に近い場所にあるエネルギー体は、誰かとスペースが被っていたらなんとなく感じているんです。
だから、ちょっと離れていた方が落ち着くんですね。
それを誰かがパーソナルスペースと名付けたわけです。

逆に言えば、ぴったりくっついていたいカップルや子供たちは、その相手とエネルギー交換をしているとも言えますね。


不快さを強いられている私たち

健全な人間であれば、隣の人とある程度離れていた方が自然だし快適なことは、みんなわかっているのに、なぜ電車や飛行機はあんなに小さいスペースに押し込められる羽目になってるんでしょうね。

話はちょっと変わりますが、ニュージーランドでホームステイしたお宅の隣が牧場でした。
そこは、学校の校庭のような広いスペースに牛が放し飼いされている牧場で、
昼だろうが夜だろうが、晴れていようが雨が降ろうが、牛たちはそれぞれ好きな場所で草を食べたり寝たりしていました。
時間になって畜舎に呼び戻される、というようなシーンを見なかったので、乳牛ではなかったのだと思います。

日本の畜産業は、牛でも豚でも、ずっと畜舎の中にいるイメージがないですか?
向きも変えられないような狭い檻の中で、時間になると餌が与えられて、時々機械で乳を絞られる、みたいな。

もし牛に生まれ変わるとしたら、ニュージーランドの放し飼いの牧場に生まれたい私です。

話を乗り物のスペースに戻しましょう。
人が快適だと思うスペースの理想の大きさはなんとなく想像できると思います。
そして、そのような移動手段を作るのは技術的に可能です。
飛行機ならファーストクラス。
新幹線のグランクラス。

なぜ世の中がそういう乗り物だけを作ろうとしないのか。
人間のストレスよりも、経済効率が何よりも優先されているからですよね。

牛や豚のストレスよりも、経済効率を優先するのと一緒です。

お金に余裕がない人はストレスフルな生活をするのは当たり前、みたいに思わされていますよね。
なんかおかしいなぁと思うのは私だけでしょうか。

生きていく上で一番大切なものが「お金」になっているからなんだかおかしなことになるんですよね。
一番優先すべきことが「それぞれの幸せ」になったらどんな世界になるんだろうなぁ。
いろんなことが一気に変わりそうですよね。
ぜひみなさんもそんな未来を想像してみてくださいね。


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