プロとアマチュアの違いは時代によって少しずつ変化している


先日、ある生徒さんから「YouTubeですごい動画を見つけたんです。プロのミュージシャンがストリートで演奏してるんですが、本当に素敵なので最後まで釘付けになっちゃいました」
と、教えてもらって見てみました。

YouTubeのタイトルには確かに「プロがストリートで演奏してみた」的な文言が書いてありますし、演奏もとても上手な方でしたが、私はその方の名前を知りませんでした。
つまりプロと言ってもすごく有名な方ではないんですね。

そこで生徒さんは素朴な疑問を持たれたようです。
「プロってなんですか?事務所に所属するってことですか?」

事務所に所属するかしないかではなく、演奏で生計を立てている人がプロだと思いますよ。ただ、今はコロナ禍などで演奏の機会が減っていて、ミュージシャンは仕事がないので、YouTubeをされてみたんじゃないですかね、とお答えしたんですが。

ただ、それは昭和から平成までにかけての概念かもしれないなぁと思ったので、あらてめて令和の概念を考えてみました。

■YouTuberという職業

最近はYouTuberが職業として認識されています。
「歌い手」さんという肩書きの方もいらっしゃいますね。

動画再生数が多くて広告収入があれば、とりあえず生計は立てられるので、それはそれで「プロ」と言えると思います。

じゃ何がこれまでのプロと違うのかとなると、例えばオーケストラの団員を例に考えてみましょうか。

オーケストラ団員には、有名な方も無名な人もいらっしゃいますが、「仕事」として演奏を請け負う場合は、ほとんどの場合、クライアントの要望で選曲が決まります。
演奏家がその曲が嫌いであっても、その演出どうなの?と思ったとしても、そこに文句を言わずに、クライアントが満足するような演奏をすれば、そこに報酬が発生します。

それに対してYouTubeなどで演奏動画をあげている方は、基本的に自分が演奏したいものをやっているわけです。
広告収入を目標にしている方は、視聴者がどんなものを求めているのか研究して選曲することもありますが、基本的に自分が嫌いだと思う曲を演奏することはありません。

ここには「お金のために演奏するのか」「自分が好きだから演奏するのか」の大きな違いがあると言えます。

■職人と芸術家の違い

音楽に限らず、絵を描く人などにも言えると思いますが、お金になることを目標にする(もしくはたくさんの人に賞賛されたい)場合は、純粋に自分が好きなものを表現するというよりは、求められるものを提供できるような技術が必要になりますね。

お金にならなくても、誰からも認められなくても、自分が好きなことだけしか表現したくない人もいます。
ゴッホがいい例かもしれないですね。亡くなるまで彼の芸術は世間に理解されなかったわけですから。

世の中に迎合せずに、自分の好きなものだけを表現している場合でも、それが世間のニーズと合致しちゃう場合には、それがお金になるケースももちろんあります。

結果がどうあれ、自分が好きだからそれをやるという場合は「芸術家タイプ」、お金になることを目標とするなら「職人タイプ」ということが言えるかもしれません。

■新しい時代にマッチするのは芸術家

これまでの2000年間、日本の場合は特に明治時代以降は、「お金を稼ぐ」ことが生きることの最重要課題とされてきました。
大人になれば仕事をするのが当たり前。
自分に嘘をついてでも、上司や客にいい顔を見せて売り上げをあげることができる人、周りの評価の高い人が「模範的な大人」とされてきた時代だと思います。

これは「お金に支配されている」とも言えるし、「評価社会に支配されている」とも言えます。

そもそも私たちはそんなことのために生まれてきたのかな?と思いませんか?
自分に嘘をついて、本当の自分を否定して、まわりに評価されて、お金を得るような生き方はそろそろ終わりにしてもいいんじゃないでしょうか。

自分の好きなことをただ楽しくやり続けることで、ちゃんと生活できる人がいる、ということをYouTubeは見せてくれました。
しかも、自分に矛盾がないので楽なんですよね。

「何がしたいかわからない」という人はたくさんいますが、それは「お金」と「評価」がプライオリティのトップに来ているために、本当の自分が押しつぶされているような状態になっているからかもしれません。

子供の頃、純粋に楽しくてやり続けたかったことを思い出してみるといいかもしれません。
今でもそれをやってみたいと思えるなら今すぐにやってみませんか?
(ちなみに…私は歌うこともピアノを弾くことも大好きでしたし、作文も大好きでした!)



「プロとアマチュアの違いは時代によって少しずつ変化している」への1件のフィードバック

  1. 資格を有するプロゴルファーでも、大半は副業で生計を立てていたりする興味深さはありますね。
    (そちらはプロレタリアート的な意味でプロなのかも…w)
    能動的であれ受動的であれ、社会に提供した有益から対価が生じる場合、それはプロと言って良いような気はします。
    そしてたとえクライアントの意向に沿った提供をするプロであっても、そこには何らかの『光る物』があるから選ばれているのだと思います。
    たとえばオーダースーツなど、zozo式自動採寸とロボット縫製で職人製作と同一寸法に仕上がってしまうわけですが、やはり袖を通した時の着心地とか風合いといった職人のアドバンテージには敵いません。そしてクライアントは「彼の製品は縫製が良い」などと、職人が発する『色』で依頼先を選定したりしますよね。
    ですから受動的な業務であっても、求める者と与える者の相互の魂の共感のような物は、少なからず存在しているのではないかと。
    それでも表現者としてのサプライヤーは、自分の色がより世間に評価される事が客観的な自己肯定の指標に直結するので、自由さが認められるほど喜びに繫がりやすいのかもしれません。

    作文は苦手でして、途中から何を言いたいのか…^^;

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