なんかね、311の地震以来ずっと、
「なんかしなくちゃ、私にできることをとにかくやらなくちゃ、時間がない!」
みたいなあせりがありました。
だけど、今、何をやったらいいのかわからない。
地震直後は、停電して水も出なかったから、
バケツを持って水をくみにいくことが最優先だったし、
連絡のとれない人となんとか繋がりたい、
世の中の状況が知りたい、
食料やガソリンを調達するために、何時間も列に並んで…
結構、やらなくちゃいけないことがたくさんあった。
4月6日現在、クリキンディ家では、
ライフラインはすべて復旧し、
ガソリンも食料も、並ばなくてもとりあえず手に入るようになったし、
友人の安否もほぼ確認できた。
世の中の状況もだいぶわかってきた。
ただ、仕事は激減しているので、暇だけはある。
ただ、平和だった時より確実に多くの放射能が降り注いでいる。
まだ行方不明の家族を捜している友人、
修理待ちの家におびえている友人、
仕事がなくて不安になっている友人、
まだお風呂に入れない友人、
避難勧告の範囲内外の、福島在住の友人、
そんな状況の友人たちに私ができることは、あまりない。
せいぜいお風呂ぐらい。
せめて、様々な情報を共有したいと思って、
mixiやtwitterを使ったけれど、
みんながネットを使えるわけでもなく、
逆に「不安をあおられた」と感じて不快感を表す友人も。
でも、私にできることがあるはず。
とにかくなんかしなくちゃ…
あせりだけが募っていく。
今日やっと気付きました。
私は、他の誰かの人生をコントロールしようとしてあせっていたということに。
私よりずっと辛い状況に置かれている人がたくさんいるんだから、
私が便利な暮らしをしていてはいけないような、
そんな気持ちになっていたんですね。
つまり、自分の宿題は終わっていて、
遊びに行けるのに、
宿題の終わっていない友達を手伝おうとしているような。
それは、一見いいことのようにも見えますが、
宿題は、その人がやった方がいいに決まっています。
それを手伝うことで、その人が学ぶ機会を奪うことになります。
私は、早く遊びに行きたい、という自分のエゴのために、
辛そうな顔をして、
「大変だね、一緒にがんばろう」って言いながら
友人の宿題をやろうとしていたのかもしれません。
自分の人生の目的を見つける目印は、
「ワクワクするかどうか」だってこと、
バシャールに何度も言われていたのにね。
すっかり忘れてしまうところでした。
さぁ、再起動!!