恋してる?

先日、ある若者に出会いまして、
お酒を飲みながらいろんな話をしました。

「今年中に、絶対に屋久島に行って、屋久杉を見たいんです!」とか
「スペインに行って闘牛したいです!」とか
他にもたくさん夢を語ってくれました。

ん〜〜

なんかね、
若いっていいなぁ……

クリキンディ、決して若くはなく、
それなりに、いろんな経験を積んできています。
若い頃に「あれもやってみたい」「これもやってみたい」と思っていたこと、
ほとんどやってきました。

人生の折り返し地点をだいぶ過ぎた今、
「絶対あれがしたい〜!」という衝動が薄くなっているのは確かです。

この先、何しようかなぁ、何が楽しいかなぁ…
「ねぇ、私何をしたらいいかな?」って友人(男性)に聞いてみたら、

「恋でしょ!」と即答されまして…。

いや、まぁわかる、わかるけどね。
しようと思ってできるもんじゃないでしょ。

その友人曰く、
「オレなんか毎日恋してるよ、電車の隣に座った人とか、お店で出会った人とか…」

ん〜〜〜
それって恋っていうのか…?

だけど、これ一理ありますよね。
女性は、男性よりずっと見た目に気を使います。
ここに100人の男性と女性がいたとして、
第一印象で、「自分的にアリ」な人は何人いますか?って聞かれたら、
きっと、女性の方がパーセンテージが高いはず。

さらに、その100人と話をして、その人間性を見ることができた上で、
自分にとって「アリ」だと思う人は?と聞かれたとしても、
やっぱり女性の方がパーセンテージが多いと思いませんか?

そう考えたら、
普通に暮らしていて「恋におちる」確率は、男性の方が多いような気がします。

なんだよ〜
こうやって分析しても、
結局自分が恋愛できる確率が低いってことを証明しただけじゃん……
あ〜つまんないの。

人気ブログランキングへ←人に恋する前に、自分を愛せってハナシですかね…やっぱり。

横断歩道の白いところだけ踏みたくなる理由

こんばんは、だいぶ体調がよくなってきて、
「普通の重傷になってきたね」と言われるクリキンディです。
せめて、普通の人並みの肩こりになりたいです。

さて、今日の素朴な疑問は、
なぜ子供たちは、横断歩道の白いところだけ踏みたくなるのか、です。

クリキンディも子供の頃、よくやってました。
「黒いところを踏んだら負けね!」とか言って、
ぴょんぴょん飛んで渡っていくんです。

他にも、床板の色の着いたところだけ踏む、とか、
板の継ぎ目を踏んじゃだめ、とか、
この色は、右足だけで踏む、とか、

友達とルールを決めて遊ぶこともありましたが、
結構、自分ひとりで、心の中でルールを決めて歩くことも多かったように思います。
大人になった今でも、
気付くと、無意識にルールを決めて歩いていたりすることも。

不思議だと思いませんか?
これってなんなんだろう〜?
もしかすると、これって本能?

例えば、
雨の日に、水たまりを避けて歩くように、
草むらで落とし穴に落ちないように、
木の橋を渡る時に、踏み外さないように、
川の浅瀬を渡る時に、深みにはまらないように、

人は、自分の身を守るために、
「同じ色に見える場所を、選んで踏んで進む」習性があるんじゃないかなぁ。
だから、
安全だとわかっていても、
ついつい、色の同じところを踏みたくなっちゃうのかな、
なんて考えちゃいました。

なぜか、よくわからないけど、
ついついやってしまうこと、
まだまだたくさんありそうですね。
皆さんは「ついついやっちゃうこと」どんなことがありますか?

人気ブログランキングへ←シリーズ化の予感が…

[Live]菅波ひろみ

今日は友人がプロデュース&出演するコンサートを見てきました。
ジャンルで言えば、Gospel、Soul、Funkって感じかな。

いやぁ、すばらしかった!
友人の歌声は心に響くし、
Gospelクワイヤの皆さんのレベルも高いし、
なんと言っても、構成がすごくよかった〜!

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ジオパシックストレス〜一応完結編

何話か続けてきたジオパシックストレスについての記事ですが、
とりあえずの解決法が見えてきたので、一旦完結編です!

ちょこっと振り返ってみると、
まず、引っ越しが決まった頃から、
どうにも「引っ越したくないなぁ」という気持ちが出てきました。
今までのアパートから近かったこともあって、
引っ越す前に何度も下見をしているのですが、
その時点で、すでに「空気が重たい」という感じを持っていました。

クリキンディ、オーラとかその他の「目に見えないもの」は、基本見えませんが、
空気の重さとして感じることがよくあります。

じゃ、引っ越すのやめればよかったのに…
と言われそうですが、
なんでしょうね、流れに巻き込まれたというか、
もう自分ではどうしようもなく、止められなかった感じがしています。

とりあえず、
体調の悪さと戦いつつ、まず行ったこと、それは、
「五行水を家と敷地に撒く」でした。
(※五行水とは、様々な実験の結果生まれた水で、場の浄化に使えます。別枠でそのうち記事にしてみようと思います。)

少し軽くなったような気はするけど…ということで、
次に行ったのが、
様々な浄化系グッズを使用する、でした。
アロマオイル、クリスタル、セージの煙など使ってみましたが、
なかなかはっきりとした効果が出ません。

そしてもっとも顕著に効果が見えたのが、
「枕の位置を変える」でした。

かなり、劇的に体調がよくなってきたものの、
家の中に、重たい場所があることに変わりはないわけです。
やはり、ここまで来たら、全部スッキリしたくなるじゃないですか!

そこで、新たな認識法というのを試してみました。
これは、ちょっとひとことでは説明しにくいのですが、
風水やシュタイナーなどの考え方を参考にして、
「風の通り道」を作り、「汚れた水を浄化」して、「大地のパワー」を活性化する、
というような方法なんです。
(先の五行水も、新しい認識法も、私の尊敬するスピ友が考えたものです。)

これ、自分ちの間取り図に、いろいろな図形を書き込んでいくだけで、
割と簡単にできちゃうのですが、
面白いように、場の空気が変わります。

しかし、
それでも、まだ重たいところが残ってしまいました。
これは、別なところに原因があるのか…?とあきらめようとしていたところ、
考案者から、
「外壁見たことある?」と指摘が。
「いや、ないっすけど、それが何か?」と聞いてみると、
「認識法」という名前がついているだけあって、
見たことのない場所には効果がないんだそうです。

クリキンディ家は、ちょっと変わった構造をしていて、
家の裏側の敷地いっぱいいっぱいに、屋根をつけて倉庫にしてあり、
その壁の向こうは、お隣さんの庭になっているため、
倉庫の外壁を見たことがなく、認識できていなかったんです。

そこで、お隣さんに見られたら、相当怪しい人だと思われそうでしたが、
ブロック塀によじ上って、じっくり外壁を覗いてみました。

たったそれだけで、
本当に嘘みたいに、家の空気が変わっちゃいました。
だから「認識法」って名付けたのか…と納得。
空気の重さだけじゃなく、こんなおまけも付きました。

うちの父親は寝たきりで、おむつのため、
リビングにまで、それらの臭いがこもってしまっていたのですが、
外壁を覗いた日から、部屋が臭わない〜!

なんか、今日の日記は、あやしい霊感商法の体験談みたいになっちゃってますね。
残念ですが、何も売れるものはありません〜。

というわけで、
ジオパシックストレスとの壮絶な(?)闘いの一部始終を、現場からお伝えしました。
なんだか、この経験をするために、
ここに強制的に引っ越しさせられたような気分です。
「偶然はない。すべては必然なのだ。」ってことなんでしょうね。

あ、まだ解決していないことがあったのを思い出しちゃいました。
クリキンディの部屋の照明が、というか天井の照明用コンセントが、
壊れちゃって電気が点きません…orz

帯電体質で、よく電化製品を壊しちゃう人、いますよね。
これについても、そのうち書いてみようと思います。

今回も長いお話におつきあい頂きありがとうございました!

☆はじめから読みたい方はこちら

ジオパシックストレス

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筋トレ週報!

こんにちは、まもなく夏至を迎えようというのに、
こたつから出られず、震えているクリキンディです。

来週の「筋トレ週報」が、ちょっとうれしい内容だったので、
覚え書きとして引用しておきたいと思います。

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
なにかとても純粋でまっすぐで大きなものに、
触れることになりそうです。
それは、誰かの気持ちかも知れませんし
貴方が目指していきたい夢なのかもしれませんし
正当な報酬なのかもしれませんし
愛情なのかもしれません。
いずれにせよ、それは向日葵のように背筋がまっすぐで
澄んだ光を放っています。

今週いっぱいで、
貴方は去年の秋くらいから続いてきた闘いを
ひとまず、一段落させることになるだろうと思います。
この「一段落」は、その最終段階に
上記のような、透明で純粋な何事かに触れる
というプロセスを内蔵しています。
これがどんなことなのか
具体的には、私にはわからないのですが
これに触れることによって
新しい世界に飛び込んでいくためのチケットのようなものが
手に入るではないかと思います。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼

昨年の秋くらいから続いていた闘いって、
まったく「アーリマン」との闘いそのものじゃないっすか!

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心のコンパスに従って生きていたら、いろんなことが見えてきました。