足裏のささやき…

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今日お昼の番組で、
「あなたの足裏見せてください」というコーナーがありました。
きれいな女性たちの足の裏は、
ヒールやミュールに痛めつけられて、あちこち角質化していました。

番組では、固くなった部分をやわらかくしたり、削ったりする方法、その道具などを紹介していました。

なぜ「原因」を脇に置いて、
対処ばかりしようとするんでしょう?

キレイに削り取ったとしても、
同じ場所に力がかかるような靴を履いて歩いていれば、
必ず同じ場所に豆やタコができます。
そんな靴やめましょうよ〜〜!

クリキンディは、ここ数年ヒールを履いていません。
フォーマルな場所など、どうしてもという時は、会場で靴を履き替えます。
おかげで、足の裏に固い場所はひとつもありません。

友人からは、
「クリキンディ、その洋服にそのスニーカーは、ナシだと思うよ」
と言われることもありますが、
私は自分の足の方が大事です。

だって、足を細く、小さく見せるために履く靴って、
まるで中国の「纏足」みたいじゃないですか?

そんな女性をコケにした歴史がある履物イヤです〜!

ついでに言えば、
「身体を締め付けるブラもパンティもいやだ〜〜!」

というわけで、休日にはノーブラ、ノーパンでコンビニに行っちゃうこともあるクリキンディでした。
(もちろんそれとバレないような洋服来てますよ!)

今日も、変な告白文になっちゃいましたね。
自分の身体がささやいている「本音」に気付いてあげましょうよ、
と言いたかったのでした。

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七夕と満月のお願いごと

短冊にお願いごとを書いて、笹の葉に下げる、という風習は、
いったいいつからはじまったんでしょうね?

ちょっと調べてみると(こんな時はインターネットサマサマ!)
そもそも7月7日というのは、旧暦の五節句のひとつだそうで、
お盆の行事のひとつとして考えられていたそうです。

 人日(1月7日)
 上巳(3月3日)
 端午(5月5日)
 七夕(7月7日)
 重陽(9月9日)

中国の「乞巧奠(きこうでん)」という行事(詳しく知りたい人は調べてね)とも
どこかで混じったようで、
織姫と牽牛の伝説も、もともとは中国のお話です。
そもそも7月7日とは何の関係もなかった話らしく、
後年(Wikipediaでは南北朝時代と記されています。)結びつけられたもののようです。

笹とか、短冊とか、そういうものが、
一体どこで七夕に合体したのか、さっぱりわかりませんが、
「ご〜し〜き〜のた〜んざく〜」と歌われているように
とりあえず、短冊は5色であるべきらしいです。
この起源は「五行説」から来ているようですが、
もうめっちゃミックスされてますやん、「たなばた」って。

しかも、台湾では、バレンタインデーのように、
恋人に贈り物をする日になっちゃってるし、
北海道の函館では、子供たちが、近所の家々を回ってお菓子をもらう日だそうです。
それ…ハロウィンじゃん…。

ちょっと話は変わりますが、今日は満月でもあります。
「満月のお願いごと」って知ってますか?
満月の日に、お財布を空に向かってふりふりすると、お金が入って来る、
というウワサがいつ頃からか広まって、
私のまわりでもやっている人が増えてきました。

今日友人たちとその話になったのですが、
「お財布は空っぽにしてからふりふりするんだよ!」
「え?たくさんいれておいて、増やして下さい、ってお願いするんでしょ?」
「レシートとか請求書入れておくと、そっちが増えちゃうから、現金だけ入れておくんだよ」
「曇ってて月が見えない時でもいいわけ?」
「いや、見えなきゃダメでしょ」
「ううん、雲に隠れてても効果あるらしいよ」

様々な説が登場しました…。

つまり…

「満月にお財布を振るといいことがあるらしい」
という情報が、こんな短期間に、これほど異説が出るんだから、
「七夕」という行事が、長い歴史の間に変化するなんて、
あったりまえ〜!なわけですよね。

様々な「決まり事」って、実はあとからつけたされたものだったりして、
自分たちに都合のいいように変化していき、
意味がなくなっちゃったものも、あったりするんでしょうね、きっと。

クリキンディが考える、これらのメリットとしては…
超多忙な現代人が、夜空を見上げるきっかけになる!
願い事を言葉にすることで、自分の気持ちを見つめることができる!
ってのがあるのかな、と思います。

さて、月は出てきたかなぁ〜
あ…

雨降ってきたし。
はっ!
洗濯物干しっぱなしじゃん!!

人気ブログランキングへ新月のお願い事というのもあるんですよ!

新時代の戦士

明日は七夕&満月なんですね。
私の住んでいる地域では、予報は雨となっているので、星は見られそうにありません。

すっかり運動不足に陥っているクリキンディ、
今日は、ちょっと回り道をしてから帰ることにしました。
仕事場からはちょっと離れた場所にあるスタバで、
「抹茶クリームフラペチーノ」を買って帰ろう〜!と計画し、
ぶらぶらとウインドーショッピングなどしているうちに、なんだか寒くなってきました。
日も落ちて、涼しくなってきているところに、冷房の効いたショップばかり歩いていたからなのですが。

もうフラペチーノの気分じゃないし〜
スタバ寄るのはやめて早く帰ろうかなぁ、
と思っていたのですが、
なぜか、どうしてもスタバに行きたい気分が抜けません。

結局、お店のドアの前まで来て、
ようやく「今日はスタバに呼ばれていたんだ」ということに気付きました。

自動ドアを開けようとした瞬間、
その入り口近くに座っていた男の子(大学院生)と目が合いました。
日頃、仕事場でよく見かけている子で、
名前こそ知らなかったものの、あいさつをする程度の知り合いだったのですが…

なぜか、そこでじっくり話し込んでしまいました。
彼の夢と計画を聞かせてもらっていると、
大人のクリキンディとしては、
「そりゃ無謀だろう…」と言いたくなるような話だったりするのですが、
なんか、引き込まれる雰囲気を持っているんですよ、これが。

ああ、この世代の子供たちが、
これからの、アセンションしていく地球を支えていくんだなぁ、
そんな風に思えました。

その彼のご家族は、そろって芸術家さんたち!!
アクセサリーの作家である、お姉さんの作品の、ペンダントを見せてもらいましたが、
クリスタルのポイントから、かわいい双葉が伸びている、すごく素敵なデザイン〜〜!!

ちょっと気分停滞気味のクリキンディでしたが、
今日の小さなシンクロでちょっと元気出ました。
「新時代の戦士たちを応援しなさい」
と言われたのかもしれませんね。

それにしても…
オトナたちに元気がなさ過ぎるんだなぁ。
30〜40代の人たちと一緒に仕事をすることが多いのですが、
え〜?ホントにあなたの人生それでいいの?と聞きたくなっちゃうような人が多いんです。

はっ!

自分のまわりにいる人は「自分の鏡」だって言いますよね〜。
クリキンディも、もうちょっと人生楽しまなくちゃ〜!ってことかな。

人気ブログランキングへこうしてブログに記録することで、いろんなことが見えてくるんですよね〜!

グラディエーター

こんにちは、「スポーツ音痴」確定のクリキンディです。
先日久しぶりにボーリングをしましたが、やっと80点でした…。

今日は、あまり思い出したくない過去世の話です。
<スポーツの本当の楽しみ>のつづきです。

今回の記憶は、かなり曖昧です。
リーディングでもなく、ヒプノセラピーでもなく、
あるドラマを見ている時に、「もしや?!」と感じただけなので、違うかもしれません。
というか、むしろ違うと願いたい……。

そのドラマとは「花より男子」。
見たことのない方もいるでしょうから、簡単に説明しますと、
ある貧乏な女の子が、超セレブな学校へ進学し、
その学校のトップに君臨している4人組の男子と、はじめは戦い、やがて理解し合っていく、という青春ドラマです。

その主人公の女の子が、全校生徒に囲まれて、陰湿ないじめに合う、というシーンを見ていた時、
クリキンディは、
「あ〜あ、なにやってんの?そこにあるパイプ椅子を振り回せばいいじゃん!」
と思いながら、イライラして見ていました。
ん?
なんですと?
パイプ椅子をふりまわす?
なぜそんな具体的な攻撃を仕方を考えているんだ、私…?

勝負ごとが嫌いなクリキンディ、
もちろん格闘技なんてもってのほかです。
思い切り攻撃色の自分に気がついて、愕然としました。

しかし、思い当たることがありました。
小学生の時、
自分の2倍ほど体重のありそうな男の子とケンカして、取っ組み合いになり、泣かせるまでやっつけたことがあります。

また、その頃小学校の机はふたが取り外せるようになっていたのですが、
厚みが2cmほどもあるその板で、思い切り男子の頭を攻撃したことがあります。
あの頃、自分にさほどパワーがなかったからよかったものの、
あの時、子供のクリキンディはまったく手加減しなかったのです。
力があったら、たぶん彼は死んでいたか、障害が残ったでしょう。

今ではあまり見ることはありませんが、
死にものぐるいで戦っている夢も時々見ていました。

つまり…
格闘家であった過去生があったのではないか…
ということに思い至ったわけです。

歴史上よく知られているものが、
ローマのコロッセオで戦ったグラディエーターでしょうか。
いろいろなパターンがあったようですが、
基本的に、その試合は命をかけて行われました。
敗者に残された選択は「死」です。

自分が生き残るためには、勝つしかないのです。
そこに手加減はありません。
観客のことなんか、どうでもいいのです。

そして、それを見て興奮する観衆たちがいた時代。

そんな時代から、まだ2000年しか経っていないんです。
そりゃ、いろんなところに影響出ますよね。

「勝負」というものに、心躍る人たちは、こんな時代をくぐり抜けてきた人かもしれないわけです。

そして、クリキンディが勝負事に対して嫌悪感を持つのも、
グラディエーターの経験があるから、と思えば、なんとなく納得。
もう、あんな殺し方をするのも、殺され方をするのも懲り懲りだ〜!
と心の深いところで感じているのかもしれません。

ま、いつものことですが、あくまでもクリキンディの勝手な想像です。
ぜんっぜん違うかもしれないし!

重たい話にお付き合い頂きありがとうございました!!

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スポーツの本当の楽しみ

子供の頃、通信簿の成績は悪くなかったのですが、
体育は、なかなか5をもらえなかったクリキンディです。
ドッジボールをすれば、あっという間にやっつけられ、
バスケでは、オウンゴールし、
野球では、誰もいない一塁に送球、
バレーボールでは思い切りこけて死にそうになるし、
マラソンでは、途中の山に隠れて走らなかったり、
水泳の授業後は保健室で寝ていたり…

ぶあはははは!
こうして書き出してみると、ほんとにクリキンディは、運動の才能ないっすね〜!

さて、クリキンディは、自分が苦手だから、ということとは別にして、
スポーツ全般を鑑賞、応援するのも好きではありません。
なぜなら、そこに「勝敗」があるからです。

なぜ、優劣を決めなくちゃいけないんでしょう?

どんなに努力しても、しなくても、経過がどうであれ、
「勝つ」ことが最優先される世界。
自分が(もしくは自分の所属チームが)勝つということは、
相手が負ける、ということです。

これは、スポーツに限らず、
受験などでも同じですね。
神社などで「○○校に合格しますように」と願うのは、
「私以外の誰かが不合格になりますように」と願うのと同じことだと思うのです。

ちょっと言い過ぎですね…ごめんなさい。
でも、自分の中で、とても違和感があります。

先日放送されたアンビリバボーの「感動シリーズ」は、
高校野球の有名高校で、大きな大会の前に、行われたある行事についての内容でした。
ご覧になっていない方のために、軽く説明しますと、

強い野球部には、優秀な選手、または野球にかける情熱の強い子供たちが入部してきます。
つまり、レギュラーの座を勝ち取るのは、とても大変だということです。
大きな大会を前に、レギュラーおよびベンチ入りすら果たせなかった3年生のために、
何かしてあげられることはないか、と野球部の顧問が考えたのが、
同じような野球の強い高校との、引退記念試合でした。

3年間ではじめて背番号をもらう生徒もいます。
もちろん勝負をかけて試合をすることに変わりはないのですが、
これに勝ったら次がある、というわけでもなく、
なんというか、選手たちが、みんな「大好きな野球を思う存分やれる!」という雰囲気に満ちているのです。

ここでは相手を蹴落とそうとする選手はいません。
だって、相手チームも、自分と同じように、ベンチ入りすらできなかった仲間なのですから。

こんな和気あいあいとしたスポーツなら、
クリキンディも応援しようかな、という気持ちになります。
もちろんその応援は、チームの勝ち負けに対してではありませんよ〜。

いつの日か、人類は「勝負」しなくなる日がくるのでしょうか?

この話、これで終わりにしようと思っていたのですが、
もうちょっと書いておきたいことが残ってます。
それは、クリキンディの過去世の記憶。
どうやら命をかけて勝負していた時代もあるようなのです…。

「グラディエーター」につづく

人気ブログランキングへランキングってのもまぁ勝負事と言えますね…

心のコンパスに従って生きていたら、いろんなことが見えてきました。