まだ迷っているのなら…[追記あり]

こんばんは、天津飯にするかラーメンにするか迷った挙げ句に、
スープカレーにしてしまったクリキンディです。

生きていると、迷うことだらけですよね。
今日は何を着ようか、どの靴にしようか、
バスに乗ろうか、電車にしようか、
ランチに何を食べようか、
取引先の人にどうアプローチしようか、
彼に告白しようか、彼女にプロポーズしようか、
デートはどこにしようか、
etc…..

毎日、迷いながら、何かしらの結論を出して、
自分の人生を選んでいるんですよね。

でも、皆さんありませんか?
ずっとやりたいと思っていることがあって、
だけど、それを実行するにはいろんな障害があったりして、
なんとなく、「それをしない」という選択のまま数年経ってしまっているなんてこと。

実現するのが難しいことは重々わかっているから、
その道を選ばなかったけれど、
その道に進みたい気持ちは、何度でも浮かび上がってきたりします。

クリキンディ自身の具体例をひとつ言うと、
今住んでいる町に引っ越してきて、すぐにこの町を出たいと思いました。
でも、生活のことや仕事のこと、友人のことなどを考えると、
「常識的に考えて」この町を出ることが得策だと思えなかったため、
なんとなく、この町に住み続けて何十年も経ってしまいました。

それでも、今でも水底から泡が浮かんで上っていくように、
「ああ、この町を出たい」
と何度も思い出すのです。

たぶん、
この町を出る日が来るまで、
ずっと、
ずっと、
この思いは消えないと思います。

例えば、楽器を習いたい、という思いを持っている人は、
「でも高い楽器は買えないし、
大きな音を出して練習できる場所もないし、
今さら上達できるかどうかわからないし、
近くに教室がないし…」
などの
「それをやらない理由」はいくつでも言えると思います。

だけど、消えないんですよね。
「楽器を弾けるようになりたい」
という思いは。

消えてしまうほどのものなら、悩む必要も迷う必要もありません。
消えない思いなら、
生まれる前に、
「今度の人生ではこれとあれとそれをやるぞ〜」って決めたリストに入っているんですよ、きっと。

あなたは、次の人生に持ち越しますか?
それとも、今世で思い切ってやっちゃいますか?

うん、大切なことを言い忘れていました。
やってみていやだったら、やめればいいんです。
「せっかくやると決めたから…」

人は、一度自分の意思ではじめたことを途中でやめることに対して、
なぜか罪悪感を持つんですよね。
「自分が決めたことなんだから、間違いだったと思いたくない」というか。
これ、人が宗教にハマっていく最大の理由だそうですよ。

あれ?と思った時に、
また迷って悩んで結論を出せばいいだけです。

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そろそろ嘘をつかなくてもいい時代がくるのかな

先日こんなツイートをRTしました。

https://twitter.com/noiehoie/status/261806903645069312/photo/1

内容はこんな文章です。
「自民党前抗議おわってコンビニでたむろってたら、お巡りさんが声かけてきた。怒られっかなと思ったら、「こういう仕事っすから、あんまり言えないんすけど、福島から来てるから、ああやって言ってくれて、嬉しいんす」って一言。 かたじけなさに、泣いた」

これが本当にあったことだとすれば、かなりびっくりの出来事です。
個人的には、本当の出来事だと信じたいですが。

このおまわりさんは、もし自分が警察という職業でなければ、
正直な気持ちとしては、デモ隊に加わって抗議をしたい側なわけですよね。
だけど、その自分の気持ちより、職業としての立場を優先させている。
それが仕事だから。

すごく乱暴な言い方をしてしまえば、
お金のために、自分の意に添わないことをしているわけです。

このおまわりさんの例はとてもわかりやすいけど、
そうでなくても、おそらく大人たちのほとんどが
同じような生き方をしていると思うのです。

例えば、ショップ店員が、
「この客にこのシャツ似合わないよぁ」と思いながら、
「すごくお似合いですね〜」と話しかけるとか、
政治家が、
「国民のため」と言いながら、自分の懐具合を一番に気にしているとか、
AKBのメンバーが、ファンに対して、
「うわ、この人キモい、臭い」と思いながら、
満面の笑みで握手をしているとか、
いろいろありますよね〜。

というより、
「仕事って、お金のために自分がイヤだと思うことを我慢すること」
という認識すらあるかもしれません。

クリキンディは、一応ミュージシャンですので、
「趣味を仕事にできるなんてうらやましい」
とよく言われます。
ですが、これがなかなかどうして辛いこともあるのです。

趣味ですから、自分の好みというものがあるわけです。
ジャンルとかミュージシャンとか。
お金のために、嫌いな音楽に関わらなくてはならない、
というのは、結構ダメージが大きいのです。

例えて言うなら、
食べることが大好きなギャル曽根さんですが、
彼女にも、嫌いな食べ物はきっとあるはずです。
それをさもおいしそうに、人並み以上に食べなくてはならない、
ん〜辛そうだ〜。

話を元に戻すと、
警察という職業を選んだ福島出身の彼は、自分のふるさとさえ守れていない。
でもお金のためにやっていることだから、しょうがない。
だけど、職務中にも関わらず、一般市民に本音を語っちゃったわけです。
「ほんとうはこんな仕事やりたくないんですよ〜」って。

クリキンディがびっくりしたのはそこなんです。

これって、ギャル曽根が、
「正直この食べ物は苦手なんで食べたくないんですよね〜」
って言ってるのと同じです。

もしくは、ショップ店員が、
「ちょっと似合わないですね〜」

政治家が、
「原発推進してると、莫大な裏金が入ってくるんで〜」

AKBが、
「イケメンの人とだけ握手したいんですけどね〜」

とか言ってるのと同じですよ!

正直に思っていることを言えたらスッキリするだろうなぁ〜。
お金のために、自分の本当の気持ちに嘘をついて生きていくってこと、
みんな当たり前にやっているけれど、
2012年からのアセンションの波に乗ると、
嘘をつけない時代になってくるんじゃないのかなぁ、
なんて期待をしているクリキンディでした。

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私が方向音痴な理由

こんにちは、
方向音痴のクリキンディです。
ええ、本当にものすごい方向音痴です。

私はドライブが大好きで、地図を見るのも大好きです。
カーナビのようなものは嫌いです。

どこか目的地を決めて、地図を見てルートを確認して出発するのですが、
途中で必ず一度以上、道を間違います。
もう、
あまりにも確実に間違うので、そこは開き直って、
「間違った道を通ったおかげで、意外なものを見つけた!」
と思うようにしています。もしくは
「新しい道を知る事ができたわ!」って思うことにしています。
負け惜しみじゃないですよ!
道に迷うことは、いやじゃないんだよなぁ。

ドライブしている時だけじゃなく、
普通に街中を歩いていても、ほぼ必ず反対方向へ向かってしまいます。
特に地下街なんかに入った日には、完全に迷子です。

以前、テレビの実験番組で、
方向音痴の人とそうでない人の道の歩き方というのを検証していました。

A地点を出発して、B地点に連れて行かれた後、
B地点からA地点まで、ひとりで帰りなさい、という実験。
道を覚えるために、
方向音痴でない人は、様々な「確実な」目印を無意識に見つけており、
また、時々振り返って、反対方角からの風景を記憶していることがわかりました。

反対に、方向音痴の人が目印にしていたものは、
「不確実な」ものでした。
例えば、すぐに移動してしまうであろう自転車とか、駐車場に停まっている車とか。ww
また、帰り道を想定した「振り返って風景を覚える」なんてこともやってない〜!

その番組を見た時は、なるほど〜、私も当てはまるわぁ、なんて思っていましたが、
それらの知識を駆使してなお、私は道を間違うのであ〜る!

これは、他にも何か理由があるに違いない!
で、クリキンディが考えた仮説です。

「方向音痴の人は貧血である!」

え…いやね、
方位磁石ってあるじゃないですかぁ、
地球の磁場に反応してくるくる動いちゃうっていう…
身体の鉄分が不足している人ってのは、
その磁場を感じにくいから、方角がわからなくなるのかなぁ、なんて思ったんですが。

皆さん、この仮説の検証を宜しくお願いします!

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他人の悩みをなぐさめるのは逆効果?

おはようございます。
町内会の運動会の花火がバンバン鳴っていた事に気付かず、
爆睡していた朝寝坊のクリキンディです。

友人に、やせの大食いタイプの人がいまして、
「食べても太らないなんてうらやましい〜」と言うと、
「おれは太りたいんだよ〜!」と怒られちゃいました。

クリキンディは髪の量が多くて一本一本が太いのが悩みなんですが、
それを言うと、
「禿げてる人よりいいじゃん、うらやましいよ」
と言われます。

人は、誰かから悩みやコンプレックスについての話題をふられたら、
なんとかしてなぐさめようとしますよね。

「色が黒いのが悩み」→「健康的で素敵」
「おしりが大きいのが悩み」→「セクシーでいいじゃない!」
「野太くて低い声がイヤ」→「高くて細い声よりかっこいいよ」
「お金がない」→「お金持ちの遺産相続は大変なのよ」
「親が厳しくて…」→「小言を言ってくれる親がいない人だっているのよ」

でも、これって本当になぐさめになってるんでしょうか。
例えば、食べても太らない体質の人に「うらやましい」と思うのは、
正直な気持ちであって、心から真実を伝えているのですが、
それは「自分の気持ちを主張しているだけ」なんですね。
悩んでいる人の気持ちにまったく寄り添っていない。

たぶん、こういう場合、
「そうだよね、太りたいのに太れないなんて辛いね」
と、ただその気持ちを認めてあげるだけでいいんじゃないかと思うのです。

クリキンディ自身の話をすれば、
「毛」にまつわる悩みについて、
今まで「それはさぞかし辛かったでしょう」と言ってくれる人に会ったことがありません。
もし、そんな人がいたら、泣いちゃうかもしれません。
そして好きになっちゃうかも!?ww

人は、良かれと思っていろんな行動をとりますが、
それは、必ずしも相手にとってうれしい行動とは限らないということなんですよね。

いつもの自分の言動を、
ちょっと見直してみようと思います。

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みんな自分のことはわかってないのよ

放射能の影響と年齢のせいで、体調がスッキリしないので、
やり残したことをしておこう!といろんな趣味に走っているクリキンディです。
まったく長生きできる気がしないのよね……。

このブログに何度も登場している、小さなお友達のりゅ〜いちゃん、
とてもかわいらしい女の子なのですが、
先日「かわいいね〜」と言ったら、
「あたしは全然かわいくないもん。」と言われまして。
「ん?りゅ〜いちゃんは、すごく女の子らしくてかわいいよ?」
と言うと、猛烈に否定されちゃいました。

こういうこと、よくありますよね。
大きく分けてふたつのパターンがあると思います。
ひとつは、
自分が他人からどう見られているのかについての認識が間違っている、というパターン。
もうひとつは、
ほめられることに慣れていないので、
「そんなことないですよぉ〜」とか、つい言ってしまうパターン。

今回のりゅ〜いちゃんは前者のパターンでした。
そこで、他の人の例を出してみました。
「りゅ〜いちゃんのママは、とても細やかに気がつく女性らしい素敵な人でしょ?
本人が自分のことをどう思ってるか聞いてみようよ」
ママ「私はほんとにガサツな女だから…」
りゅ〜い「Σ(゚д゚;) わ!?」
クリ「ね?自分のことってよく見えないのよ」
りゅ〜い「クリキンディちゃんは自分のことをどう思ってるの?」
クリ「私は自分のことを、男の子っぽい女の子だと思ってるんだけど」
りゅ〜い「ん〜それは違うね。」
クリ「Σ(゚д゚;) え!?」

クリ「ほ…ほらね、みんな自分のことは正しく認識できてないのよ…」(-“-;A …アセアセ

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←正しい評価をお願いします…

心のコンパスに従って生きていたら、いろんなことが見えてきました。