[本]フリーエネ[ルギー、UFO、第3起電力で世界は大激変する

あ〜〜〜
もう2012年がはじまって11日も過ぎちゃった〜〜
年末に発熱し、
春から身体のあちこちに備蓄(?)していたと思われる
放射性物質のデトックスのため、まったく体調が戻りません…
いいもん、今年のクリキンディのテーマは「無理をしない」だから。

新年早々後ろ向き発言で済みません…
いや、でもね、なんでもがむしゃらに進めばいいってものでもないでしょう?
無理しないってことは、「自然体」で行くってことですのよ、おほほほほほ!

前置きが長くなりました。
クリキンディが大好きな出版社「ヒカルランド」から出た、
「フリーエネルギー、UFO、第3起電力で世界は大激変する」(著:井出治)
をご紹介します。

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香典とか(喪中につき〜その3)

あああ……
年末に発熱し、そのまま年を越してしまった〜〜
となりの部屋から紅白歌合戦の音声だけが途切れ途切れに聴こえる……

年が明けてすでに3日目、ようやく完全復活状態です。
※あのね〜池上さんがテレビで言ってたけどね〜
「冷温停止」と「冷温停止状態」は似て非なるものらしいですよ〜
「居酒屋貸し切り」と「貸し切り状態だった」は違うでしょ?って解説されてましたよ。

さて、普段ほとんど親類と付き合いのないクリキンディ家では、
滅多にお目にかかれない「身内の死」を通して、
またまたいろいろ学ばせて頂いている最中でございます。

ここで「香典」についてちょっと考えてみたいと思います。

今まで、友人や仕事関係の知り合いの家族の訃報を受け取った場合、
都合がつく限り、通夜か告別式に参列していました。
一緒に行くメンバーと金額を相談しながら…
そして、どうしても都合のつかない場合は、
参列する友人に香典袋を託して、
友人が持ち帰る「香典返し」を受け取る、というパターンばかりでした。
そのことに特に疑問を抱いていなかったんですね。

しかし、いざ遺族側になってみると、
どうもスッキリしないことだらけです。

クリキンディ家では、告別式を行わない、とだいぶ前から決めていましたが、
もし行っていたとしたら、
おそらく参列者のほとんどが「故人の顔も知らない」方ばかりだったと思われます。
クリキンディの職場の仲間には、
「香典も弔電も要りません」とお知らせしてありましたが、
そういうスタイルがどうしてもフィットしないと感じる方もいらっしゃって、
頂戴した方もありました。

また、「せめて焼香だけでも」と申し出てくれる友人もいましたが、
我が家は中心部から電車で30分以上かかる郊外です。
わざわざお線香を上げに来ようという友人を、
線香だけですぐにお帰り頂くなんてことできませんよね。
つまり、線香を上げにきた方があれば、
ご接待の時間を持つのが礼儀だと思いますが、
我が家にはその準備もありませんでしたので、丁重にお断りしてしまいました。

もちろん友人は心からお悔やみの気持ちを伝えたい、
そう思ってくれていることは痛いほどわかるのですが、
遺族にとっては、実は負担になることもあるのだと、はじめて実感したのです。

普段からよく人が訪ねてくる家であれば、負担にはならないかもしれません。
クリキンディ家は、ちょっと特殊な例と思って頂いた方がいいかも?

さて、故人を知らない人についてはそれで済みましたが、
「普段付き合いはないけど年賀状のやりとりはある」方へ欠礼ハガキを出したので、
しばらくしてから、電話と宅配便と郵便書留の嵐が続きました。

何か来るたびに、
「あぁ、今度は誰だろう」
とため息をつきながら電話や玄関に出ていく母があまりに辛そうだったので、
「香典とかお花とか頂くのはもうイヤだね〜」と話しかけてみると、
「そんなことないよ、うれしいよ!」と言い張ります。
ここからはクリキンディの勝手な想像ですが、
「亡き夫に対して、いろいろ送って頂くのは、夫が生前よい人であったことの証明のようでうれしい。
けれど、これらのお返しを考えると憂鬱だ。」
という気持ちなのかなぁ?という感じです。

さぁここから本題!
香典ってそもそもなに?
香典返しっていつからはじまったの?
ああ、こんな時にありがたいぐーぐる様。
http://kouden-gaeshi.net/article/38240624.html

この説が正しいとするならば、
「香典返しは頂いた金額の1/3‾1/2を目安にしましょう」
とか言って商品を売りたい人が、どこかの時代で絡んで来た、ってことですよ。
バレンタインデーと一緒じゃないですか!
「ホワイトデーは3倍返しが常識です」って宣伝してね。
もっと言えば、
クリスマスプレゼントだって、ものを売りたかったデパートの戦略です。
宗教をうまく取り入れる事で、消費者の財布の紐を緩めました。
そこに「子供のものもついでに買わせたい」と思ったおもちゃやさんが、
後の時代にさらに乗っかってきたわけです。

ちょっと話がズレましたが、
香典返しが欲しい〜と思って香典をお渡しする人などいません。
なのに、なぜこの風習がなくならないのかと言えば、
「あの人は常識のある人だ」と思われたい、
そこにたどり着くと思いませんか?

あ〜もう今日のクリキンディは、暴言吐いてますよね。
でも、もういいです。
mixi日記にも最近誰もコメントいれてくれないし、
嫌われてるのかもしれないけど、
あああ〜もうそれでも言いたい!

「香典これっぽっちしか入れないなんてケチな人と思われたくない。」
「香典返しが安っぽいケチな遺族と思われたくない。」
「葬儀に行けない代わりに香典を託したから私は義理を果たしていると思いたい。」
「せめて電話ぐらいしておかないと冷たい人だと思われるのがイヤ。」
「せっかく葬儀に出てくれた人にはお酒と料理でもてなさないと遺族として恥ずかしい。」
「今後の付き合いを考えて対処しておかないとね。」

とか、まだまだありそうですが、
亡くなった人を偲ぶことよりも、常識を守る事が優先されているように感じてしまったのです。
どうも、こういう「意義に納得できない一般常識」に乗っかるのが苦手なクリキンディ。

年の初めから葬式の話をしていることも常識はずれではありますが…
2012年、これからもどうぞおつき合い頂ければ幸いです。

喪中につき〜その2

一つ前の記事のつづきです。
父の葬儀について、いろいろ疑問だらけなクリキンディですが、
まぁ「儀式」っぽいことについてはよしとしましょう。
なんとなく気持ちのけじめが付けやすいのは確かですから。

ではもうひとつの疑問「喪に服す」ということについて、
これがよくわかりません……

父が息を引き取ったのは、12月のはじめだったので、
急いで欠礼はがきを出しました。

問題は、クリキンディの仕事上、毎年出している年賀状についてです。
個人的におつき合いがある方ではなく、
父のことをお知らせしているわけでもない方に、
年賀状は出すべきなのか、出しちゃいけないものなのか…?
結局、クリキンディは出す事にしたのですが、
これは「喪に服していない」ことになるのでしょうかね?
賀状をもらう側にとって、もしかしたら迷惑なことなんでしょうか?
もし、出さなかったとしたら、欠礼はがきを出すべきなんでしょうか?
でも、例えば、いつも行きつけの美容院の仲良しの美容師さんから、
欠礼はがきが届く、なんてことないですよね?
もらっても困りますよね?

また、喪中には結婚式に出席してはいけないというマナーもあるようです。
どうやら「おめでたい」カンジのことをしちゃいけないっぽいですね。

例えば、親友の結婚式に招かれて「出席します」と返事をして、
例えば「スピーチ」や「余興」を引き受けていた場合、
その後に身内が亡くなったら、結婚式には出ない方がいいのでしょうか?
「遺族として喪に服す」のと、「友人を祝ってあげる」のは厳密には違うことですよね?
それとも、「喪中」の人は穢れているので、祝ってあげることが、
逆にご迷惑になるということなのでしょうか?
もしそうならば、クリキンディの年賀状を受け取った人ごめんなさい〜!

ところで、喪中の人は、どういう正月を過ごせばいいんでしょう?
「お節料理」は食べちゃいけないんでしょうか?
「宴会を控える」ならわかります。
ですが、お節料理ってのは、そもそも「保存食」としての文化ですよね。
正月に女性が台所に立たなくていいように、保存のきくものを年末に作っておくもので、
決して「酒の肴」ではありません。

年越しソバは食べてもいいのかしら、
初詣は行ってもいいのかしら、
初日の出は?初売りは?初夢は?お年玉は?

悩みの種は尽きません。

いかに、自分が普段「形式」だけで、理由もわからずに行動しているか、
思い知らされました。

もうちょっとつづくんだけど……w

喪中につき〜その1

まもなく2011年が終わろうとしています。
でもって一夜明ければ2012年です。
その境目は時計を持っていないとよくわかりません。
昔はきっと「日の出」をもって新年のはじまりとしたんだろうなぁ。
ってことは、天気が悪いときは、やっぱりわかりにくいんでしょうね。

ずっと自宅で介護生活を送っていたクリキンディの父が、
12月のはじめに、3次元生活をめでたく卒業いたしました。

高齢であり知り合いもほとんどおらず、親類が400Km圏内にいないこと、
お墓のあるお寺は九州だし、普段付き合いのないお坊さんにお経を読んでもらってもしょうがないし、
ということで、いわゆる葬式は行わず「直葬」という形で、家族のみで見送りました。
もちろん戒名もありません。
皆さん知ってましたか?戒名の本当の意味。
詳しいことを知りたい方は、「葬式は、要らない」 (幻冬舎新書) [島田 裕巳 著]
をぜひ読んでみてくださいね。

直葬とは言っても、すべて自分たちで行うのはとても難しいため、
近所の葬儀社に、簡単な祭壇作り、納棺(おくりびと)、斎場への棺の移動などをお願いしました。
映画「おくりびと」のヒットにより、あのスタイルが定着したのでしょうか、
「わぁ映画と同じだね〜」と言いながら拝見させて頂きました。

遺体の胸のあたりに「守り刀」という短刀を置くとか、
手甲、脚半、わらじを履かせるとか、棺の中には杖を入れるとか、
ろうそくと線香は◯本立てるとか、鐘は◯回鳴らすとか、
着物は左前、紐は縦結び、などなど
その都度葬儀社の方に教えて頂きましたが、
なんかね…
「意味がよくわかりません〜〜」ww

死出の旅なので、手甲、脚半などの旅姿らしいのですが、
なぜに江戸時代のスタイルなんだよ?と思いませんか?
左前、縦結びについては、
「普段と違うことをするんですよ」
と優しく教えて頂いたものの、
普段と違うというだけなら、もっと山ほどスタイルがあってもよくないですか?

葬儀社により、少々の違いはあれど、基本的には仏式らしいんですがね。
そもそも仏教って「よりよく生きる」ために生まれた宗教なんですよね。
死に装束や見送るスタイルのこまごまとしたことを、
仏陀が弟子に言い残したとは思えません。

ここまで言ったらついでに言っちゃいますが、
そもそもたった一晩だけ入るだけの棺、
次の日には、ガスの炎であっという間に灰になってしまうのに、
材木を使うのってもったいなくないですか〜〜?
普段割り箸一本使うのだって、ためらって生活しているのに、
この棺ひとつで割り箸何本作れるかなぁ…とか考えちゃうクリキンディって、罰当たりなんでしょうか?!

そして…
「喪に服す」ってそもそもどういうことなんでしょうか?
悩めるクリキンディのつぶやきに、もうちょっとおつき合いください。

つづく…

[映画]源氏物語 千年の謎

見てきましたよ〜
いやぁよかった!おもしろかった!
【公式サイト】
http://www.genji-nazo.jp/

正確に言うと「源氏物語」ではなく、
源氏物語を書いた紫式部の物語です。

なぜ紫式部がこんな長編ラブストーリーを書き続けたのか、
その謎に迫る、というのが大きなテーマのようですが、
その解釈がなかなか面白い!
原作は、高山由紀子さんの「源氏物語 悲しみの皇子」です。

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心のコンパスに従って生きていたら、いろんなことが見えてきました。