喪中につき〜その2

一つ前の記事のつづきです。
父の葬儀について、いろいろ疑問だらけなクリキンディですが、
まぁ「儀式」っぽいことについてはよしとしましょう。
なんとなく気持ちのけじめが付けやすいのは確かですから。

ではもうひとつの疑問「喪に服す」ということについて、
これがよくわかりません……

父が息を引き取ったのは、12月のはじめだったので、
急いで欠礼はがきを出しました。

問題は、クリキンディの仕事上、毎年出している年賀状についてです。
個人的におつき合いがある方ではなく、
父のことをお知らせしているわけでもない方に、
年賀状は出すべきなのか、出しちゃいけないものなのか…?
結局、クリキンディは出す事にしたのですが、
これは「喪に服していない」ことになるのでしょうかね?
賀状をもらう側にとって、もしかしたら迷惑なことなんでしょうか?
もし、出さなかったとしたら、欠礼はがきを出すべきなんでしょうか?
でも、例えば、いつも行きつけの美容院の仲良しの美容師さんから、
欠礼はがきが届く、なんてことないですよね?
もらっても困りますよね?

また、喪中には結婚式に出席してはいけないというマナーもあるようです。
どうやら「おめでたい」カンジのことをしちゃいけないっぽいですね。

例えば、親友の結婚式に招かれて「出席します」と返事をして、
例えば「スピーチ」や「余興」を引き受けていた場合、
その後に身内が亡くなったら、結婚式には出ない方がいいのでしょうか?
「遺族として喪に服す」のと、「友人を祝ってあげる」のは厳密には違うことですよね?
それとも、「喪中」の人は穢れているので、祝ってあげることが、
逆にご迷惑になるということなのでしょうか?
もしそうならば、クリキンディの年賀状を受け取った人ごめんなさい〜!

ところで、喪中の人は、どういう正月を過ごせばいいんでしょう?
「お節料理」は食べちゃいけないんでしょうか?
「宴会を控える」ならわかります。
ですが、お節料理ってのは、そもそも「保存食」としての文化ですよね。
正月に女性が台所に立たなくていいように、保存のきくものを年末に作っておくもので、
決して「酒の肴」ではありません。

年越しソバは食べてもいいのかしら、
初詣は行ってもいいのかしら、
初日の出は?初売りは?初夢は?お年玉は?

悩みの種は尽きません。

いかに、自分が普段「形式」だけで、理由もわからずに行動しているか、
思い知らされました。

もうちょっとつづくんだけど……w

喪中につき〜その1

まもなく2011年が終わろうとしています。
でもって一夜明ければ2012年です。
その境目は時計を持っていないとよくわかりません。
昔はきっと「日の出」をもって新年のはじまりとしたんだろうなぁ。
ってことは、天気が悪いときは、やっぱりわかりにくいんでしょうね。

ずっと自宅で介護生活を送っていたクリキンディの父が、
12月のはじめに、3次元生活をめでたく卒業いたしました。

高齢であり知り合いもほとんどおらず、親類が400Km圏内にいないこと、
お墓のあるお寺は九州だし、普段付き合いのないお坊さんにお経を読んでもらってもしょうがないし、
ということで、いわゆる葬式は行わず「直葬」という形で、家族のみで見送りました。
もちろん戒名もありません。
皆さん知ってましたか?戒名の本当の意味。
詳しいことを知りたい方は、「葬式は、要らない」 (幻冬舎新書) [島田 裕巳 著]
をぜひ読んでみてくださいね。

直葬とは言っても、すべて自分たちで行うのはとても難しいため、
近所の葬儀社に、簡単な祭壇作り、納棺(おくりびと)、斎場への棺の移動などをお願いしました。
映画「おくりびと」のヒットにより、あのスタイルが定着したのでしょうか、
「わぁ映画と同じだね〜」と言いながら拝見させて頂きました。

遺体の胸のあたりに「守り刀」という短刀を置くとか、
手甲、脚半、わらじを履かせるとか、棺の中には杖を入れるとか、
ろうそくと線香は◯本立てるとか、鐘は◯回鳴らすとか、
着物は左前、紐は縦結び、などなど
その都度葬儀社の方に教えて頂きましたが、
なんかね…
「意味がよくわかりません〜〜」ww

死出の旅なので、手甲、脚半などの旅姿らしいのですが、
なぜに江戸時代のスタイルなんだよ?と思いませんか?
左前、縦結びについては、
「普段と違うことをするんですよ」
と優しく教えて頂いたものの、
普段と違うというだけなら、もっと山ほどスタイルがあってもよくないですか?

葬儀社により、少々の違いはあれど、基本的には仏式らしいんですがね。
そもそも仏教って「よりよく生きる」ために生まれた宗教なんですよね。
死に装束や見送るスタイルのこまごまとしたことを、
仏陀が弟子に言い残したとは思えません。

ここまで言ったらついでに言っちゃいますが、
そもそもたった一晩だけ入るだけの棺、
次の日には、ガスの炎であっという間に灰になってしまうのに、
材木を使うのってもったいなくないですか〜〜?
普段割り箸一本使うのだって、ためらって生活しているのに、
この棺ひとつで割り箸何本作れるかなぁ…とか考えちゃうクリキンディって、罰当たりなんでしょうか?!

そして…
「喪に服す」ってそもそもどういうことなんでしょうか?
悩めるクリキンディのつぶやきに、もうちょっとおつき合いください。

つづく…

[映画]源氏物語 千年の謎

見てきましたよ〜
いやぁよかった!おもしろかった!
【公式サイト】
http://www.genji-nazo.jp/

正確に言うと「源氏物語」ではなく、
源氏物語を書いた紫式部の物語です。

なぜ紫式部がこんな長編ラブストーリーを書き続けたのか、
その謎に迫る、というのが大きなテーマのようですが、
その解釈がなかなか面白い!
原作は、高山由紀子さんの「源氏物語 悲しみの皇子」です。

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車が欲しいのに欲しい車がない

ひとつ前の記事を受けてのお話です。
クリキンディ、車が欲しいと思っているのですが、
本当に欲しい車が見つからない。

クリキンディは、どちらかというと、車高の高いジープのような車や、
ちょっとクラシックカーのような箱型のデザインが好きなんですね。
だけど、最近の流行は、流線型の車ばかり。
フロントガラスがこれでもか!というほど斜めです。

洋服にたとえても同じことが言えるかも。
洋服が欲しいのに欲しい洋服がないんです。
モールにショッピングに言っても、
どのお店も似たようなスタイルの洋服ばかりで、
着たいと思える服が見当たらない。

20代の頃にはそんなこと思わなかったんですけどね〜。
でもその頃、母親が「私が着れるような洋服がないのよ」ってよく言っていました。
つまり、一番洋服を買ってくれるターゲットゾーンの好みに合わせて市場が作られるので、
その年齢や流行をはずれると、まったく買い物が楽しくなくなっちゃう。

ところで、ハイブリッドカーというのがめっちゃ流行っていますが、
これって本当にエコカーだと思いますか?
まぁ、「エコ」の定義まで話が言っちゃうとわけがわからなくなるのでおいておきますが、
まず「ガソリン車に比べて燃費がいい」ことで人気がありますよね。
燃費だけを考えるのなら、もっと安い車があるって知ってますか?
それは「ガス車」です。
一日中走り回っているタクシーは、ガソリン車ではなくガス車です。
なぜかと言えば燃費がいいからなんです。
何十万キロも走る耐久性もあります。

なぜ、一般にガス車を製造販売しないんでしょうね?
技術的にできないわけではありません。
TOYOTAのプロボックスという車は、ガス車があるんです。
ですが、ものすごく高い!同じグレードのガソリン車に比較して2.5倍くらいの価格です。
なぜ高いのかと言えば、大量生産していないから。
つまり企業がやろうと思えばできないわけではないのにやらない。

なぜでしょうね〜?

クリキンディはガス車を推奨したくてこの記事を書いているわけではありませんよ。
自分で調べていかない限り、
一部の人にのみ都合のいい情報しか入ってこない、
そんなしくみに乗っかって生きるのは、そろそろやめにしませんか〜?

本気で惚れてる?

クリキンディの上司に、とても素敵な女性がいまして、
おしゃれで、センスがよくて、とても丁寧に仕事をされます。

彼女のデスクには、ちょっと古めの小型ノートパソコンがあり、
それを借りて作業しなくてはならない時には、
ものすごく処理速度が遅くて、かなりイライラします。

そろそろ買い替えた方がいいんじゃない?
これ使っているだけで、仕事の効率悪くなりますよ〜
っていつも言ってるんですが、なかなか買い替えようとしません。

話は変わりますが、
クリキンディ、ここ数ヶ月、車を買い替えようと思っていろいろ調べています。
ネットで検索し、中古車やさん、ディーラー、県外までも、
何度か足を運んでいるのですが、どうも決め手に欠けるんですね。

例えば、すごくルックスが好きだけど、高価過ぎるとか、
すごく便利なんだけど、立体駐車場に入らないとか、
まぁまぁ条件を満たしているんだけど、ひとつ気に入らないところがあるとか、
「よし、もうこれに決定しよう!」と思ってショップに行くんだけど、
些細なことが気になって、結局買わない、
という状態が続いているんです。

こういうのって、恋愛や結婚と似ているのかも、と思いませんか?
すごく好き!と思ったら、少々気に入らない部分があっても我慢出来ますが、
そんなに好きってわけでもないけど、
まぁ条件を満たしているし、私のことを好きと言ってくれるからつき合ってる、
なんて場合、ちょっとした問題が起こると別れに向かってしまう。

クリキンディが、なんだかんだ理由をつけて車を買わないのは、
その車に惚れていないからなんですよね。
つまり、すごく好き!と思える車がない。
(あ、最近恋愛できない理由もこれっすね…)

冒頭に紹介した女性がパソコンを買わないのも同じ理由です。
人が何かに惚れ込むポイントは本当に様々ですが、
現在の世の中は、多数決というシステムが幅をきかせているので、
なるべくたくさんの人が惚れてくれそうな商品しか流通しません。
そのために、企業は
「ほらこんなに素敵でしょう?惚れちゃうでしょう?」
と勘違いさせるための努力も惜しみません。
わかりやすいところでCMはもちろん、
ドラマや映画でさりげなく「かっこいい演出」を伴ってイメージアップするとか、
逆に、悪いイメージを先行させていくとか、
洗脳のパターンも様々です。

自分が本当に好きなもの、本当に欲しいもの、
それすらもうわからなくなっているんですね〜。
その延長で、自分がこの人生で何をやりたいと思っているのか、
それもわからなくなっちゃってる人、多いですよね。

今、自分が「好き」とか「欲しい」と思っているもの、
それが本当に心からの欲求なのか、
それとも、世間の洗脳で作られた欲求なのか、
よ〜く考えてみませんか?

心のコンパスに従って生きていたら、いろんなことが見えてきました。