かわいいと思われたい理由

女性は誰でも「かわいい」って言われるのが大好き。
「きれい」とか「すてき」もアリだけど、やっぱり「かわいい」って言われたい。
だから、「かわいい」と言われるために、すごく努力をしていると思う。

クリキンディは、最近あえてこの努力を放棄してるところがある。
それは、「かわいい」と言われるために、
本当の自分を隠して偽って生きるってどうなの?と思ってるから。

本当の自分を隠して、本音を語らず生きる=嘘をつくこと、
だと思っているから。
嘘も方便なんて言葉があるけど、
やっぱり嘘は嫌い。
嘘をつかれると傷つくもん。

それなのに、なぜニポンの女の子たちは
狂ったように「かわいい」を求めちゃうんだろう。

誰もが間違いなく「かわいい」と思うのは、
赤ちゃんを見た時だと思う。
これはどんな動物にもあてはまるらしく、
顔のバランスだったり、仕草だったり、においだったり、
そんなものの絶対値があって、
誰もが「かわいい」と感じる。

「かわいい」の語源は「かわいそう」にも通じると聞いたことがある。
つまり、赤ちゃんは誰かに守られないと生きていけない弱いものなので、
かわいそう、だから守ってあげたい、
そんな本能が働くらしい。

つまり、
「かわいい」と思ってもらえたら、攻撃されないし、守ってもらえるということになる。

「きれい」「すてき」だと、ちょっと妬まれる感じがする…。

「かわいい」を求める気持ちって、
最大の「防御」を求める気持ちでもあるのかもしれないなぁ。

ということは、最近のクリキンディは、
防御態勢を解いてしまった、はだかのヤドカリみたいなものなのか…?!

本当の自分をさらけだすことって、
すごく楽でもあるけれど、
攻撃にさらされる側面もあるんだなぁ…

ところで、男性の場合だと、これどういう話になるんでしょうね?
「かっこいい」なのか?
「一番」なのか?
皆さんのご意見お待ちしています。

もし私がイルカだったら水族館には行きたくない

なんか、またもや唐突ですみません!
でもって、今日の話は「自分のことを棚に上げて毒を吐く」内容なんで、
不快に思われる方もいるかもしれません。

クリキンディ、水族館に行くのが結構好きです。
動物園より好き〜♡

特に鴨川シーワールドのベルーガが大好き!
八景島のイルカトンネルプール一泊も楽しかった〜!
鶴岡の加茂水族館のクラゲに癒される〜!
名古屋港水族館のハイテクに感動!
ちゅら海水族館のジンベイザメにびっくり!
サンディエゴ水族館のシャチ”シャムー”のショーもド迫力!

実は日本には、世界一水族館がたくさんあるらしいですね。

そんな楽しい水族館ですが、
その水槽に入れられた魚や海獣たちは、どんなことを思っているのかな…
とふと考えました。

水族館で生まれた子供は別として、
もともと海や川で暮らしていた生き物たちは、
どんな経緯で水族館に暮らすことになったんでしょうね。

漁師の網にかかってしまったのか、
海洋調査団によって捕らえられたのか、
病気治療のために連れてこられたのか、
いろいろあるでしょうけれど、
「海や川に戻りたい」と思わない生き物はいませんよね。

だけど、言葉が通じないので、
魚たちは「海へ帰してくれ〜」とは言いません。
いや、言ってるかもしれないけど、人間には聞こえません。

死なないように、餌はもらえる。
病気になれば治療もしてもらえる。

だけど自由はない。

その飼い主である水族館は、
お金儲けのために、魚たちを養っている。
そこにやってくるお客さんは、
お金を払って、楽しさや癒しの時間を買っていく。

よくできたシステムのように見えるけど、
実は黒人奴隷のシステムとなんら変わらないんじゃないか、と思ったんです。

自分の暮らしていた場所から、突然さらわれて、
自由のない場所に監禁され、
芸なんか仕込まれたりして、
お金儲けをしたい人たちに利用される。

「いやいや、水族館のおかげで、普段見られないものを見る事ができて、
みんな幸せになってるんだから」
という反論もあるかもしれません。

黒人奴隷のおかげで、一般市民は、
良質の綿やおいしい砂糖を安く手に入れることができたんです。
彼らには自由も報酬もありませんでした。
辛うじて生命維持できるだけのご飯と、雨風がしのげる小屋はありましたが。

ね、同じでしょ?

水族館だけじゃなく、動物園も同じです。
私たちは、動物園や水族館のシステムが悪いものだという認識をしていませんが、
もしかしたら、とても罪なことをしているのかもしれません。

黒人たちと言葉が交わせるようになって、
彼らが自分と同じ人間であると認識したように、
魚や動物たちと、言葉が通じるようにならないと、
人間の認識は変わらないのかもしれません。
だけど、想像力を働かせれば、すぐに答えが出そうなんだけどなぁ。

水族館や動物園で、すべての生き物の言葉がわかったら
すごいことになっちゃいそうですよね。
「おい、ここから出せ〜〜!暑いんだよ!生きた獲物を食いたいんだよ〜!」
なんていう言葉の洪水なのかもしれません。

はぁ……まったく自分のことを棚に上げて語ってしまいました。
池袋のサンシャイン水族館がリニューアルオープンしたので、
すごく行ってみたいと思っているんですが、
やっぱり行かないでおこうかな……
ああ………

人はなぜう◯こするのかな

いきなり下ネタで済みません…
トイレに行くのってめんどくさくないですか?
クリキンディはめっちゃめんどくさいと思っています。

あ、あとあれだ、アイドルとかお姫様はう◯こしないんでしょ?
そもそも◯って文字を入れないと、書きづらい言葉になるほど、
嫌われているものなんですよね〜?

毎日毎日、食べては出し、食べては出し、
なんかすごく無駄なことをしている気分になります。

食べることは、まだ楽しみもあります。
三次元の肉体を維持するためには必要なことだという認識もあります。

ですが、「出す」ことを
「楽しみ」「ワクワク」と感じている人はなかなかいませんよね〜?

何かしている時(会議中とか電車に乗ってる時とか)に急に催すのも困るし、
出なきゃ出ないで苦しいし、
出したら出したでくさいし、
拭き残しなんかあったりすると、それがまた不快だし、
固かったり大きかったりすれば痛いし、
ゆる過ぎても痛いし、

ああ、気持ちよかった!って感じることが絶対にない、とは言いませんが、
やっぱり「めんどくさい」が勝っちゃう。

それなら、いっそ食べることなく、出すこともなく生きる事ってできないんでしょうかね?
それか、食べるものは、一切無駄無く吸収して、
エネルギーにしてしまえば、出す必要もないですよね。

動物とか、虫とか、
自然界の生物たちの場合、
排泄物はちゃんと循環していますよね。
ふんころがしが持っていったり、
微生物が分解してくれたりして、
土の栄養になって、植物が育って、それをまた動物が食べて………

おしりを拭く動物はいないし、
ゴミになったり無駄になるう◯こも基本的にありません。

なのに、人間界では、犬のう◯こすらゴミになっちゃう。

なぜ人間はこうも「地球の循環システム」からはずれようとするんでしょうね。

地球の循環に役に立たないのなら、
人間の排泄システムの設計を変更するべきだと思うなぁ〜

しかし、そもそも、なぜ生き物は排泄するんだろう〜
人間に限らず、どんな生き物でも、生命維持のために、
何かしらの栄養を取り入れて、必ず排泄しますよね。

生命を生み出した神様がいるとしたら、
なぜそんな設計をしたんでしょうね?

もしかしたら、
生き物の修復機能と関係あるのかも?
食べる、栄養を取り入れるという行為は、
単純にエネルギーの燃料となるわけではなく、
細胞の新陳代謝にも使われます。
だから、成長することもできるし、傷を修復することもできる。

ってことは、う◯こは、単純に食べ物のカスだけが排泄されているわけじゃなく、
もしかすると、死んだ細胞とかも含まれているのか〜〜?
皮膚から垢が落ちるように、
内臓や血管のアカが、う◯こには混じっているのだとすれば、
生き物が「食べて出す」というシステムを採用した理由も納得!

しかも、そのカスを、
ふんころがしが持っていったり、
微生物が分解してくれたりして、
土の栄養になって、植物が育って、それをまた動物が食べて………

だからさ、
う◯こをゴミにしないで、地球の循環システムに乗せようよ〜〜!
これって究極のエコだと思うんだけどなぁ。

本日の些細なミラクル

今日は仕事が終わってから、
ちょっと相談しなくてはならないことがあって、
一時間ほど帰宅が遅くなりました。

その間に雷が鳴り出していたので、
あ〜また今日もスコールか、
こりゃ雨に濡れちゃうなぁ、
放射能の雨を浴びたくないなぁ、などと思っていたんです。

ところが、いざ外へ出てみたら、
ものすごく湿度は高いけど雨は降っていない。
なんだ〜もう通り過ぎちゃったのかぁ、
と思ったら、道路が濡れていない。

それなら、雨のエリアをギリギリで外れていたのかなと思い、
歩いて3分のパーキングで車を出し、
運転しながら、ものすごい光と音の雷を見ていました。

エアコン苦手なクリキンディ、
普段なら車の窓全開で走るのですが、
今日はなんとなくエアコンの気分。
走り出して1分ほどしてから、ちょっとだけ開けておいた窓を閉めました。

その瞬間、滝のような大粒の雨が降り出しました。
そのタイミングにまず自分でびっくり!

そこから15分ほどで自宅に着くのですが、
途中の道路は、かなりあちこちで冠水しているし、
雨の勢いも強いままです。
こりゃ、家に着いても、雨の勢いが弱まるまで
車の中でちょっと待ってるしかないなぁ
なんて思っていたのですが…

自宅まであと500mというところに、
踏切があるのですが、それを超えたらパッタリ雨がやんでしまいました。
当然、家に着いた時には、まったく傘をさす必要もなく、
ほぼ一滴も濡れませんでした。

な〜んだ、そんなミラクルなら、大して珍しくないし〜
と思った?!
まぁ、偶然として片付けられる要素ばかりではありますが。

ここで、何かしら見えない存在だったり(天使とか龍とか守護霊とかね)
タイミングの必然性だったりを感じるか感じないか、
そこ、ポイント大きいと思うんです。

こういう小さなことを、
偶然と思うのか、必然と感じるのか、
たったそれだけの違いで、人生が大きく変わるような気がします。
皆さんも、小さなミラクル見つけてみませんか?

日本人の教科書は水戸黄門とサザエさん

なんだかね〜
世の中のいろんな常識と呼ばれているもの、
つまり共通認識、
そういうものは、
親や学校からも学ぶけれど、
実はテレビが一番大きいのかもね〜

うちの両親が大好きな「水戸黄門」、
どうやらついに放送終了になっちゃうらしいですね。
同居してから見る機会が増えちゃって、だいぶ水戸黄門に詳しくなりました。

しかしあれだね…もごもご…
ちょっと言いにくいんだけど、
クリキンディ的には、
子供には絶対見せたくない番組のひとつだと思っています。

だって「控えおろう!ここにおわす方をどなたと心得る?!」
って印籠を出したら、みんなひざまづいちゃうんですよ?

つまり、越後のちりめん問屋のじじいなら、切り捨ててもいいけど、
徳川家の人だとわかったらひれ伏しちゃうって…。
どんだけ「権力」に弱いんだって話ですよ。

幸いなことに、黄門様はみんなが納得するような裁きをしてくれるからいいものの、
もし、これが最低の暴君だったとしても、
「葵の御紋」を持っている人は敬わなくてはならない、
っていう刷り込みですよね。
人間社会、一番大切なのは肩書きと権力ですよっていう。

さらに言えば、
「助さん、格さん、こらしめてやりなさい!」
って戦うシーンもお決まりです。
(最近の番組ではお決まりと言えなくなってきましたが。)

つまり、権力のある人が、独自に調査して、
「こいつ悪者」って判断したら、
こらしめちゃっていいんです。

「悪者は痛い目にあわないとわからない」
だから、子供たちは、悪い事をしたら、怒って叩いて躾をするんです。

ってどんだけ〜〜!
そういう育てられ方をした子供は、
「いいことと悪いこと」を覚えるのではなく、
「親が怒ることとそうでないこと」の基準で生きるようになりませんかね〜。

大人になって、人の顔色をうかがって行動を選ぶようになるような気がしませんか?
しかも、「自分の気分」が基準ですから、
気に入らないことをする部下がいたら、怒ってこらしめればいいんですよ!

もちろん、水戸黄門は、超長寿番組ですから、
すべてのストーリーがそのように進むわけではありませんが、
この刷り込みは、日本人にとってかなり大きい影響を与えていると思われます。

そしてサザエさん。
家族のあり方のスタンダードとして見ている人も多いのでは。

注目したいのはカツオです。
彼は自分に正直なので、遊びたいとか、楽したいとか、
そのような欲求に素直に行動します。
しかも、その方法をいろいろ考えるのですが、
発送が柔軟で、普通の大人が思いつかないようなことをやってくれます。

そうしていつもサザエや波平に怒られるのですが、
むしろ、こんなに柔軟な発想ができる人材は滅多にいません。
もっとほめて、彼の個性を伸ばしてあげればいいのに〜!
と思ってしまいます。

最近、両親につき合ってテレビを見ていると、
このようなさりげない刷り込みがあまりにも多くて、
だんだん気分が悪くなってきてしまいます。

両親は何も考えず楽しく見ているので、
いちいち「この刷り込みおかしいでしょ!」と突っ込むのもかわいそうだし、
すっかり会話の糸口がすれ違ってきてしまいました。

ああ〜
なんだかな〜

楽しくないんだよなぁ〜〜

 

心のコンパスに従って生きていたら、いろんなことが見えてきました。