[映画]アミスタッド アセンションってもしかしたらこういうことなのかな…


「アミスタッド」という映画を見ました。
1997年の作品で、監督はスティーブン・スピルバーグです。

簡単にあらすじを説明すると、
アメリカ南北戦争のはじまる約20年前に起きた史実、
奴隷船「アミスタッド号」事件をもとにした話で、
アフリカから略奪されてきた黒人が、船内で反乱を起こし、
アメリカの裁判にかけられた彼らを解放するために、奮闘した人々の物語です。

あんまり簡単過ぎた?すみません。
スティーブン・スピルバーグが、本当にいい演出をしてくれています。

拘束されている黒人たちの気持ち、
奴隷船で稼いでいる人たちの気持ち、
奴隷を貿易として認めている国、認めていない国の対立、
奴隷を解放したい人の気持ち、
奴隷のために祈るキリスト教徒の気持ち、
奴隷解放に興味はないけど裁判に勝ちたい弁護士、
立場上中立を表現しているけど、本当は奴隷を解放したい元大統領、
奴隷に興味はないけど、奴隷解放運動が激しくなって内戦になると困るので
穏便に方をつけたい現大統領、

様々な立場の人々の思いを丁寧にわかりやすく描いてくれています。

これ、「奴隷」を「原発」に変換してみると、
今の日本が見えてくるような気がします。

つまり、
「奴隷制度」が明らかに間違った制度であることを、
今の時代、誰でも知っています。
だけど、その制度でおいしい思いをした人は、
なんとしてでも、その制度を守りたかった。
だから、一般市民には「奴隷制度は間違っていない」という洗脳をし続けていたわけです。

それ、なんかおかしいでしょ?
と思った人がこぶしを振り上げて戦ったけれど、
勝利を得るまでに何十年もかかっています。

映画を見ながら、
私たちは、あの時の南部と北部の人たちのように、
分裂させられて、戦わせられているんだなぁとつくづく思いました。

裁判にかけられている黒人のリーダーが、
裁判の途中で
「Give us free !」と叫び出すシーンがあります。

あの時代、奴隷たちは「自由をくれ」という声をあげることすらできませんでした。
言葉が通じなかったからです。
このリーダーは、裁判にかけられている間に、弁護側との交流があり、
英語を学ぶチャンスがあったわけです。

このシーンを見ていて、
「自由をくれ」と声をあげることのできない命が、
まだまだたくさんいることにハッとしました。

「命あるもの、すべて自分の意思で自由に生きる事ができる」
これが正しいのであれば、
牛、豚、羊、鶏、魚、植物たちは、
言葉が通じないのをいいことに、自由を奪われていることになるのでは?

「だって、それは人間が生きるために必要だから……」
その理屈は、誰か他の命を支配して生きようとする側の理屈です。
白人より、黒人の命が劣っていると誰かが決めたように、
人間より、牛や豚の命の方が劣っているという価値観の中で
私たちは生きています。

「弱肉強食」は自然の摂理だという洗脳の中、
人間が、地球上でもっとも強い生き物であるかのような錯覚を持っていますが、
武器を持たずに自然に放り出されたら、
人間なんてあっという間に食料にされてしまいます。

2012年に起こると言われていたアセンション、
何やら計算間違いで2011年の10月らしいという話になっていますね。
アセンションって一体なんなのさ?とずっと考えていますが、
もしかしたら、このような
「誰かが決めた間違った価値観」を覆すようなイベントなのかもしれない、
そんなことを思った映画でした。


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