「時間」というのは一方向に進んでいて、人間は、そのレールの上を未来に向かって進んでいる、
とイメージするのは普通ですよね?
しかし、スピリチュアル系の本やブログを読んでいると、
どうも、そんな単純なものじゃないらしい、というんですね。
すべての時間、すべての出来事が、同時多発的に存在する、とか
パラレルワールドがある、とか
そんなこと言われたって、なんだかピンときません。
人は、過去、未来に生きるのではなく、「今ここ」に生きるべき、
な〜んて話もよく聞きます。
ってか、そんなの当たり前じゃん?
過去に生きるとか、未来に生きるってどういう意味だよ〜?
さっぱりわかんないよ〜、と思っていたクリキンディ、
今日はスーパー銭湯の露天風呂に入っていて、ちょっとひらめきました!
いや、ひらめいたと言っても、
自分でも全然整理できていないんですが。
クリキンディはハチドリなので、
「ハチドリの話」と思って、適当に聞き流してくださいませ。
例えば、
「あの人が、私にひどいことをした。だから、これからも私はあの人と友達にならない!」
なんて思うのは、「過去に生きる」ってことになりませんかね?
その人がいつも同じ行動をとるわけではないし、
ひどいことをしない可能性だってあるのに、もうその考えから抜け出せなくなってしまっている。
もうひとつ、
誰かとすごく楽しい飲み会をしていて、盛り上がっている時に、
「ああ、明日の朝早くから会議なんだよなぁ。楽しいけど、帰らなくっちゃ…」
なんて思うのは、「未来に生きる」ってことになりませんか?
今の自分の気持ちよりも、未来の予定を優先しちゃってる。
ハチドリは、たぶん過去のことや、未来のことを考えたりしないと思うんです。
過去に大きな鳥に襲われそうになったことが、行動の制限になったりはしないでしょうし、
また、おいしい花の蜜を吸いながら、
「来年のために、今吸うのを我慢して、蓄えておこう」
なんて考えることもないですよね。(たぶん…)
今、ここに、大好きな花の蜜がある。
ああ、おいしい、しあわせ。
過去にとらわれることも、未来を心配することもない。
今、現在に生きる、というのは、こういうことなのかなぁ…
そう思ったら、
露天風呂に吹き渡る風の心地よさ、
太陽光が、お湯の表面に反射してキラキラしていること、
檜の湯船のいい香り、
空の青さや、面白い雲の形などが、
いっぺんに、クリキンディの五感に飛び込んできました。
そういう「うれしい、楽しい、気持ちいい」ことを、
今までちゃんと味わうことなく、お風呂に入っていたんだ、
なんだか損してたなぁ、と感じたのです。
三次元の肉体を持っていること、
五感で感じられること、
様々な感情を体験すること、
それを、
今ここで、味わい尽くす、
それこそが、人間が人間として生きる、大きな目的のひとつなんじゃないのかな…
なーんて思えたのでした。
さぁ、明日も早いから、早く寝なくちゃ!
って…
未来に生きてるやん……orz