クリキンディはいい人になれそうにありません


○○さんって、ホントにいい人だよね〜。
だけど、□□さんは、なんか感じ悪い〜!

こんな風に、人のことを評価してませんか?
クリキンディは、常日頃やっちゃってます。というか思っちゃうし。

これはあくまでも、自分にとって、いい人、感じの悪い人、
というものさしの中で言っていることではありますが、
そう感じたら、次に人がどうするか、と言えば…、

「いい人」の行動を真似したくなりませんか?
そして「感じ悪い人」と同じ行動を、自分がしないように気をつけます。

行動に限らず、見た目も同じですよね。
「あの人の髪型が素敵、だから私も真似する」
「あの人の歩き方がかっこ悪い、だから私はこう歩く」

そうやって、自分を反省しながら、自分を向上させる努力をする、
ということを、人は毎日やっているのだと思いませんか。

そうして人は自分自身を成長させる。




そう思っていたんですが…


もしかして、それって自分の本音を押し込めて、
自分の身体の欲求を無視して、
無理に「違う存在」に化けようとしているだけなのかも?

そもそも、
「いい人」という定義すら曖昧です。

早起きする人はいい人で夜更かしする人は悪い人、
無駄遣いしないで貯金してる人は偉くて、衝動買いしちゃう人はダメな人、
まわりに気遣いできる人はいい人で、空気読めない人は最低、

ほんとにそうなんでしょうか。
作られた価値観の中で、
本当の自分を押し殺して生きることが、
本当に魂の成長に繋がるんでしょうか。

だいたい、魂って成長するものなんでしょうか。

肉体を持って生きる、
それは、肉体を持たなければ「経験」できないことをし、
それによっていろんなことを「感じる」こと、
それこそが生きる目的なのだとしたら、
私はとんでもなく回り道をしているのかも…

なんてことを感じた、秋の夜長です。

秋って、なんか人を哲学的にしちゃう…?

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