女性にとってもっとも大切な仕事に対して対価が支払われない原因


大西つねきさんが、2019年6月6日(れいわ新選組に入る前)に配信された動画の書き起こしです。とてもいい話なのでシェアします。
話し言葉を読みやすいように一部編集しています。

今日は「仕事の概念と男女の役割について」というかなり広いテーマで、まだちょっとうまくまとめられるかどうかわからないんですが、「今までの仕事の概念」と「今の概念」、それから今までの経緯から来ている男女の役割とか、対価の払われ方とか、そんなことについてお話をしたいと思います。

太古の仕事の概念と分担と分配

そもそも仕事って、太古の昔は獲物を捕ってこ来なきゃいけないとか、食べるための作物を作らなきゃいけないとか、太古の仕事は命がけだったわけです。サバイバルと直結していた。

しかも男性と女性の身体的な特徴の差があって、男性が肉体的な仕事や危険な仕事を担っていて、子供を産めるのは女性だけなので、もちろん女性に担ってもらって、それに付随する子育てだったり、そういった仕事の分担をやってきた。
そういう長い歴史的な経緯があるんだと思うんです。

ある程度時代が進むに従って、いろんなものを大量に作り出せるようになって、産業革命以降は機械化が進み、必ずしも力のいる仕事ばかりではなくて、女性ができる仕事もかなり増え、女性の社会進出が進んで来たという経緯があると思うんです。

その中で仕事というのは、我々の生活に必要なものを作る、それをみんなに分配する、行き渡らせるという、そういう経済の本来の意味があって、それはもちろん大事なことというのは当たり前だったと思うんです。それがないと生きられなかったり、我々の生活が豊かにならなかった。

特に日本の場合は、戦後の焼け野原の状態からとにかく生産をして、それをみんなに配って、みんなで分配してということをやらざるを得ない。それが日本復興をさせる、みんなの生活を良くする、命を守ると言う意味で大事だったというのはすごくわかるので、仕事がとても大事という、それは価値観としてたぶん当然だったと思うんです。

地球環境を破壊する仕事をやらされ続けている

だけど20世紀から21世紀になって、日本はとっくの昔に戦後復興を終わってしまって、高度経済成長が終わった。

何をやっているかというと、一生懸命作って売ろうとしているんだけど、そんなにもう別にいらないよと言ってるのに、必死になって作って売って、ということを繰り返しているわけですね。

とにかく売り続けるということが仕事になってしまって、いつのまにかお金をもらうことが仕事になってしまった。
みんなに必要なものを作り出すのが仕事ではなくなってしまった。

仕事が一番上位にあるような価値観というのは、僕はもう古いと思っていて。
家庭生活をしていても「仕事だからしかたがない」と、いろんなプライベートのことを置いておいても仕事が最上位に来るような価値観がありますが、いやちょっと待って、その仕事って本当に大事なの?と。

まあ確かにそれをやらないとお金がもらえないんだけど、その仕事って、実は地球環境を破壊したり、あまりやりすぎてはいけないようなものなんじゃないの?
我々の命を危険にさらすような仕事、まあそんなのばかりではないですが、かなり多くの部分、そういった側面も出てきて、そんなに逆に一生懸命やっちゃいけないんじゃないの?というようなものなのに、我々はひたすら、お金を稼ぐためにやらされ続けている。
なんか根本的におかしいと。

出産、家事、育児の対価

しかも家庭にいる主婦のような仕事をしている女性たち、家事とか家庭内でやっている子育てというのは、対価が基本的に払われない仕事なんです。今の経済の中で。

だけど本当に価値を生み出すという意味で言うと、まったく同等か、さらにそれ以上の本当に大きな価値がそこにはあって、特に家事とか子育て、子供を産んで育てるなんてことは、もうそれがなかったらそもそも企業自体、働く男性も結局お母ちゃんがいなかったら生まれてこなかったわけですから。

実はすごくそこに大きな価値があるのにも関わらず、そこに対する対価が今の金融経済の中ではまったく支払われない仕組みになってる。

たぶん太古の昔は、対価というのは、獲物をとってきたらそれをみんなで分けあって食べるとか、みんなで作物を作ったら、それをみんなで分けあって食べるとか。

要するに男性が働いて獲物をとってきた、というのと、女性が子供を産んで育てる、というその価値が同等だったからお互いそれを分け合っていたんですね。

お金のやりとりとかじゃなくて、みんなで役割分担して得たものだから、みんなで分け合うのが当たり前という意味で。

その時代は対価という意味で言うとたぶん払われたと思うんですけど、今の対価って何がどうなっているかと言うと、お金になってしまっているんですね。

進化しているのに、その成果を感じられない理由

お金というのは要するにそれで交換できる価値の方が本質なんですね。

昔我々が作っていた価値というのは、食べるものだったり着るものだったりとか本当に生活に必要なベーシックなものしか作れなかった。

それから我々は進化して、たくさんの本当にいろんなそれ以外の価値、要するに食べるもの、着るものとかじゃなくて、それ以外の部分の方がはるかにデカイんですけど、我々の生活を豊かにするための価値をたくさん作りだして、それに対応するたくさんのお金が生まれている状態なんですね。

たくさん生まれた価値をみんなで価値としてみんなで平等に分けていれば、みんなが本当に豊かになったんですね。

だけど今、価値が配られるんじゃなくて、お金が対価として配られる。

今の金融資本主義の中で、資本家が利益を上げようとするときに何をするかと言うと、ひたすら利益を集めるために、労働者の賃金を削っていくんですね。

労働者はどこまで削られるかと言うと、太古の昔に必要だった食べるものとか、着るものとか、そういう生活に必要最低限のものを買える状態、なんとか生きられる状態まで、下手をすると削られ続けるんですね。

本当にそんなにひどいことを金融資本家はしてるのか、いろんな議論があると思うんですが、ものすごくシンプルな証拠というか一つの考え方を示すと、

昔は食べるもの、着るものを作り出すのに、ものすごい時間と労力がかかった。

今はものすごく効率化が進んでいて、短い時間で、はるかに少ない労力で、大量にものが作れるようになった。

たぶん、例えば三食食べるのに、おそらく太古の人たちは一日中働いてた、まあそんなにおそらく働いてなかったと思います。

我々は一日中働いて、下手をすると食べるの、生きるの、暮らすのだけで精一杯になってる。

こんなに大量に効率的にいろんなものが作れるようになったのに、我々が働く時間が短くならないのは、それだけたくさん作り出せるようになったその進化の成果を、ごく一部の人たちが持っていってしまっている。

作り出した価値をみんなで分け合っていれば、みんながもっと豊かになれたのにも関わらず、そうじゃなくてお金というものに変えられてしまって、お金を受け取らないといけないことになってしまった。

そのお金で結局どれだけのものがみんな買えるかというと、そんなに。
まあもちろん携帯とか昔なかったものを持っていたりするかもしれないですけど、そんなに豊かになっていないんですよ。

結局何が言いたいかというと、お金で対価を払うことによって、本来受け取るべき対価を実は多くの人が受け取れていないということ。

女性が誰かに依存しないと生きられない社会の原因

あともうひとつ、重要なポイント、太古の昔の女性たちは単純に子育てをしたりとか、家事労働したり、それだけをしていても十分だった。

女性たちの仕事というのは、本当に素晴らしい仕事。彼女たちがいなかったら、この世そのものが存在できないぐらいな。
子供たちがいなかったらまったく何も生まれないんですから。

そういう目に見えないけど確実に存在する価値に対して、実態価値、捕ってきた獲物だったり作物とかでちゃんと対価が払われていたんですが、
今のお金のしくみになって、お金がないと買えない食えないと言う状態になると、直接的にお金を生む仕事じゃないとその対価は払われないと言うおかしなことになっているんですよ。

要するに今の金融システムの中では、子育てだったり家事労働だったりとか、本来はすばらしい価値なので、対価をちゃんとそこに誰かが払わなければいけないものに対して、誰も払っていないという仕組みになってるんですね。

その中で、どんなおかしなことが生まれているかと言うと、子供を産んだり育てたりするために、
何かに、誰かに依存しないといけない状態なんですね。

本来はその価値を認めて、依存という形ではなくて、それをするだけで十分なんとか暮らしていけるようなしくみを整えないといけないにも関わらず、誰かに依存しないといけない。

それが例えば男女の婚姻とか、男女関係のおかしな依存関係、男性にしても一生懸命お金を稼いで養わなければいけないみたいな、そんなプレッシャーの中で、女性も誰かに依存しなければならないみたいな、そんなおかしな依存関係を生んでいて。

これどこから来ているかと言うと、今の金融経済のしくみ、僕は本当に根っこがそこにあるんじゃないかと思っていて。

男性も女性も幸せになるためのひとつの解決案

これを解決する方法として、政府通貨でお金を作って、ひとり例えば8万~10万ぐらいのベーシックインカムを配ってしまえばいいと思うんですよ。それから子供がひとり生まれると、養育費として毎月、少なくとも5万~8万ぐらいを出すと。
例えばベーシックインカムが10万だとすると、女性ひとり、まず10万のベーシックインカム、プラス子供がひとり生まれると5万~8万。
三人子供を産むと25万、養育費が5万だとするとね。8万だとすると34万円。

子供を育てるだけで、女性はそれだけのお金をもらえる。
それだけの価値は平気であるでしょうというぐらいの価値なんですよ。

結婚していれば、その三人の子供を育てるために旦那さんがものすごい大変な思いをしなくてもいい。
そもそも今三人子供を作るなんてことは、たぶんとても贅沢なことになってしまっていて、ほとんどの家庭では難しいような状況になってしまっているんですよ。

でもそういう仕組みができればなんの心配もなく子供を産んで育てることができる。

そういうのが僕は本当の意味での少子化対策だと思うし、本質的に女性の家事労働とか子育てというものに対してしっかりと対価を払ってしかるべき。

お金で対価を払うという世の中にしてしまったんだったら、お金は必ずそこで配らないといけないだろうと思ってます。

だから逆に、お金を理由にいたくもない夫婦が子供のために離れられないとかいうこともないと思いますし、本当の意味で一緒にいたい二人とか、一緒にいたい家族が一緒に暮らせばいいだけの話で、それぞれ自立して嫌だったら別に離れたって構わないと思います。

例えばシングルマザーになってしまって、本当に一気に貧困に突き落とされてしまうような人たちっていっぱいいるんですよ。すごく苦労してます。

その人たちがそんな目に遭うこともないし、そもそもそんな目に遭っちゃいけないんですよ。
子供を育てるなんてすごいことをしてもらっているにも関わらず、社会がそれに対してまったくなんの見返りも払わないなんてのは根本的に間違っていて。

そういう仕事の概念、対価の払い方、今の金融経済になってから大きく変わった部分、そういった部分も全部含めて、我々は自分たちの社会のあり方を、根本的に考えないといけなんじゃないかなと僕は思っていて。

女性の社会進出の問題だったり、フェミニズムみたいな、そこを問題視するというのは、それはそれでわかるんですが、ぼくは問題はそこにだけあるんじゃなくて、もっと大きな社会とか経済のしくみに、もっと言うと金融のしくみに僕は原因があるんじゃないかと思っているんで。

そういった意味で、そこらへんから変えていったら、もっと本当に男女とも自由になれるような社会になるんじゃないかなと思っています。


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