twitterかなにか忘れましたが、段ボールに入ったマスクを山積みした写真をアップして「オワタ」と書き込んでいる転売ヤーの記事を見かけました。
もちろんそのスレッドは罵詈雑言の嵐になっていました。
「お前が悪い」と言われるとわかっていて、なぜこの人はマスクの写真をアップしたんだろう?とぼんやり考えていたのですが、
もしかしたら、この人はまさか自分に怒りの矛先が向くとは思ってもみなかったんじゃないかなと想像してみました。
「せっかく転売して稼ごうと思ったのに残念だね」
というような同情コメントを期待したんじゃないでしょうか。
そうでなければSNSに書き込んだりしませんよね。
私はこの人に石を投げる資格があるだろうか…としばし考え込んでしまいました。
マグダラのマリアのエピソード
ヨハネの福音書に、有名なマグダラのマリアの話があります。
「モーセの律法では姦通をした女は、石で打ち殺せとあるが、どう考えるか?」と問われ、イエスが
「あなた方の中で罪を犯したことのない人だけがこの女に石を投げなさい」と言ったところ、
誰ひとりマグダラのマリアに石を投げる者はなく、全員が立ち去ったというエピソードです。
私には石を投げる資格はない、と感じました。
皆さんはいかがでしょう?
転売ヤーの罪
マスクの転売ヤーが犯した罪はどんなものでしょう。
コロナウイルスやインフルエンザの流行を見込み、
(もしくは花粉症によるニーズを見込んでいたかもしれませんが)
とにかく大量にマスクを買い占めてしまったことで、
本当に必要な人のところにものが届かなくなるという迷惑状態を起こしています。
これは罪でしょうね。
しかも品薄になった頃合いを見計らって、市場価格より高い金額で売りさばこうとしたわけですが、
これって本当に罪と言えるのでしょうか。
この場合の罪の大きさは、金額にもよるかもしれませんが…
そもそも商売というのは、世の中にニーズがあると思われるものを予測して準備し、仕入れた金額に手数料を足して販売するシステムです。
マスクに限らず、どんな商品も同じです。
価格の上乗せなんて、誰でもやってることですよね。
例えば「石油」は、市場価格を調節するために、産油量の増減を行なっていますし、
米や野菜も同じです。
ものが余りすぎて価格崩壊を起こさないように、出荷制限が行われています。
自分が使う以上に買い込んでいないだろうか
転売ヤーという人たちは、先見の明があるとも言えます。
しかし彼らが買い占めたことによって、必要な人のところに商品が届かない、というのは本当に迷惑ですよね。
では、日本中で販売されたマスクのうち、何%を彼らが買い占めたんでしょう?
実際には、そんなに高い割合ではなさそうな気もします。
まぁ調べたわけではないのでなんとも言えませんが。
では「自分で使うために買った」人のうち、余分に買い込んだ人はいないでしょうか。
今、皆さんのおうちにトイレットペーパーは何ヶ月分のストックがあるでしょう?
ひとり1パックしか販売してくれないので、昨日も今日も明日もあさっても、行列に並んで毎日1パックずつ買う、という人の話を聞きました。
一生かかっても使いきれないような量のペーパーを溜め込んでいる人の噂も聞いたことがあります。
不安から買いだめしているそのような人と、
転売目的で買いだめしている人の罪はどっちが重いんでしょう?
一番大事なのは利益を得ること
ちょっと話は変わりますが、
ある知り合いの息子(大学生)がバンドにハマっていて、ミュージシャンになりたいと言い出したらしいんです。
もちろんお父さんは大反対です。
「お前そんなもんで食えると思ってるのか!」って。
私は、親には言われませんでしたが高校の担任に同じことを言われました。笑
生きること=稼いで食っていくこと
という価値観を持っている人にとって、ミュージシャンなんて不安定極まりないわけで、価値の低い生き方と見なされているのかもしれませんね。
損をしないように細心の注意を払って物を買うこと、
なるべく利益を大きくするために工夫をこらすこと、
そのような生き方が正しいと躾けられてきた人にとって、
マスクやトイレットペーパーの転売は、「賢いやり方だ」と褒められこそすれ、後ろ指さされるようなことではないのかもしれません。
罪びとにならないために
私には自分が使いきれないほどのストックを買いだめする習慣はありませんが、いつもより多めに買っておこうかな、と思って買ったものも少しはあります。
量の問題じゃないと思うんです。
みんながそうやって少しずついつもより多めに買おうとするから、市場からものが足りなくなるわけで、
私も罪びとのひとりです。
石を投げる資格なんかまったくありません。
転売ヤーを弁護したいわけではありません。
ただ、経済至上主義の社会であるために、みんなが罪びとになってしまっているのではないかなと感じます。
コロナも、パンデミックも、
大きな災害も、悲しい出来事も、
どんなことも、なにかに気づくために起きているのかもしれないと思います。
そして気づいたら改善していけばいいだけですから。
必要な人のところに、必要なものがちゃんと届くシステムが実現すれば、誰も不安にならずに済むはずですよね。
お金が必要な私のところに
じゃんじゃんお金が届くシステムができますように……
愛情が必要な私のところに
白馬に乗った王子様が、いや王様が現れるシステムができますように……