「若く見られたい」という呪いを解く


中学生〜20歳前後の若い人たちに
「まわりからどんな人だと思われたいの?」
と聞いてみたんですが、8割以上が同じ答えでびっくりしたお話を。

私はある学校でレッスンを受け持っているのですが、
「自分がまわりからどう思われているのか、客観的に把握した上で、どんなところに気をつければいいのかをみんなで考えよう」
というような話をしていたんですね。

当然「こう思われたくはない」という意見も出てくるわけですが、その中でとても多かったのが
「実年齢より年上に見られたくない」
というものでした。

いや〜わかりますよ、これが女子なら。
日本人男子の多くがロリコンであるということは、世界的にも有名ですし、テレビでも雑誌でも「年齢マイナス◯◯歳見え!」
みたいな宣伝があふれてますから。

でも中学生から同じ言葉を聞くとは思わなかったよ〜!
「小学生に見られたい」ってどういうことですか!?
大学生男子からも「高校生に見られたい」とかいう意見が出てきて、老眼の進んだおばちゃんは非常に混乱しております。

これは、すごく大きな問題だなぁと感じます。
肉体年齢を若く見られたい、というのはいいと思うんです。
ほぼ「健康でありたい」と同義ですよね。
だいたい20代後半から老化は始まりますので、なるべく肉体の衰えを遅らせたい、というのは理解できます。

ですが、まだ成長期にある子供たちが、実年齢より若く見られたいというのは、とても不自然なことじゃないでしょうかね〜
これは肉体年齢の話ではなさそうですよね。

精神的な話だとすると、大人になることに希望が持てない、とも言えるかもしれません。

年齢が上がるごとに、
「なにかができるようにならないといけない」とか
「責任を持たないといけない」みたいな義務感が増していくことがつらいのかな…

「なにかができるようになる」
「責任と同時に決定権などの権利を持てる」
ことをよろこびとは感じられないのかもしれませんね。

これは、私たち大人の責任だと思います。
子供たちに危険な道を歩ませたくないがゆえに、
いろんな不安要素を排除しようとして、かえって不安を植え付けるだけで、希望やよろこびについて伝えきれていない。

なぜそうなったのかと言えば、私たち今の大人が人生を楽しいと思っていないから。
希望を見出せていないから。

年齢をひとつ重ねるごとに、ひとつずつできないことが増えていきます。
老眼鏡なしでは本が読めない。
補聴器なしでは会話ができない。
子供や孫に教えてもらわないとメールもビデオの予約もできない。
昔のことは覚えているのに、昨日の晩御飯が思い出せない。
100m走ったらあさって筋肉痛。
歩きたくないのに運転免許を返納しろと言われる。
関節やら内臓やらあちこち不調。

そんなお手本が目の前にいれば、みんな歳をとるのがイヤになって当たり前だ〜!
では、子供たちが希望を持って「大人になりたい」と思えるようになるために、なにをしたらいいんでしょうね。

肉体が衰えていくことに対抗するのは、人間のそもそものしくみに逆らうわけで、川の流れに逆らって歩くような無駄な努力だという気がします。

それなら精神的な成長に目を向けるのはありかもしれませんね。
小さい頃は、悲しくて仕方のなかったことや、怒り心頭だったことが、大人になって広い視点を持ったことで、楽になっていること、ありますよね。

「諦める」という意味じゃないですよ。
例えば、「土足で家に入るなんて許せない」と思っていたことが、「家で靴を脱ぐ習慣がある国と、そうじゃない国があったんだ」と知ることで、自分の許容範囲が広がる感じと言えばいいでしょうか。

「井の中の蛙大海を知らず」
という諺がありますが、
蛙が外に出た時に出会うであろう危険なことばかり、私たちは心配してきたのかもしれませんね。
外に出て得るものも大きいのだということを、子供たちに伝えるためにも、まずは大人が大海に出てみる必要がありそうですね。

どうやら、私たちが住んでいる地球という星の他にも、たくさんの星に文明があって、私たちの知らない常識がたくさんあるらしいですよ〜

早く宇宙と交流してみたい!
でもその前に…
47都道府県、まだまだ知らないところがあります。
そして、海外も……
あ、隣の住人と話したこともないなぁ〜笑

私たちが気づかない間にがんじがらめになってしまっている呪いや暗示についてもっと知りたい方はこちらもどうぞ。

☆2年前にこんな記事書いてた〜!ちょっとは私も成長してるのかな‥


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